とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【帰国まで28日】案外感情さらさら。

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月曜日から観光職種の分科会のため、首都ジャカルタへ。ドミのネットが調子悪くてパソコン開けず、久しぶりに見る帰国までのカウンターに驚く日々には相変わらずなれない。



残り28日。
28日と言ったら2月のあのざわつき、というか。
「やっぱり31日と28日だったら、心の持ちようが違うな~」っていうアレじゃないか。



FBで同期が続々帰国している投稿をあげ。
私の任期も残り4週間。
ロンボクにいれるのは、残り3週間。




ジャカルタにいる間に、職場での最終プレゼンの日程が確定。それからあれだけ苦しめられていた、最終報告書が完成。



12ページに及ぶレポート。大学の卒業論文なみに頭を使う。(なかなか日本語が出てこずに苦戦。)

ただ終わったのは日本語のみで、これから3日間かけてインドネシア語に訳します。




ちょっとでいいから、落ち着きたい。








昨日まで滞在していたジャカルタ。
天気よくて、高層ビルに雲が反射してた!





赴任した当時、半年に1度あがった際はあれだけ


刺身ー!酒ー!豚肉ー!
生卵食べれるー!
高層ビル、都会ー!
うわーっ!うわーっっ!

ってなってたのに、
なんだかんだ1か月に1回は、仕事なり用事なりがあって首都へあがっていて。

「うん、やっぱり快適だよね。」という感じで、今回は特に何の感情もわかなかったというのが正直なところでした。






それでも滞在中、任地の山が噴火して。
日本でもニュースになったようで。
心が落ち着かない日々でもあったりして。



私の心が帰る場所は、やっぱりロンボクみたい。



次この空港へ来るのは、日本へ帰るとき。なのに。
一番最初にロンボクへ降り立った日に、田んぼにヤシの木が無造作に生えていたのに感動した、思い入れのある道なのに。

たぶんここ最近感情にずっと、テンションがかかっていて。
なかなか想いに浸れず、案外さらっとしている。




涙もろい方なんだけど。
泣くのかな、私。


ロンボクを出る日は、それでも浸るのかな。
わかんないな。


帰国前28日の気持ちは、意外にサラサラ。


最近ネコが部屋にいる率高め。


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【帰国まで35日】毎日バタつく日々。

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ようやく金曜日が来た!報告書の進捗が思ったよりはかどったので、ちょいと休憩。
いよいよ同期が任地を離任。気をつけて帰ってね。




帰国まで35日。
週明けに急きょ決まった分科会のため、1か月ぶりとなるジャカルタへ。帰るころにはもう10月じゃないか・・・




分科会のため、一つ報告書を終わらせて。
仕事中には、相変わらず私の彼氏を探してくれる同僚たちと談笑。

最近やたら食べ物を恵んでくれるイブがいるんだけど、胃袋つかまれたら最後。日本にいる息子との本気の結婚話になる。

部署全体で「彼氏いないのなら、イブの息子いいじゃない!」と真面目な顔で言われ。
紙に日本の住所を書いて、と言われ。
速攻で日本にいる息子さんに送られる始末。
息子さんの写真を見せてくれるイブ。


なんでこういう時だけ、一致団結して集中力発揮するんだろう。こればっかりは2年いてもなお、謎。





仕事終わりにも、友達に会ったり。
昨日は友達のインドネシア人に誘われて、とあるホテルのパーティーに参加してきた。



月に1度、ホテル側が開催しているお客さんとのコミュニケーションの場。
名刺をもって、ホテルのマネージャーやディレクターに挨拶をする。




「2年、観光の仕事で来ています。」というと、もっと前に会っていれば、できることがたくさんあったあもしれないね。という話になる。





それな。





でも1か月前にこやって出会うことにも、きっと意味があるんだと、楽しませてもらった。




この写真のマネージャーが言っていたことで、インドネシア人でもそういう考え持っているんだなーって思ったのがこんな会話。




「When I was a child, I asked my father 

(私が小さいころ、父親に「お金持ちになりたい」と言ったの。)

"Dad, I wanna be a rich."


