青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【任期短縮を考えていた私の、2年の成果。】つらいことは、ここに封印。

2 件のコメント
すっごく今更、8月のブログのアクセス数が3,500となりました。ヤッター!!



中には、メディアとしてしっかり運営している協力隊員もいて。本当にすごい。
それに比べて自分のブログ。もっと頑張るべきだな、とも思う。





でもやっぱりアクセス数を気にして、書きたいことを自分の中で制限するのはヤだし。
伝えたい事を二の次に、SEO対策でKWを~なんて他の事に時間をかけるのは、やめたい。



私にとっては想定以上に足を運んでくださっていて。感謝でしかないです。テリマカシ





今日調整員さんから電話があった。



VC「その後どうですか?配属先は相変わらずですか?」


私「はい。私の活動に関する局長からのサインは結局この2年間、一度も下りませんでした。でももう自分の中では割り切れましたから。」



VC「みずさんの自己評価結構厳しめですけど、そんな事ないと思いますよ。このインドネシアで、○○も○○も結果出してきたじゃないですか。何もできない隊員もいる中、もっと評価してもいいと思いますよ。」








家に帰って、過去自分のブログを読み返す。
このブログでも一番のアクセスがある、任期短縮について考えていた日々。
今でこそ、割りとイージーモードで任期を終わらせようと思ってるけど。
せっかくだから任期短縮を考えていた私の2年間を、さみしかった想いをここで終わらせたいなと思っている次第です。








思い返してみれば、ずっと、ずーっと悩みっぱなしだった。

2年間どんなに頑張っても、どんなに私が向き合っても、結局活動の承認は下りなかった。
2年経って、今なら割り切れる。
今だからようやく、色んなことが許せるようになっている。






努力だけじゃあどうにもならないのに、それに気づけない時期はすべて自分に非があると思ってた。

言葉ができないから、経験がたりないから、コミュニケーションがたりてないから・・・。



しんどかった






「こういう活動がしたい」と配属先に相談しても、だれもまともに取り合ってもらえず。
外で活動をしようものなら、「みずだけ外に遊びに行っている」と嫌な顔をされ。
企画書を作って、配属先にプレゼンをしても。

その場では「いいね!すっごくいいアイディアだ!」となって、ハイ、じゃあだれがやる?シーン





自分のやっている活動を知ってもらおうと、職場に対してレポートを作るも。部長室の書類の山に眠ったまま、だれの目にとまることはない。そしてCPがいなくなった時に、用務員にゴミ箱に入れられた。



誰に言えるわけでもない、どうしようもない気持ちになった。




そんな配属先を見放して、一人でメディア誘致の活動をはじめた。
日本の番組サイドと連絡を取り合い、
地図のデザインを考えるために、たくさんの資料をかき集め。
真夏のロンボクを練り歩いて見積もりを取りに印刷会社を探した。


メディアツアーを開催するために、旅行プランを作り
撮影のためのロケーションハンティングをしに、各観光地にいった。




動いているときは満たされるけど
それでも、頑張れば頑張るだけむなしくなって。
なんで一人でやってるんだって、

私が今日ここで、外で活動していることを同僚たちは知らない。だれも知らない。





そんな時に1人目のCPが逃げるように職場を出て行った。
不安だったけど、チャンスだと。



今までずっと我慢してきた事を、二人目のCPの時に伝えようとした。



毎日、CPがいる時は部長室に入り。
些細な話をして、関係性を築こうとする。
最初は日本語を覚えようとして、笑顔で話してくれていた。



でもだんだん、「責任」がのしかかったCPの態度が変わってくる。
部長室に入ると、要件もまともに伝えないまま、目をあわせてくれなくなった。

来客があるからと、部屋を追い出されるようになった。





3回連続で、JICA調整員のアポを当日にすっぽかされ

ついに、その2人目のカウンターパートも8か月で職場を去っていった。



私はだれと活動をすればいいのか。
だれを信じればいいのか。
だれにこのさみしさを伝えればいいのか。



苦しかったからこそ、落ち込んでいくだけの自分が怖くて、すがれるものにはすがりたくて。それが今年の6月。
カウンターパートと部署の異動をJICAと配属先に希望し、話し合いの場を設けた。
ただそれも結局うまく機能しないまま今日にいたる。






毎日、毎日。
この職場の中で、自分たった一人が悩んでいた。



どうしたら観光客が安全に旅行ができる?
どうしたら、ロンボクを訪れる観光客が増える?
どうしたらバリからもっと足を延ばしてもらえる?
どうしたらゴミのポイ捨てがなくなる?

