青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【研修25日目】

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今日はちゃんと更新をします(..)


本当にめまぐるしくて、本当に毎日が貴重で


一日たりとも無駄にはできなくて。


そんなありがたい毎日も、もう1/3が終了しました。




気づいた時にはもう8月に入ってて、そしてもうそれも3日経ってて
ちょっとずつ、意識は研修後半モードに入ってきています。



モロッコランチを食べたり、

野外授業をしたり

昨日は授業が終わってから、インドネシア語メンバーSVの壮行会で飲んで。





そして今日は、4回目の休日。



バスツアーを申込み、南相馬市へ被災地の様子を見学しにいきました。




ここでまとめて伝えられるほどに、まだ噛み砕けておらず
自分の目で見たことが、まだ3年前のことだとは信じられないのです。


私たちが行ったのは、津波ですべてを失ったマチです。


家も何もかも流され、一面草原となっていました。






そして、今でも避難生活区域である小高駅で降り

誰もいないし、カーテン・シャッターで閉ざされている街を
10分ほど歩きました。




歩いていると一人だけ男性がいらっしゃいました。

声をかけてくださって、お話しをさせていただく機会があったのですが
その男性は、仮設住宅だと動けないから、今日は自宅まで来て
草むしりをされるところとのこと。


ちょうど、今の時期はお盆で帰宅承諾がおりており
2週間~1か月ほどは許可されているようです。



ただ、その方がおっしゃっていたのですが

布団などはネズミが食べてしまい、ずっとこの町に戻れるなら購入したいけれど
まだ2~3年かかるから、結局一次帰宅が許されても
帰らない方が多いそう。




街には誰もいなくて


崩壊した家がそのままになっていて


車や船が、草原にぽつんと置いてある風景は

現実世界なんだ、って理解するまでにちょっと時間がかかります。




これが同じ日本で、3年前におこったこと。





バスのガイドさんは、ボランティアで街の案内をしてくださっていました。

その方がおっしゃった


「じっとしているのが悔しい

こうやって知ろうとしてくれる人がいるならば

自分は伝えて

知ってもらうことで、何か復興のきっかけとなってほしい」


という言葉の重み、が忘れられないです。





私は、とても複雑な気持ちです。


ただの興味本位で、見学だけはしたくないのです。

今の私には、そうやって伝えてくださる方の期待に応えて
何か直接的なボランティアや、方法を変えることができない。



なおさら、海外に目が向いている今

ここに残って、復興のために何ができるのでしょうか。






だから、だからこそ


私はブログで伝えます。

身近な人から、こういうことが起こったんだって知ってもらうために。


そして、その時海外の方からたくさんの支援やエールをいただいた感謝を込めて
私はインドネシアの方たちに何か一つでもお返しができるよう

伝えます。




まだ問題は終わっていのです。
 


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