And he said

(そしたら彼はこう答えた。)

"If you want to be a rich, you have to do only one thing. That is to give to anyone, even though you don't know that person."

(お金持ちになるには、たとえ知らない人にでもGIVEすること。)

Give your passion, give your kindness, give your love. Give but other than money.」

(それが情熱だったり、優しさ、愛。お金以外をGIVEすること。)




この言葉日本にいる時に、実業家の勝間和代さんからも聞いたことがあって。

とにかく与えること。giveしてgiveしてgiveしてgiveしても、返ってくるかもわからない。それでも与え続けること。





ロンボクという地で知り合ったインドネシア人からも、おんなじ話を聞くとは思わなかった。人間はどこにいっても人間なんだな。




いつもいる世界を踏み出して新しいロンボクの一面を発見。
とても貴重な時間でした。



(アルコールもフリーだったし。)
(ワインおいしかったし。)



まあ、ただやっぱりもう少し前に出会いたかった・・・。



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【帰国まで38日】報告書に追われる日々。

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同期たちの帰国が10日を切った。
インドネシアは出発時にビザの取得が2か月かかり、出国が1か月遅れたので周りだけがおまつりムード。



FBやブログ、インスタグラム上で帰国準備の投稿が増える。




もうこればっかり書いているけど、9月に入って忙しない状態が続いていて、
同期の投稿を見て、


ひゃー!

となり、自分のおかれた状況にも毎回、ひゃー!となる。
今となっては身の回り360度が何かのトリガーとなってしまっていて、気持ちが落ち着かないのです。


10月20日に離任するので、ここにいれるのもちょうど1か月となりました。
一か月後の今、ロンボク空港に向かっている自分は何を考えているのかしら。

今日から、タイトルには帰国までのカウントダウンにしてみたりする。


あと38日。


気づいたら部屋でくつろいでいたネコ。こっちがビックリした!





「あえて投稿を増やす」なんて前回書いていたくせに、
ここまで逃げてきた報告書に追われ、こうやってブログに向き合う時間がなかなかとれない;;
だから今日は早めに出社して、あえて時間を作っておりまする


報告書1.まずはコイツ。2年間の活動を月ごとに洗い出して、どんな活動をしていたかの活動表。インドネシア語オンリー。



報告書2.配属先のお土産のレポート。ようやく日本語が終わって、これからインドネシア語に訳す。日本人がロンボクのどんなところに魅力を感じて、どこにガッカリするかとかをまとめたもの。


報告書3.JICA用の5号報告書。これはなんなく終了。


報告書4.一番厄介、最終報告書。今のところワード12ページに及ぶ今まで2年間の報告書。これはインドネシア政府向けなので、割とちゃんとしたやつ。日本語が60%終わって、そのあとインドネシア語・・・まだ先が長い・・・




この他にも活動結果表というやつがあり、まったく手につけてないけど、ぺライチだからこれは後で。それからジャカルタでの最終報告用にプレゼン資料を作って・・・

スケジュール的にこれらを今月中に終えたい希望があったのに、なんか無理っぽいな。。



写真データ引き出すのにも、インターネット遅いからダウンロード時間かかるわ、停電になって仕事できなくなるわ、おしゃべり始まるわ。・・・切り替えよ



そんな帰国まで38日。

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【ホットがおいしくなる季節。】ゆるやかに生きています。

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つい最近日本にいる姉が「ホットがおいしくなる季節」って言ってて、9月も16日間が過ぎていることに気づく。




後頭部を殴られた気分になっている。
いよいよ秋の到来なのですね。




このブログ、「青年海外協力隊」というランキングに参加しています。
(記事最後のアイコンをクリックしてもらうことで、上位表示される仕組みです。私からはどの方がクリックしてくださったのか分かりません。いつもありがとうございます。




ちょっと前はだいたいが先輩隊員で。「先輩、すごいな~」と思ってチェックしていたのがいつのまにか最後に送られる隊次になり、「みんな一生懸命頑張ってるんだな~」と、また違う感情で読ませてもらったりします。


