【サンプルあがった!】わが子のように愛おしい。
今朝、散々もめてたイブに呼ばれる。参照:怒りを通り越して、冷静。
イブ「みず、みず。こっちこっち。」
なになに?あれ、これもしかしてもうサンプルできた???心がオドル。
じゃーん!
デザインあげて、2か月。ようやく手元に地図の記念すべき第一版が届いた。
感動。
20部仮印刷してもらい、文字化け、色が出てるか、写真などがずれてないかをチェック。
表紙が思ったより暗かったので、海の写真に差し替え、全体の写真をワントーン明るくした。
A3サイズで作成していたけど、実際に来たのはA3×2で、やや画像が伸びている印象だったので、これから再度要交渉です。
心配していた日本語のデザインフォントも崩れていなかったし、最悪このまま発行しても大きな問題はなさそうだ、とようやくほっと一息。
もうここまで来たら、イブともめたことも。
態度が豹変したことも。
もう全部本当にどうでもいい。
愛おしい、わが子。
去年の7月から地図の制作をはじめ、ぐるぐる遠回りをしまくって。もめると思った発行費用も、全額配属先負担で着地した。
苦労して、あきらめないで。ようやく目に見えたカタチになった。
本印刷をかけ、関連組織に配布に行きます!
ふぁー。今日はいい夢見れそう。
こういう日は、晩酌してお湯にゆっくり浸かりたい。
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【怒りを通り越して、冷静。】それでも一歩ずつ。
今日の仕事のやりとり。私「それで、地図はいつ発行できる?2015年は予算がないって話しだったよね?」
12月上旬日本語の地図を完成させていた私。かれこれ2か月、いろんな理由をつけられ放置されていた。
参照:12月17日『それ一体どういう状態だよ!』
12月15日『バトル?配属先にごねてみようと思う』
イブ「何回も言うけど、隣島のデータがないと、予算は降りないわ。」
はー。
私「またこの話し?もう3回も部長と一緒に話して、問題ないってなったじゃない。」
イブ「でも、スンバワ島のデータがないと、あとで問題になるのよ。だから予算はない」
もはや「だから予算がない」、の『だから』の意味も分からない。
私「いや、いや、いや。部長と3人で話して、観光地に置くくらいだったら、スンバワ島なくても大丈夫ってなったよね?」
なんで、こうも同じ会話を何回も何回も何回も。繰り返さなきゃいけないんだろ。
さすがに今回だけは引き下がれない。
ある程度の時間を割いたし、私だけじゃなくたくさんの人がかかわった地図だから。
そこで手をさしのべてくれたのが、私の隣で仕事していた仲のよい同僚。年も割と近い。
私の矯正前のまねしてくるサルガさん
サルガさん「スンバワのデータなんて必要ないよ。ただの政治的な理由だけでしょ。予算も関係ないし、そこまでスンバワにこだわる必要はない」
と、年齢もそのイブより20も違うのに、そのイブに向かって言ってくれた。
ちなみにイブは50歳オーバーの課長。
味方がいないと思っていたから、すごいジーン、、としてしまう。ありがとう、サルガさん
驚いたのは、その後のイブの態度。
イブ「そう?確かにスンバワの情報待っているの時間かかるから、印刷しちゃおう」
は、はい?
私、唖然。
言葉が出ない。
私の頭の中で、「本日終了のお知らせ」の合図であるホタルの光が流れ始める。
そしてジワジワ腹が煮えてくる。
なんでやねん!!!!!!!!!!!
この2か月、なんだったんや!!!!
このイブとは人間関係うまくいってると思ってたんだけどな。
まぁ、でもとりあえずは一歩だけ進んだ。
そのサンプルが出来上がることを、首を長くして待っていよう。
一歩進んだ繋がりで言えば、ずっと前に航空会社に打診していた、ロンボクについての雑誌掲載。
★8 tings to do in Lombok
★To Mt, Rinjani
どんなに進捗確認をしても、連絡が止まってしまっていた。
これがだめなら、他媒体に掲載してもらいたいと、
「If there will be no answer until this week, please forgive me to ask another magazines.
