【研修25日目】
今日はちゃんと更新をします(..)本当にめまぐるしくて、本当に毎日が貴重で
一日たりとも無駄にはできなくて。
そんなありがたい毎日も、もう1/3が終了しました。
気づいた時にはもう8月に入ってて、そしてもうそれも3日経ってて
ちょっとずつ、意識は研修後半モードに入ってきています。
モロッコランチを食べたり、
野外授業をしたり
昨日は授業が終わってから、インドネシア語メンバーSVの壮行会で飲んで。
そして今日は、4回目の休日。
バスツアーを申込み、南相馬市へ被災地の様子を見学しにいきました。
ここでまとめて伝えられるほどに、まだ噛み砕けておらず
自分の目で見たことが、まだ3年前のことだとは信じられないのです。
私たちが行ったのは、津波ですべてを失ったマチです。
家も何もかも流され、一面草原となっていました。
そして、今でも避難生活区域である小高駅で降り
誰もいないし、カーテン・シャッターで閉ざされている街を
10分ほど歩きました。
歩いていると一人だけ男性がいらっしゃいました。
声をかけてくださって、お話しをさせていただく機会があったのですが
その男性は、仮設住宅だと動けないから、今日は自宅まで来て
草むしりをされるところとのこと。
ちょうど、今の時期はお盆で帰宅承諾がおりており
2週間~1か月ほどは許可されているようです。
ただ、その方がおっしゃっていたのですが
布団などはネズミが食べてしまい、ずっとこの町に戻れるなら購入したいけれど
まだ2~3年かかるから、結局一次帰宅が許されても
帰らない方が多いそう。
街には誰もいなくて
崩壊した家がそのままになっていて
車や船が、草原にぽつんと置いてある風景は
現実世界なんだ、って理解するまでにちょっと時間がかかります。
これが同じ日本で、3年前におこったこと。
バスのガイドさんは、ボランティアで街の案内をしてくださっていました。
その方がおっしゃった
「じっとしているのが悔しい
こうやって知ろうとしてくれる人がいるならば
自分は伝えて
知ってもらうことで、何か復興のきっかけとなってほしい」
という言葉の重み、が忘れられないです。
私は、とても複雑な気持ちです。
ただの興味本位で、見学だけはしたくないのです。
今の私には、そうやって伝えてくださる方の期待に応えて
何か直接的なボランティアや、方法を変えることができない。
なおさら、海外に目が向いている今
ここに残って、復興のために何ができるのでしょうか。
だから、だからこそ
私はブログで伝えます。
身近な人から、こういうことが起こったんだって知ってもらうために。
そして、その時海外の方からたくさんの支援やエールをいただいた感謝を込めて
私はインドネシアの方たちに何か一つでもお返しができるよう
伝えます。
まだ問題は終わっていのです。
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