2年間確実に年をとりました。








ロンボクは最近、焦げるような暑さが和らぐ。セミが堂々と鳴き出して、雨季の始まり。







任地にいれるのはあと1か月。
お客さんがいらっしゃる事や、業種の分科会、最終報告会などを含めた1か月。

そしていつまでも進まない最終報告書や5号報告書、活動結果表などの提出期限が3週間を切る。





スケジュール調整が多く、すべての報告書を来週中までに仕上げたい気持ちだけはあるのに・・・




事務所に入って、作業を始めようと思ったら同僚が目の前に座って「あと1か月か~」とおしゃべりが始まり。



違う同僚と目が合うたびに「みず、コーヒー飲みに行こう!」と外へ連れていかれ。


この日、これが3回続いた。


郵便局からの帰り、そのまま仲のいい職場の友達に拉致され、本日2回目の朝ごはん。



友人からは、「記念に」とキレイなアチェ模様のポーチをいただき。

どこかにお出かけしていた同僚からは、バンタルと呼ばれる食べ物をどっさり。


この1週間、ゆっくり席に座って作業をする時間もなく、できるだけだれかといる時間を大事にしようって、全部について行ってる。だから作業は全く進まないけれど、もうそれでよいです。夜、家で片付けます。

救急車にギュウギュウ詰めに乗って、後輩隊員の活動先へ!


日本行きのチケットが送られてきて、
ジャカルタへあがる時のチケットも決まり。
最後の家賃を払わなきゃな、とか。
お世話になった日本人のかたたちに挨拶したいな、とか。

何に忙しくしているわけでもないんだけどな。
バタバタ、せわしない。









これだけ気持ちが整ってきていても、やっぱり職場を去ることとか、ロンボクからジャカルタにあがる飛行機、2年間ずっと一緒だった同期と別れる瞬間、それから帰国の飛行機の中。

そういう一番大事な具体的な事だけはすっからかんで、想像できないし、想像しないようにしてる自分もいたりする。



そんな1か月前です。





協力隊として、会社の退職から訓練所、赴任からの730日を残してきたこのブログも、あと1か月ちょっとで終わり。

ここまで来たら、最後まで書き続けたいなー。
けどたぶんこんな感じで、ゆるーく終わっていくんだろうな。残り任期、あえてブログを書く時間を増やそうと思います。


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【任期短縮を考えていた私の、2年の成果。】つらいことは、ここに封印。

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すっごく今更、8月のブログのアクセス数が3,500となりました。ヤッター!!



中には、メディアとしてしっかり運営している協力隊員もいて。本当にすごい。
それに比べて自分のブログ。もっと頑張るべきだな、とも思う。





でもやっぱりアクセス数を気にして、書きたいことを自分の中で制限するのはヤだし。
伝えたい事を二の次に、SEO対策でKWを~なんて他の事に時間をかけるのは、やめたい。



私にとっては想定以上に足を運んでくださっていて。感謝でしかないです。テリマカシ





今日調整員さんから電話があった。



VC「その後どうですか?配属先は相変わらずですか?」


私「はい。私の活動に関する局長からのサインは結局この2年間、一度も下りませんでした。でももう自分の中では割り切れましたから。」



VC「みずさんの自己評価結構厳しめですけど、そんな事ないと思いますよ。このインドネシアで、○○も○○も結果出してきたじゃないですか。何もできない隊員もいる中、もっと評価してもいいと思いますよ。」








家に帰って、過去自分のブログを読み返す。
このブログでも一番のアクセスがある、任期短縮について考えていた日々。
今でこそ、割りとイージーモードで任期を終わらせようと思ってるけど。
せっかくだから任期短縮を考えていた私の2年間を、さみしかった想いをここで終わらせたいなと思っている次第です。








思い返してみれば、ずっと、ずーっと悩みっぱなしだった。

2年間どんなに頑張っても、どんなに私が向き合っても、結局活動の承認は下りなかった。
2年経って、今なら割り切れる。
今だからようやく、色んなことが許せるようになっている。