I'm terribly sorry to bother you, but I am waiting for your reply.」
(今週中までに連絡をいただけない場合、他雑誌へ打診する旨ご了承ください)
とちょっと強めに送ってみた。
するとなんと!
航空会社のマーケティングディレクターから電話かかってきた!!!
ダメ元で送った私は、頭が真っ白になって、インドネシア語なのか英語なのか、自分が理解している言語も分からなくなった。
担当者「先ほどお送りいただいたメールの件ですが、弊社の雑誌にロンボクの観光情報を掲載したいというご意向でしょうか。」
私「Ya, yes.(は、はい。) I already sent a file to you before, tapi belum ada reply」
話す言葉も言語が混ざってぐっちゃぐちゃ。けれど、相手は英語を話すインドネシア人だったので、事なきをえた。
担当者「そうだったのですね、実はお送りいただいたファイルがまだ届いていなかったようで。もう一度お送りいただくことはできますか?」
はいよろこんで!!!!!
その後のメールで、
担当者「編集者に確認しますね。掲載可能な日程等、またお戻しできると思います。」
はい、よろこんで!!!!!
こういう、昨日にはなかったちょっとした喜びがあるから、頑張れるんだなあなんて。
その後、社内メールのCCにいれてもらい、3月か5月に掲載できる?的な流れになってます!!!!!!
おーまいぐっどねす!!!!!
今日はスキップして帰ろう。
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【派遣後の健康診断】1年の身体の移り変わり
12月の総会時にジャカルタにあがり、1年2か月ぶりとなる健康診断をうけてきた。その前の体調不良時に一度血液検査をして、色々abnormalだったということは前のブログでも触れた通り。
その結果を健康管理委員さんに提出したところ、「12月にちゃんとした健康診断をするので様子を見ましょう」と言われていた。
その結果が返ってきて、色々うけた。
インドネシア派遣前から、いろんな人に「体重と、悪玉コレステロール、総コレステロール値はあがるよ」との伝言をもらっていた。
食事が脂っこいものばかりだし、塩分・当分過多なので仕方がない、らしい。
そのつもりで診断結果を見たら
LDL(悪玉コレステロール):86mg/dl →68mg
HDL(善玉コレステロール):88mg/dl →72mg
総コレステロール :183mg/dl →161mg
コレステロール全部下がってるー!
どういうことだろう・・・日本にいた時より下がるって・・・
他にも
リンパ球:34.8% →22%
赤血球 :405→348
血色素 :12.4→10.9%
ヘマクリット:39.5%→31.5%
血小板 :21.4→19
血液濃度というのか、全体的に下がってしまっているようで、今回の健康診断で「軽度貧血」という結果となってしまった。まあ今すぐなんとかしなくちゃいけないレベルでもないらしい。
というか、すべての数値が勢いよく下がっていて、BUNとかS-GOTとか、S-GPTとか、何がどこにどう作用しているか分からない値まで見事。
気になる?体重は、訓練所前の体重より+2キロ、訓練所で6キロ増えたことを考えると、任地では-4キロ ということに。
ドクターには、「疲れやすくなったでしょう」と言われ、あぁなんかちゃんとしなくちゃあかんなーなんて改めて実感した今回の健康診断でした。
ということで、コレステロールの心配しなくてよくなったぽいので、これからはきちんと食べて、しばらく行っていなかったジムにも改めて通い始めようと決心。
健康、ダイジ。
今からジム契約してきます。
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【仕事の整理】と、OLみたいなランチ
一昨日に「やるぞ」という記事を書いて、それから本当に自分でも怖いくらい、何かにとりつかれたように集中。まだ3日目だけど書こうとしないと、ここの日記を書くという、私にとって大切な時間がなくなってしまうので。
