とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【さようなら。】隊員の送別と、ハッピーデー。

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一昨日、短期で派遣されていた隊員が任期を終了し首都にあがるということで。後輩隊員と一緒に空港に。




何日か前には送別会を開いて。

何日か前には、その隊員が開催した写真展に参加して。

何か月か前には一緒に地図を作ったりして。

それから学校へ行くための書類や、実際に彼の行く学校へついて行っていた。



ようはとてもお世話になった隊員。活動で作った地図の表紙は、その隊員がロンボクで撮影したものを使わせてもらった。




任地に馴染むのもいいところで、彼にはイスラムネームがあり、近所付き合いを大切にし、インドネシア人のようなヒゲをはやしていた。



空港には近所のおじさんたちが集まり、彼が空港の中に入るまで時間をつぶした。
特別なことは話さない。
いつも通りの感じで過ごしていた。





こういう日に限って、夕方ロンボクは晴れて。
夕陽がきれいで、風が涼しくて。
素敵な旅立ちの日だな~と。芝生の上でまどろむ。






お疲れ様でした。
次は私が、ここロンボク空港を出る番。なんだけど、、うーん。まだちょっと早いな。





別れを惜しんでばかりではいられないので、最近波に乗らない活動先に気合いを入れて出社。





私「イブ、おはようございます」


イブ「みず!昨日どこに行ってたのよ?!」


私「え?昨日はアグスさんと、セミナーに参加していたよ。」



イブ「昨日ロンボクを旅行してる日本人がここに来たのよ!ここで日本語の地図を発行しているって聞いたからって。みずは今いないと伝えたら、残念がってたわよ!」




私「ええええ!そうなの!?どんな人だった?男の人?女の人?」



イブ「ちょっと年は上だったけど、GAGAH(イケメン)だったわ。」





日本人会の方だったら、きっと来る前に連絡くれるだろうし・・・。



それ、めっちゃうれしいやないですか。
そういう日はすこぶる調子が良くて、今まで全く滞っていた活動がぐーんと進んだり、重い腰をあげて取り組んだものが、意外とアイディアにあふれてスラスラ進んだり。


地図再発行で、再三もめたイブからも「今日印刷会社の担当を呼ぶから、データ用意しておいてね」と。



進む時には進むんですな。
すべてがダメダメな日もあれば、今日は久しく嬉しいこと続きなのでした。

まあ、カウンターパートが職場にいなかったということもあるかもだけど・・・


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【CPとうまくいかない。】どーしよっかな

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なんだ、4月。くっそ忙しい。なんで。

来月上旬のロンボク観光PR動画作成に向けて、撮影スケジュールと撮影候補地を作成。



これで確定したらすべての撮影地に事前に訪問して、取材可否を取りにいくよー。
改めて見ると、ロンボク本当に素敵な島やな。
自然資源もたくさんあるし、海キレイやし。2年の任期終わったら住みたいかと言われたら、答えはNOだけど、今度は観光客として来たいな。
臭すぎて危険なため、屋上で食べたドリアン






活動が忙しくなればなるほど、CPに嫌われている。最近はあからさまに私を無視している。
CPが変わって半年。最初は活動以外の話しでよく冗談を言い合ってたし、「日本語を教えてくれ」と、いくつかの言葉を覚えて、私に対して使ってくれていた。