努力だけじゃあどうにもならないのに、それに気づけない時期はすべて自分に非があると思ってた。

言葉ができないから、経験がたりないから、コミュニケーションがたりてないから・・・。



しんどかった






「こういう活動がしたい」と配属先に相談しても、だれもまともに取り合ってもらえず。
外で活動をしようものなら、「みずだけ外に遊びに行っている」と嫌な顔をされ。
企画書を作って、配属先にプレゼンをしても。

その場では「いいね!すっごくいいアイディアだ!」となって、ハイ、じゃあだれがやる?シーン





自分のやっている活動を知ってもらおうと、職場に対してレポートを作るも。部長室の書類の山に眠ったまま、だれの目にとまることはない。そしてCPがいなくなった時に、用務員にゴミ箱に入れられた。



誰に言えるわけでもない、どうしようもない気持ちになった。




そんな配属先を見放して、一人でメディア誘致の活動をはじめた。
日本の番組サイドと連絡を取り合い、
地図のデザインを考えるために、たくさんの資料をかき集め。
真夏のロンボクを練り歩いて見積もりを取りに印刷会社を探した。


メディアツアーを開催するために、旅行プランを作り
撮影のためのロケーションハンティングをしに、各観光地にいった。




動いているときは満たされるけど
それでも、頑張れば頑張るだけむなしくなって。
なんで一人でやってるんだって、

私が今日ここで、外で活動していることを同僚たちは知らない。だれも知らない。





そんな時に1人目のCPが逃げるように職場を出て行った。
不安だったけど、チャンスだと。



今までずっと我慢してきた事を、二人目のCPの時に伝えようとした。



毎日、CPがいる時は部長室に入り。
些細な話をして、関係性を築こうとする。
最初は日本語を覚えようとして、笑顔で話してくれていた。



でもだんだん、「責任」がのしかかったCPの態度が変わってくる。
部長室に入ると、要件もまともに伝えないまま、目をあわせてくれなくなった。

来客があるからと、部屋を追い出されるようになった。





3回連続で、JICA調整員のアポを当日にすっぽかされ

ついに、その2人目のカウンターパートも8か月で職場を去っていった。



私はだれと活動をすればいいのか。
だれを信じればいいのか。
だれにこのさみしさを伝えればいいのか。



苦しかったからこそ、落ち込んでいくだけの自分が怖くて、すがれるものにはすがりたくて。それが今年の6月。
カウンターパートと部署の異動をJICAと配属先に希望し、話し合いの場を設けた。
ただそれも結局うまく機能しないまま今日にいたる。






毎日、毎日。
この職場の中で、自分たった一人が悩んでいた。



どうしたら観光客が安全に旅行ができる?
どうしたら、ロンボクを訪れる観光客が増える?
どうしたらバリからもっと足を延ばしてもらえる?
どうしたらゴミのポイ捨てがなくなる?

どうしたら、どうしたら・・・




任地が嫌いになる。

陽気に話かけてくるネシア人に、ひどくイラついて。そっけない態度をとる。
挨拶をしようと、握手をしてきてくれる手を拒む。
遠くから名前を呼ばれても、聞こえないふりをする。

私がいる後ろで、私についてササック語で話している。
「彼女どこに住んでるの?」
「○○ホテルの裏だよ」
「毎日○○を食べてるんだってよ」


ここだけは気を抜く場所、と決めていた場所が、居心地が悪くなる。やめてよ。勝手に住んでいる場所を教えないで。


もうほっといて。


まちに出ると、だれかにすれ違う。
それがいやで、家を出なくなる。そんな時期が、ついこの前まであった。



埒があかない。
報われない。

そんな感情だらけ。


苦しかった事を、今こうやって思い返しても。まだやっぱり苦しい。




思うわけです。みんな成果を出そうと必死になる。
私も何か一つ残したいって、それだけ思ってやってきた。




でも



できたか、できなかったか。
何をしたか、成果をあげたのか。
それは重要な事じゃあない気がしている。



結果は出した。
多くの人が、「すごいね」と言ってくれるような結果。
でも自分は何もできなかった、と思ってる。
何をするにも、どこに行くのも一人だった。
どこまでも一方通行でしかなかった。