どうしたら、どうしたら・・・




任地が嫌いになる。

陽気に話かけてくるネシア人に、ひどくイラついて。そっけない態度をとる。
挨拶をしようと、握手をしてきてくれる手を拒む。
遠くから名前を呼ばれても、聞こえないふりをする。

私がいる後ろで、私についてササック語で話している。
「彼女どこに住んでるの?」
「○○ホテルの裏だよ」
「毎日○○を食べてるんだってよ」


ここだけは気を抜く場所、と決めていた場所が、居心地が悪くなる。やめてよ。勝手に住んでいる場所を教えないで。


もうほっといて。


まちに出ると、だれかにすれ違う。
それがいやで、家を出なくなる。そんな時期が、ついこの前まであった。



埒があかない。
報われない。

そんな感情だらけ。


苦しかった事を、今こうやって思い返しても。まだやっぱり苦しい。




思うわけです。みんな成果を出そうと必死になる。
私も何か一つ残したいって、それだけ思ってやってきた。




でも



できたか、できなかったか。
何をしたか、成果をあげたのか。
それは重要な事じゃあない気がしている。



結果は出した。
多くの人が、「すごいね」と言ってくれるような結果。
でも自分は何もできなかった、と思ってる。
何をするにも、どこに行くのも一人だった。
どこまでも一方通行でしかなかった。



一遍でしか見れない成果なんて、報告書用の一つの判断軸でしかなくて。


でも

しんどかったことは
自分の経験値として、ただ蓄積していけばいいんじゃないかなって思うのです。





この前ジャカルタにあがった時に、すでに去っていったVCにこんなことを言われた。



「みずさん、今までの人生で挫折した経験ないでしょう。あなたはこれからも羽ばたける人です。だから、この2年間が今後の人生のための挫折経験であっていいじゃないですか。」





私の2年間。
なんだったんだろう。

もちろんつらいことを上回る経験ができているからこそ、結局任短をしないで、ここまで来た。




ここに来てようやく私のこの2年は、挫折経験だったのかもしれないな、と腹落ちしてきているわけです。挫折を味わえた、ということが、この2年間の成果なんじゃないかなと、言ったら怒られちゃうかしら。





それを認めてしまう、これまたさみしさもあり切なさもあり。

でもここにすべて封印したくて。





今ではここが大好きだから。
同僚との一人ひとり、やっぱり嫌いにはなれなかったから。

残りの任期を少しでも笑顔で、温かくて、楽しくて。
思いやりとか、素直さとか。
そういう明るい事だけで終われるように、この記事を最後に、ここに置いていこうと思う。




挫折!いいじゃないの。
昔の自分より、人の痛みがわかる!そしてだれかに優しくなれる!気がする!!


最後までこんなんですんません。
でも最後まで、もう少し。こんなかんじです。


色々あったなあ。2年間。でも最後はやっぱり、「楽しかった!」って終わりたいです。

想いあふれて長文になってしまった。。。
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2 件のコメント :

  1. とある11班班長2016年9月14日 17:28

    すっごい、ロンボクをうちの任地の名前にしても当てはまりそうな話。。
    めっちゃ共感です! 
    本当に、良い挫折経験ができた! 

    “できたか、できなかったか。
    何をしたか、成果をあげたのか。
    それは重要な事じゃあない気がしている。”
    の部分も、本当に共感!
    近々、僕のブログでもパクリます。笑

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    1. とある11班班長さん

      共感してもらえてうれしいです~
      ぜひ!ぱくって!笑
      ブログを通じて、班長さんやドンラムの村人さんと緩やかなコミュニケーションがとれて嬉しかったです^^
      悔いのない生活を!

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