そしてこの半年でCPは完全に、私を切り離した。それが分かった。なぜかというと、面倒くさいから。JICAとしてきている私の責任を持ちたくないから。










PR動画撮影にしたって、地図の再発行、学校巡回。今は配属先からの協力がないと、私はどうにも動けない。

これらの活動だって、調整員を含めCPに相談して、OKをもらってから動いている。でもいざ進めようとすると、全くもって私を無視する。









一昨日部長室を訪れ、活動について相談をする。
私が部屋に入ると同時に、パソコンを広げFBを見始める。笑ってすらいない。歓迎している雰囲気は0。

そして活動を全否定される。
「費用がかかるから、それはできない。」
「で、話しはもう終わり?」
「総会の移動届は、サインしたからもう用は済んだでしょ?」





どうしたもんかな。



それじゃあ納得できない。
迷惑がられると分かっていても、
嫌われると分かっていても。
引き下がれない。


しつこく聞いた。しつこく、何がダメなのか。返ってくる答えはそっけないけど、自分が理解できるまで確認をくりかえした。



CP「はいはい、わかった。それで?もう終わり?」











私「・・・。はい。」








私の任期、残り半年。
ここまで配属先に必要とされてなければ、いる必要ない。

やさぐれてやる!って。昨日事務所には入らず、どうしよかなーって考える。
ここで任短して帰ることも考えられるんかいなー。
そうすると、考えすぎのいつもの癖。夜寝れず、12時すぎに浅い眠りについて3時に目が覚める。




でも1日休んで実感したことは、事務所を休んでも。なんも変わらん。問題は事務所内にあって、私が休んでも、その問題から逃げてるだけじゃんと。



やり方を考えよう。
私の活動を応援するって言ってくれてた同僚や、今まで相談したことがなかった苦手な課長にまずは協力を仰ごう。



それで何も進まなければ。
もういいや。もういい。私は十分頑張った。





そんなことを書いていても。大丈夫。私はいつも通り。笑えるし、同僚にはおちゃらけて笑いをとる余裕はある。


今日は夜空港に向かうよ。
1年間ロンボクで短期で活動していた隊員が、任期を終えて首都にあがります。

色々あるけど。
その色々、も。あと半年。かわいいもんだな




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【ドレスを作ろう。】同期の結婚式:)!

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同期本人に承諾を得たので!




なんと実は同期隊員がインドネシアで結婚式をあげることになり。オメデトー!
式の様子などは、また式終わりに書くとして。






同期で「日本人だから、持ってきた浴衣を着るか?」「あ、でもご両親はきっと着物よね?」「どうする?どうする??」となった結果、インドネシアのドレスである「クバヤ」を着ようということになった。





いやー。ほんとこのクバヤがキレイで。
レースの細かなデザインとか、見ていてホレボレ。




ただキレイすぎてあまりに選択肢が多いので、まとまった時間が取れたら作りに行く!と思っていたところ、間もなく式の2週間前となってしまい、やばいやばいと、活動終わりに布屋さんへ。




クバヤは、レース、中に着るチューブトップ、スカートのように巻いて履くサロンの3つの構成。

私が持っている、使えそうな衣装はこんな感じ。
右はこの前ジョグジャ出張で購入した布。早く仕立て屋に持っていけよと思うのに、未だ布のまま・・・



結婚式ということもあって、先祖代々先輩隊員から受け継いだ、キラキラのラメ入り、カラフルなロンボクの伝統衣装のサロンをベースにすることに。





まずはチャクラ市場へ。

所せましと並んだお店から、合うものを見つける。
気になったものは写真を撮り、次なるお店へ。




2件目は、チャクラのガネーシャという生地屋さん。
カジュアルだったけど、私服でも着れそう!

たくさんの布を見せてもらったけど、ピタリと来るものがなく3件目へ。




同じくチャクラにあるこのお店。




「このサロンの色に合うレースを探しているんだけど」と店員さんに尋ねると、一番奥へ案内をしてくれ、見合った布を持ってきてくれる。




「うーん、これはちょっとイブイブ(おばちゃん)ぽいかなー」
「これのもうちょっと薄い色はあるー?」なんて、大量の布を出してもらうが、選択肢が多すぎて、もはやよく分からなくなる。

「出しすぎてごめん!」って言いつつ、更に出してもらう笑



そしてついに店内を見まわして、「これだ!」と思う生地があり、レース1.5mと、チューブトップにする用の中布1mを買い、しめて日本円で約3,000円。





そこから家の近くにある裁縫屋さんへ持っていき、あらゆる場所のサイズを寸法され、あとは無事に出きることを祈るのみです。


ピンクベースのレースに、スパンコールキラキラー!できあがり楽しみ!