一遍でしか見れない成果なんて、報告書用の一つの判断軸でしかなくて。


でも

しんどかったことは
自分の経験値として、ただ蓄積していけばいいんじゃないかなって思うのです。





この前ジャカルタにあがった時に、すでに去っていったVCにこんなことを言われた。



「みずさん、今までの人生で挫折した経験ないでしょう。あなたはこれからも羽ばたける人です。だから、この2年間が今後の人生のための挫折経験であっていいじゃないですか。」





私の2年間。
なんだったんだろう。

もちろんつらいことを上回る経験ができているからこそ、結局任短をしないで、ここまで来た。




ここに来てようやく私のこの2年は、挫折経験だったのかもしれないな、と腹落ちしてきているわけです。挫折を味わえた、ということが、この2年間の成果なんじゃないかなと、言ったら怒られちゃうかしら。





それを認めてしまう、これまたさみしさもあり切なさもあり。

でもここにすべて封印したくて。





今ではここが大好きだから。
同僚との一人ひとり、やっぱり嫌いにはなれなかったから。

残りの任期を少しでも笑顔で、温かくて、楽しくて。
思いやりとか、素直さとか。
そういう明るい事だけで終われるように、この記事を最後に、ここに置いていこうと思う。




挫折!いいじゃないの。
昔の自分より、人の痛みがわかる!そしてだれかに優しくなれる!気がする!!


最後までこんなんですんません。
でも最後まで、もう少し。こんなかんじです。


色々あったなあ。2年間。でも最後はやっぱり、「楽しかった!」って終わりたいです。

想いあふれて長文になってしまった。。。
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【きこくまで50日】なんでもない日々。

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やっぱり投稿する、50日前の記念記事。書こうと思っていたわけじゃなくて、ふと気づいたら「わぁ」。となったので、徒然なるままに。




ジャカルタから帰ってきて早10日。
今では症状もなんもでなくなって、健康そのもの。
あのしんどい日々はなんだったんだろうと思うくらい、今ではケロっとしている。





事務所に入った初日、なぜか噂が一人歩きをしていて同僚だけではなく、知らない人からも「体調悪かったんだって?」と言われる始末。




「えーっと、ごめんなさい。あなたどちら様?」



とは言えない。「お蔭さまで、すっかり元気ですー」なんて笑顔を振りまいたりしている。




100人いる同僚。だれかとすれ違うたびに必ず、「Tumben! Sudah sembuh?(久しぶり!もうよくなった?)」と声をかけられ足をとめる。そして少しだけ話して、もうすぐ帰国だね、ってなる。毎回これでもかっ!ってほど同じ会話を繰り返すだけ。でもどうしようもなくさみしい。







私の勤務している部屋に入る。机は残されているが、椅子がない事に気づいた。



私「Eh, kursi saya hilang...(私の椅子がなくなってる)」

同僚「Kemarin ada tamunya(昨日お客さんが来てたんだ。)」

私「Dari?(どこから?)」

同僚「○○(政府組織)。」

私「Dia mau apa?(何の件で?)」

同僚「Mereka bawa proposal untuk halal tourism(ハラルツーリズムの件で企画書をもってきてたよ)」

私「Boleh saya lihat?(見てもいい?)」




と言ってプロポーサルに目を通すのが、戻ってからの第一仕事だった。

あえてインドネシア語を書いたのは、このなんでもない、簡単なインドネシア語でしかやりとりしていないただの会話が、私にとってすごくうれしかったから。




部署異動をして、新しい環境で働いた経験。
気がはってしまい、同僚と仕事の話をする時は「よいしょ」と気を奮い立たせなければいけない状況が続いていた。



だからこそ3か月たった今、仕事面での会話を日本と変わらないナチュラルな感じでできることがすごくうれしいのだ。







昨日の帰り。
市場まで20分ほど歩き、そこから乗り合いバスにのった。
ルートが決まっている。
運転手に目で合図したら止まってくれたので、私は後ろから乗り込んだ。











ヤギがいた。





さすがに乗り合いバスにヤギがいたことはないので、思わず写真を撮った。
後ろ窓しか空いておらず、匂いがこもる。
むっしあつい中で、ヤギの匂いがしてバスの後ろへ移動し、外の空気を吸おうとした。












