青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【先輩、突然の任短】2年間の活動を全うすること

1 件のコメント
この1、2週間。
忙殺の極みだった。




だからこそ、その期間中に突然一番仲のいい先輩の任短が決まっても。
私はいつまでたっても実感がなかった。


先輩というより、同期だと思っていた。色々あって、ロンボクに赴任した日が一緒だったから。





ロンボク島へは、私たちが赴任してから後輩隊員が入ってくるのに時間があいて、しばらく隊員は、海さん(アラビア語のあだ名)と私の二人だけ。




だからこそ、
よくお泊りもしたし、
しょっちゅうサーフィンもしてたし
富士山級の山にも二人で登りに行った。


二人で一緒にやったことなんて、ここじゃ書ききれないし、
海さんの職種から、海さんの考え方から、たっくさんのことを考えたし、影響を受けた。






海さんがしんどそうなのは、私も知っていた。






任短理由はかつて私が考えたコトと同じ。いろんな理由があって、活動ができない。








そんな海さんから電話がかかってきたのは、私がロンボクでロケハンをしている最中。

電話はよくしていたけど、なんだか様子がおかしくて、


「海さん、どうしたの」と聞いたら、海さんは泣き出してしまった。





話しを聞いて、私はその場で何も言ってあげられることができない。





海さんがこれ以上配属先で活動ができるとは、もう思えなかったから。
だからと言って、私は「日本に帰ろう」とも言えなかった。







任短が正式に決まったのは、その電話がかかってきた3日後。




JICAに話した海さんは、その後土日を挟んで5日後に、日本へ帰ることになった。







任短は、思ったよりあっという間で
思ったよりあっけなくて
でも、思ったより残された身はずっと心に引っかかってしまうんだってことが分かった。





帰国日がたまたま出張で隣島にいく前日で、私は急きょロンボク空港に見送りに行った。


ありのままを書いたつもりの手紙を渡したら、


身体が「なんかいつもと違うぞ」ってなって
やっぱり涙が出てしまう。



どうしようもない気持ちになった。







幸いにも、任短が決まった海さんの顔は明るく、晴れ晴れしく、嬉しそうだった。








空港から帰る途中のタクシーで、「2年間の活動を全うできること」が当たり前じゃあないんだって感じる。







最近のバングラで起こった邦人殺害で、イスラムであるインドネシアでも安全対策の連絡が頻繁に入る。



安全対策上で、ブログ内で記載してはいけないキーワードや内容も、指定されている。







チュニジアの同じ生活班だった同期は、治安の理由で1年で任国が変更になった。





ブルキナの協力隊の友達も、1か月ほど情勢不安で避難していたそう。








私は今でも、交通事故を起こした時に、同期に言われたことが忘れられない。


「生きて日本に帰ろうね」







協力隊の活動ってなんなんだろうな、って思う。

自分の意思であれ、そうじゃなかれ、任短をして2年間を全うできない人が、私の周りにもたくさんいる。










私も一時期、任短について悩んだことがある。
【幸せだけど、これでいいんだろうか】任期短縮ということを考えてみる






私がそれを乗り越えて、踏みとどまったのは、それでもまだ出きることがあると思ったから。




でも、身体も心も健康で「日本に帰る」という最大のミッションを達成しなければいけない私たちにとって任短は、ネガティブなことじゃあない。
周りの目なんて気にせず、「帰る」ことを一番に、自分が納得できればそれでいいんだ。









身近な人が任短になって、今一瞬を、もっと大切にしないといけないと痛感する。




もうすぐ1年。
そう思わせてくれるには、十分すぎる出来事だった。




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1 件のコメント :

  1. なんか、苦しい話ですね。
    自分は現役隊員ですが、まだ知る限り任短を考えている同期はいません。
    でも2年の間にはそういう考えも浮かぶんでしょうね。
    活動できないって状況、まだよくわからないけど、自分も友人も、そういった状況になった時にどう行動しようかっていろいろ想像しました。

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