完成品、果たしてできあがりはいかに!
式参加後、またレポートします。


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【結局、インドネシアに救われる。】

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インドネシアで働いている外国人ってすごいな、と思った。単純に。




踏み込もうと思えば思う程、蟻塚のようにずるずると引っ張られて、3歩進んで4歩下がっていく。
好きになりたい、向き合いたいと思う程、インドネシアという国に裏切られていく。そんな気がした。




オーバーだろう、とも、被害妄想だろう、とも。言われたってかまわない。
ここに書かないと、一人の時間にブログに吐き出さないと、本当にやっていけない、って初めて思った。







どんどんここで働いていく自信がなくなっていく瞬間。それが一昨日の打ち合わせだった。






昨日のブログを書き終わった後、一人の同僚が私の向かいの椅子に座り一方的にこう言う。








メディ「みず、昨日の打ち合わせ聞いていたよ。みずはもっと、まとめたデータを多くの企業や政府にアプローチをするべきだ。この観光局だけじゃなくて、もっと幅広くアプローチをする必要がある。それから●●を●●して・・・」






ちょちょちょっと待ってよ・・・



ただでさえネガティブな感情を持ってしまっている時に、一方的に「~するべきだ!」と言われた私は、たぶんあからさまに顔に出ていたんだと思う。




それを見たもう一人の同僚が私に対し、こう言った。










サルガさん「みずさん、Santai saja」(肩の力を抜いて)









それを言われ、面食らった。恥ずかしくなった。私のために言ってくれているのに。同僚は向き合おうとしてくれているのに。なんで自分はイヤそうな態度をとる必要があるんだ?







「ちょっと、ごめん。一回トイレ行ってきてもいい?」と席をたって、頭を冷やす。









落ち着かせて、もう一回アドバイスをくれた同僚に話しかける。


「メディさん、今ちょっと時間ある?昨日のJICAとの打ち合わせの件で話がしたい。」


メディ「いいよ、ここだと他の人達がたくさんいるから、コーヒーでも飲みながら外に出よう」



と言って、事務所の前の門番さんが休む小さな部屋みたいな場所へ移動する。



メディ「みず、何に問題を抱えているんだ?」



「同じ方向を向けていないことが、すごくつらいの。一人で頑張ろうとしていることが、たまにすごく孤独を感じる。」



メディ「みずが今やろうとしている仕事はどんなこと?」



「二つあって、一つは人材育成事業のためにロンボクの高専を巡回すること。二つ目は、ロンボクの観光ビデオを作成することを予定しているよ。」



メディ「観光局に対して、何を求めているの?」


「学校巡回は、許可レターを待っているけどまだ承認してもらえてない。観光ビデオは、アコモデーションと移動手段を配属先から用意したいの。この二つは、もうボスとは話をつけてある」





メディ「分かった。僕も協力するから。学校に行くときは僕が案内するし、巡回する前に一度調査をしに行こう。二つめは僕からボスと局長に確認する。一緒にやろう。」







小さな部屋で、二人きりで真面目な話しをしていると。
他の同僚たちが気になって、どんどん集まってくる。
私が落ち込んでるのを励まそうって、「みずがここに住めるように、早くロンボク人の彼氏を見つけてよ!」って、いつもの冗談を飛ばす。




そんで最後はこうなる。






嬉しかった。
向き合おうとしてくれた事が、本当に嬉しかった。

インドネシアに肩をおとして、しんどい想いをして。
結局私は、インドネシアに救われる。




あと半年も。きっとこの繰り返し。
そのたびに私はたぶんここに書く。
それでいいと思う。
その繰り返しが、ここで一生懸命やったんだ!と
将来の自分の自信になるって。思うコトにする。