バスの後ろは馬だった。







その乗り合いバスは、いつもと違うルートで左折し、どんどん知らない村へ入っていく。
おいおい、と思いつつ「まあいつか帰れるか」と思って降りないでいた。

ついた場所は海の目の前のヒンドゥーのお寺。どうやらヤギの飼い主が来ないことには、出発できないらしい。





どうしようもないので、近くのおじさんからココナッツジュースを購入し、30分近く海を眺めてぼーっとする。
運転手に呼ばれ、バスに乗り込んだ。






前も同じような事があって、どこに行くか分からないバスに不安になってえらく焦った事を思い出した。
それに引き換え、焦っても仕方ないとリラックスできる今の自分。







これが帰国まで50日の日々。
なんでもない。本当になんでもなさすぎる。

同僚とのなんでもない会話や、見慣れたロンボクの風景。



日本に帰ったらきっとこの日々を忘れてしまう。
今の自分の「普通」は、日本に帰ったらふつうではないのに。そんな日々こそ、きっと忘れてしまう。だから書いておこうと思った。


色んなことがバタついている。
忙しない。
仕事ではなく、自分が最後までロンボクと向き合っていたいという気持ちが、毎日を忙しくしている。
有り難いよね。

赴任当時の自分に言ってあげたい。「大丈夫だよ」って。
そんな日々もあと50日。
昨日乗ったバスはこんな感じ。にしても乗りすぎ


ただの独り言になっちゃった。
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【やってみよう。】ローストビーフ丼が食べたい。

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ローストビーフ丼、日本でえらく流行ってますよね?食べたくてもないし、任地での生肉・生魚はやはりちょっと不安で手がでません。





鮮度の問題ではなくて(島だからたぶん鮮度はいい)、きっとお金触った手で調理してるだろうし、まな板とかどんな調理環境かがわからない。






任地で食べれないものはジャカルタにあがった時に食べるのですが、まだローストビーフを見つけられていません。







そして今私は、お世話になっている日本人の方の家に一定期間だけ住み込んでおりまして、キッチン使い放題という環境。自分の家だったら、炊飯器もないし、鍋もコンロも一つ。この機会にやるしかないでしょう!



任地でローストビーフ丼ができるのかやってみよう!の巻。








ちなみに私は料理のセンスはないのですが、昔バイトしていた先が日本料理亭に卸していた高級精肉店で、すき焼きとかローストビーフとかの作り方を教えてもらっていました。



なのでちょっと敷居の高そうな料理だけ、得意です。あくまで、高そうな、ですよ。










まずは牛ブロック。普通モモか肩ロースを使いますが、こっちのモモ肉はかみ切れないので今回はヒレ肉を。任地で作る場合は、一度肉を水洗いして、表面をこそいだ方がいいと思います。



お肉を常温に戻し(もともと常温のを購入)、塩と胡椒をこれでもか!!!とまぶす。量は適当。そんで強火で表面に焼き色をつけていく。

引きあげられた塊たち。中はまだ生。




こいつをラップに二重にくるむんですが、いかんせんこっちのラップクオリティー。刃で全然切れないわ、すぐにくっつくわでこれが一番ストレスだった。

ラップした塊たちをジップロックに入れて、
沸騰したお湯に5分(任地では長め)、火をとめて放置すること20分。



その間にソースを作るよー。

お肉が浮いてこないように、どんぶりを使って沈めておく。


タレはタマネギをみじん切り、肉を焼いたときの油へそのまま投入。きつね色になるまで炒める。



○水
○醤油
○みりん
○酢
○砂糖
○しょうが

を混ぜておいて、鍋へ投入。
分量はまた適当。同じ味は再現不可。

ちなみに酢はこっちのチュカを使用。

タレ完成。ちょっと冷やしておく。
われながらこのタレがうますぎて、分量はかっておけばよかったと後悔。





そして塊たちを鍋から引き上げる。
またしても問題発生。






こっち製のジップロック、湯せん対応してない。
スーパーとかのしっかりした袋の方がよかったかしら。
一部が解けて開けないくらいになってしまったけど、ラップをグルグルにしていたから大丈夫と思われる。



鍋から引き上げ、放置。
ご飯を炊く。

おしゃれな葉っぱがよかったけど、ルッコラとかなんとか、とかは任地にないので代用でキャベツを千切り、キノコを湯がいておく。




そして・・・










できたよー涙!!!
任地でローストビーフ丼。

めっちゃうまいーー涙!!!