ふと、手がゆるんだ今。ちょっと更新。
日本への一時帰国は、自分が思ったよりも大きな恩恵をはこんでくれていて。
残りの期間が意外に少ないという事実が、自分の手や頭を動かしてくれています。
朝から過去の活動をまとめ、3か月レポートのインドネシア語バージョンを作成し、今後やっていきたいことの優先順位をたて、早速取り掛かり始ました。
残り9か月の活動として、メインは若い子たちにロンボクの将来について考えるきっかけを増やしたく、
①住民の観光意識の向上 :観光学校でのワークショップ
タスク:学校リスト集約、環境隊員の授業に一度訪問、配属先からの書類手配、スケジュール調整、アポイント取得、授業内容の準備
→これが起動にのったら、実際に出た観光プランをロンボクの旅行代理店に販売
②高校生向けのアイディアコンテスト開催
企画:審査員に、私の配属先やロンボクの観光関連組織、また景品としてホテル業界からスポンサーを依頼し、ロンボクの高級ホテルをプレゼント
→これは①の活動を軌道に乗せてからの第二ステップ
あとは、同時並行で日本からのメディア誘致。
③2月末にあるイベントのロケに向けて、企画書作成等
まだ決まっていないけど、関係省庁へ訪問して詳細を確認したり、そのイベントの詳細を調査したり。
④ロンボクのPRビデオを作成
知り合いがお声がけしてくれて、ロンボクを撮影地にプロモーションビデオ作成に向け企画書作成中。
上記4件をメインに、残り9か月を駆け抜けていく予定です。
これらの活動は配属先から全く理解されなくて、最初はかなり苦戦。けれど、この活動が配属先にではなく、ロンボクの人達には必要だと、多くの人に励まされて、勇気づけられ、なんとかここまでやってきました。
2月中旬までは、各省庁との調整期間にあてるのでもう少しバタバタしそうですが、なんとか頑張れそうです。
今日は朝の7:30から気づけば12:00。
事務所の喧騒も頭に入らず、ずっとパソコンに向かっていました。
同僚たちは、ボスが出張でいないからと早々に帰り、今私は所内に一人。だからはかどるのかな・・・
「お腹減ったなあ、我慢するかー」なんて思っていたところ、普段こない売り子さんが事務所を訪れてくれお昼ご飯をゲット!
左:フルーツサラダ 60円 真ん中:ミートボールみたいなの50円 右:プルチンという空芯菜をゆでたサラダ 50円
これで、水が一滴も飲めないくらいお腹いっぱいになれる私の縮んだハラ。
コンビニで買ったOLランチとは言えないけれど、なんだか笑った今日のランチ。
と、トイレから戻ったら、ペンになんかがついてたヒトコマ。
【自宅待機解除】
先週発生したジャカルタでのテロで、昨日まで自宅待機。毎日安全対策のメールが入り、同期の間で「不安だね」とつぶやく日々。
こんなーに、のほほーんとしたロンボクが、その対象になっているなんて信じたくないけれど。考えても仕方がないか。
山賊が出るからって南に行くことが禁止されて、休みのたびに行っていたサーフィンもできないし、
おいしいご飯を食べに行く観光地も、しばらくはいけないみたい。
本当、想像を超えて何かが起こるなー。
新しくはけ口を探そう。
私は元気です。
帰国後すぐに、来月のイベントに向けて日本のメディアさんが興味を持ってくれ、招待に向けてまたがっつり動こうと思っているけど。
暑さで、やられる。
暑すぎるよロンボク。40度くらあるんじゃないかこれ。ちょっと外に出ると、5分くらいで肌がジリジリする。
でも今年は、やるんだ。
去年できなかったことを、今年はやる。
寝不足になろうが、誰かと衝突しようが、
ここの残りの任期をかけぬけるんだ。
っていう決意表明でした。今週、来週あたりからきちんとブログに戻れるように体制整えます。
取り急ぎ。
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【ブログ再開】日本に一時帰国!
年末年始に日本へ一時帰国をしてきました。任国外で行ける20日間をまるまる使い、日本を堪能!