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【疲れた。でもやるよ。】

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昨日の夕陽。不思議ー。光が拡散されないで、太陽以外真っ暗だった



昨日ほど、一日で精神的にグッとくることってないなって
疲れて、頭もさえて寝れなくて
何かをする気力も起きなくて
ベッドに横になって、もぬけの殻のように「疲れたなー」ってぼーっとして。気づいたらそのまま寝てた。






調整員とジャカルタの中央政府のお偉いさまが、私の配属先に来てくれた。
偉い人が来てくれる以上、こっちは配属先のトップとアポを調整。→ダメだった。→CPのみで対応してもらうことに



CPから前日に「出れない」と連絡あり



「いつならいいの?」に対し



「朝9時からなら」



で、朝9時。いない。




前日の夜にリスケをしたというのに、当日朝、CPは他の会議に出席している。
もういい、ここまではいつも通り。大丈夫。




代わりに対応してくれた、副課長のハジさん。
もうなんか、そのすべて。






JICAに対し、私をべた褒めすることも。
プライドだらけの見栄にも
いかに普段から「一緒に仕事をしている」という、見え透いたアピールも。



傍から聞いていて、すべて私をチクチクと刺す。




「みずは本当に普段からよくやってくれている。朝7:30~16:00まで、事務所にいて、真面目に働いているよ。態度も全くもって問題はないし、服装だって僕たちに合わせようとしている。みずと、僕たちは平等だ。上も下もなく、平等。僕たちが●●へ行こう、と誘うと絶対についてくるし、その積極性はすばらしい。 真面目で礼儀正しく、規則正しい。彼女は本当に、僕たちを助けてくれている」







調整員は私を配慮しながらも、私の気持ちを代弁してくれる。




調「私が思うに、彼女は孤独を感じているんです。JICAとして派遣されますが、彼女は配属先に赴任した時から、観光局メンバーの一員です。」






 She is your staff


というたったヒトコトに、今までの思いがあふれて、ぐっとくる。







配属先と私の間で、「共通認識」がないまま1年半を過ごしてしまっていること。
今回の調整員の訪問で解決するはずが、結局「ボスに伝えおきます」と言われ、1時間半に及ぶ打ち合わせは終了した。



ディスカッションができないって、こんなにしんどいものなのか。
想いを伝えようと、話しがしたくても。
できない。
全然できない。






どうしたもんかなー。と、一度頭をリセットしようって午後は活動を休んだ。





お昼に就職に関する連絡があった。
プロジェクトの説明が書いてあった。

全く頭に入ってこないのに、漠然とした「将来」の不安が一気に押し寄せた。






何も考えないようにって、本を読みだした。



そしたらすっごいお世話になってる方から、連絡がきた。

突然のお別れを告げられた。
悲しくて、どうしようもない気持ちになった。





夜は調整員とご飯を食べに行く。

「楽しんで仕事をしないと、周りに伝わるから」




わかってる。
わかってる。。。





悩んでいる暇なんて、休んでいる暇なんてない。
今日の昼から日本で、クラウドファンドが掲載開始となる。プロジェクトの第一歩が、今日スタートする。


企画書だって、報告書だって。
進めなければ進まないのだから、メソメソしている余裕なんてない。


辛かろうが、しんどかろうが。やらなあかんねん






そうやって、「やらざるを得ない環境」に救われて、たぶん明日も頑張れるはず。



疲れた。


でも、やるよ。

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【Go back to Japan - 200 days】

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最近の朝ごはん。そういや南国。


ふいに見たブログのカウンターが、ぴったり200日となっていた。
今日からちょうど200日後に、どうやら私は日本に帰るみたい。



私は任期を延長するつもりは1ミリもないし、JICAから後任要請のハナシが持ちあがることもなくなった。(赴任して半年は、それでも後任の話しをしていた)