写真だと完全に生肉っぽく見えるけど、ちゃんと火通ってます。作ったの2日前だけど、お腹も大丈夫!






この感動を共有する人がいないのはちょっと寂しいけど、ないなりになんとかなるもんだなぁと思った。どんなときも諦めないスタンスは持ち続けよう。




ローストビーフ丼を制覇したから、次は・・・アジのなめろうが・・・食べたいなあ。


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【帰任。】近辺整理

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8日間ぶりに首都から家に帰る。
今回も期間中、家の中にノー虫達成!やったあ。あの、扉を恐る恐る開ける瞬間が一番勇気がいる。


1週間だけだし、と思ってたけど。
この1週間で色んなことが変わっているロンボク。






私の家は官庁街で、屋台とかが少なくて困っていたところ、なんとこの不在中に2軒ものワルン(ごはんを食べるところ)ができていた。もうちょっと前からあってくれたら、どんなに楽だったんだろう・・・




それからこの1週間で季節が変わる。
あれだけ涼しくて、カラッとしていた暑さだったのに。帰った瞬間蒸し暑く、夜中もあっつい!暑さで目が覚める。


お昼は青空がのぞくけど、夕方ころになると雨雲が出てきて今にも雨が降りそう。もう雨季かなあ・・・
ロンボクはジャカルタより夏感ある。



そして自分自身。
ジャカルタ滞在中に、体重が1.5キロ増えてた!
ここ数か月何を食べても減ってしまう一方で、ちょっと気になっていたので。うーん、と思いつつちょっと安心している。




調整員さんに、トンカツやひつまぶしをご馳走してもらい


隊員とラーメンやしゃぶしゃぶを食べに行き
ジャカルタにいるお友達に日本食に連れて行ってもらい



移動はタクシーやし、食べる→寝る→食べる→誰かと話すの1週間。そりゃ増えるわ。なので任地に戻ってまずは自炊。





最初は日本の調味料とかで、日本よりの味付けをしていた私。
最近はインドネシアにある調味料を使って適当に野菜をいためています。
空芯菜、鶏むね肉1/4、テンペ(大豆からできる発酵食品)、ニンニク半分、唐辛子。味付けは塩、ちょっとの砂糖と、こっちで売ってるケチャップアシンという魚醤みたいなの。



これがねー。びっくりするくらいおいしいんですよ。
日本円にしたら全部で60円くらいなのかな。




お腹を満たして、部屋を掃除して、郵便局に行って家族が送ってくれたという荷物を取りに。これが最後の荷物受け取りになるかしら。病気がちの私を励まそうと、いつだって必死に応援してくれる家族。好き勝手、海外に来てるのに、本当にありがたいです。


頼んでないのにこっそり180mlの日本酒を入れてくれるあたり、ママの愛を感じる♡笑




9月かー。

上京している間に、そりゃカウンターは進んでしまっていて、あと56日です。
仲のよかった同期隊員が、任期終了後に別の国に行ってしまうという事を知ったり。次のステージに向かって歩きだしていく同期たち。

VCからは、最後の家賃に関する連絡、日本に帰国したときの面談の日程なんかが送られてくるし。




私もうかうかしていられん。






バタバタの9月、今月は3組の友達がロンボクに遊びに来てくれます。
配属先から要望をもらった報告書、
5号報告書、
活動結果表。

諸々5つくらいの書類関係をそろそろちゃんと向き合う。

そんで10月頭は分科会を予定しているため、気づけばたぶん任地引き上げまで1週間前とかです。



あっという間やな。
今月もきっと、アッという間。
手に取るように見える、帰国ということ。
後悔ないように、ちゃんと向き合うよ。


取り留めもない記事になってしまったけど、また時間かけて戻ってきます。
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