たくさんの人たちに会って、「相変わらず元気だよ!」のヒトコトで満たされたー。
本当であれば一時帰国をしないつもりだったのですが、 いろんなタイミングが重なり、1度しか使えない日本行のカードを、任期残り10か月弱の時点で使うことにしました。
結果、本当にかえってよかったな、と思っています。
日本に帰った日。
飛行機が着陸態勢に入ってから見えた、東京の夜景。
飛行機がついて、Tokyo International Airportの文字を見た瞬間に、なぜか涙がとまらなかった。
飛行機を降りて、冬服に着替えようと入ったトイレでは、あまりにキレイで高機能すぎて、写真を撮り
着替えるだけで、音姫が勝手になってしまうもんだから、ソワソワして結局トイレの外で着替えた。
入国審査に向かうまでの長い道を、終電近かったので急いで向かうのに。
どんどん追い越されていくのには衝撃だった。でもみんな走っていないの。
ロンボクにいる間、「急ぐ」ことを忘れていた私は、歩くスピードも自然にゆっくりになってしまった模様。
満員電車ででっかいバックパックをかかえて、ドキドキがとまらなかった。
日本に帰ってきたんだ。
ゴミが一個も落ちていない川に感激し、
お祈りの合図や、クラクションがならない静かな町に驚き
修理のために行ったアップルストアで、お兄さんが腕にはめたアップルウォッチをみて、「今外は3℃ですって!ヘイシリ、インドネシアの気温は何度?」というやり取りに、頭が真っ白になる。
けれどそんな思いは翌日には慣れて、いつも通り、1年以上日本を離れていたなんて思えないほどすべてがふつうだった。
そりゃニュースを見て、
「えー!この人結婚したの!?」なんて芸能ニュースも、
大学時代の友達が、2人エンゲージリングをはめて
1人に、第一子がうまれ
1人に、第二子がうまれ。
周りの環境の変化はたくさんあったけれど、日本は、自分が思っている以上に何も変わっていなかった。
1年2か月で、変わったと思っていた自分も、日本に帰ったら何も変わっていなかった。
極楽すぎて、
温泉に癒され、日本食を堪能し、大好きな友達や前職の方たちに会い、ちゃっかり誕生日まで祝ってもらい。
日本に思い残すものは何もないのに、正直、帰りたくなくて、ロンボクに戻りたくなくて。
後ろ髪をひかれる思いで空港を背に、昨日任地に帰りました。
蝉がないてて、くっそ暑い任地。空港は出稼ぎの人達を迎えるための家族でごったがえし、たくさんの視線を浴びて、「帰ってきたな」と実感する。
ちょっと落ち着こうと、キンキンに冷えたココナッツウォーター を飲んで、「あーこれこれ!」と思ってしまう自分に笑い
20日間閉めっぱなしだった我が家に帰り、恐る恐る扉をあけ家をチェックする恐怖に耐え、
久しぶりに会った大家さんから言われた、「Mizu, Sepi. Saya kira pulang menikah(久しぶりじゃない。結婚しに日本に帰っちゃったのかと思った)」のヒトコトで笑った。
同僚から来たSMS「Teman 2 sudah rindu Mizu(みんなみずを恋しがっているよ) 」を見て、あぁ早くみんなに会いたいと思う。
家を掃除して、洗濯やさんに頼んでいた服を着たら、いつもの柔軟剤の匂いがして安心した。
あれだけ帰るのが嫌だったのに、やっぱり私はここに住んでいるようで、落ち着く我が家に戻ったなあ、と感じる。
そういうことを含め、自分の居場所はここだぞ、と認識できた一時帰国でもありました。
インドネシアでは、今日ちょうどさっき、ジャカルタでテロと思われる爆破事件が発生しました。
私が日本にいる間、大使館から緊急メールが来て、私の任地である観光地が狙われているから近づかないように、との連絡も受けました。
12月頭には、ロンボクで山賊による観光客襲撃事件が発生しています。
治安の問題で、これからどうなるか全く分かりません。
ただ、最後までこの地でやりきりたいという想いは、日本に帰ってから強くなりました。
どうか、何事もなくこの地で任期を全うできますように。
2016年も、応援いただけると嬉しいです。
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