2年間という決められた期間。
日数に直すと730日。





赴任当初、感覚的に全く進まなかった日数。毎日が月曜日みたいだった。

それが今では、するするとザルから流れていく砂のように、手元に残っている日数は 200/730。あと半年ちょい。





ここまで来たかー。という感じだな。

赴任半年の時に書いたブログ、【暮らしも半年】変わらないもの。変わったもの。を見返す。
帰国する先輩隊員に対して、「帰国するってどういう感じなんですか!?」とアホなことを聞いた1年前の私。




帰ることが全く想像できなかった。最近でも具体的なイメージはできないまでも、「帰る」という事実は頭の中で膨らんできている。


今は昔みたいに、「日本」が恋しくなることはほとんどない。帰りたいと思うこともない。(寿司だけは譲れんけど)






1年半経てば、それなりに色々あって。それなりに「頑張った」というものもできて。
近所の子どもたちの成長も見れたりして。
歯医者のドクターの子どもが生まれた♡

いつもの洗濯屋さんで、アイロンがけを待っている間、我が家のように寛いで子どもたちとテレビを見る日課。
3人の子供たちが2つずつ歳を重ねて、最初は外人を警戒していたけど、今では学校であったことを話してくれるように。






やりたいことはまだたくさんあるんだけど、焦りが消えて「ゆっくり、やれるところまでやろう」という、いい意味で気負いがなくなったと、実感します。








そんな、気負わないまでも目先のことで実は切羽詰っている今。ちょっと整理しよう。今の私のモヤつき。



①明日に控えているJICAと局長の前でのプレゼン資料。
9割できているけど、内容の見直し含め向き合わなければ。(逃げ腰・・・)






②明後日からは、地図再発行のための企画書を作る。
配属先からレターを出してもらう。
見積もりを取り直して、この前行った印刷会社で正確な書類出してもらう必要有。





③消えた学校巡回のレターを探す。
局長のサイン待ちだったのに、ジョグジャに出張に行っている間にどこに行ったか行方不明な大事なレター。
これないと、どこにも行けないよ。





③PR動画、協力してもらう学校からレターが今週中に来るはずだから、CPに相談して撮影日までにホテルと車の手配をする。
こっち側でうまく話しをまとめるにはもう一回、配属先説得材料作んなきゃなー





④総会がもう一か月に迫っている。。
広報誌の企画を仕上げなければいけないのに、全く手につけていない・・・
寄稿依頼から始めよう。。



⑤クオーターレポートを作らなければ。

⑥JICAの4号報告書が今月末締め切りだ・・・

⑦断食明けに学校にすぐ訪問できるように、マテリアルを作らなければ。


⑧月末にある結婚式用の衣装、そろそろお店に持っていかないと間に合わないじゃん!その前にまず布買いにいかなきゃじゃん!!



あれ、書き出してみると意外とボリューミーだな。日本で働いていたら、こんなの1週間もあれば十分なのに。

ブログ書いている暇あるなら、さっさと取りかかれ!とはならないんだなー、あー不思議




そんな、残り200日。

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【TOEICスコアがなぜか150点アップしてた。】私のダメダメな英語について。

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協力隊の世界に飛び込んでから、元カレが外人、とかTOEIC満点、とか。英語を当たり前のように話す人達にたくさん出会いました。




本人が言わないだけで、満点の人なんてたくさんいるし。
そんな方たちの前で恥ずかしいのは承知、あえて自分の恥さらしをしますよ、今回。








結論、インドネシア語漬けな毎日で昨日TOEICの模擬試験を受けたら、なぜかスコアがめちゃめちゃ伸びていました、という事について。

英語、それは自分にとって永遠の壁。なのですが・・・






■英語とワタシ

パパが外資系の仕事をしていた関係で、小学校の時から外国人上司の家でパーティーにお呼ばれしたり、自宅に招いたり。

小さいながらも、両親から「〇〇さんに会ったらナイスチューミーチュー、と言うのよ」と外国人、英語に触れあう機会は多かった、ハズでした。





そして大学は国際コミュニケーション専攻、よっぽど何かがない限り、全員を半年もしくは1年、海外へ留学させる大学を出ました。(教授も口では、「全員強制留学です!」と言ってました。)



大学2年生の後期。大学に行くと、同じ学部の友達が誰もいない。異様な光景でした。



「あれ、〇〇ちゃんは?」
「今アメリカ!」
「〇〇ちゃんは?」
「昨日ヨーロッパに飛び立ったよ!」






仲の良い友達たちが、バンクーバーやサンディエゴ、シドニーやロンドンへの留学。

楽しそうにスタバでグランデサイズのホイップもりもり写真を眺める頃、私は一人、なぜかタイのバンコクへ留学。



英語に力を付けたいと思って入学した大学で、私はタイ語を身に着け帰国したのです。

19歳のワタシとチャオプラヤー川。








どげんかせんといかん!



ですよ、内心。
海外に行きたい思いが強かったのに・・私は英語ができない。そしてさらには英語を使う人達が、、自信ありありに見えて・・・ちょっと怖い・・・自信がない。




典型的な日本人で、外国人と話す時、私はまず
「I'm Mizu and I am not good at English...」から始まるのです。






やばい、と思ったのが大学4年生。



2か月に1度はTOEICを受けて、英語力を上げる!という目標をたて、猛勉強しました。



週4回、朝10時から12時まで。おなじみのカフェで、いつものカフェオレを頼み、1冊のテキストを何度も繰り返し勉強。


初めてのTOEICスコアは、500点



1年間勉強を続け、6回目の試験で685点まであがりました。




ただリスニングとライティングのスコアの差は歴然。
1年で伸びたのはリスニング能力。

Listening:450 point
Reading  :235 point



私は大学卒業と共に、ここで英語の勉強を辞めました。




■隊員生活とワタシと英語


海外2年間の生活、時間が空いた時に英語を勉強しようと、テキストだけは持ってきていて。


彼らは活躍することもなくうっすらと埃をかぶっている。

ただでさえインドネシア語でたぷんたぷんに脳内が疲れているのに、「誰が英語なんか!」という感じ。





でも最近、自分の中でちょっとした変化があったんです。

①英語を話そうとしても、インドネシア語とごっちゃにならない。
英語は英語で出てくる。※前よりは
(最初は、My name is  さえ、 Nama saya と自然に出てきてしまった)


②外国人を見ても、怖いと感じなくなった。
なぜなら自分が外国人になったから。





帰ってからTOEICもう一回受けてみようかな、と日程を検索し。
そうしたら、おいおい勉強を始めようか、と模擬テストを受けたのが昨日。





そう、そして自分が一番ビックリ、なんと・・・








825pointという、今までに観たことのないスコアが。



なんでやねん。





何度も言いますが、私の周りにTOEIC満点の友達がいる中、自慢できる点だとも思っていない前提で。
冷静に考えて、1年半インドネシア語での生活で、英語の勉強はせず、ふと受けた模擬試験に、あんだけ勉強しても叶わなかった800の大台が出たのです。




参考書付いてる方式に習い計算が終わった後、私はしばらくフリーズ。

スゴイ!というか、意味分からんくないですか。




今回の模擬試験で出たスコアは下記の通り。

Listening :440
Reading   :385


伸びていたのはリーディング。色々振り返って考えると、確かに読解問題がわかるのです。




昔は1つの分からない単語でつまずいて、文章を読み終える頃は「結局何がいいたいんや」という感じ。



ただ昨日受けた問題は、1つ分からない単語があっても、最後まで意味を分かろうとする脳ミソ。



ライティングが150点あがった実感がありました。





■全く勉強をしていなかったワタシが、TOEIC150点アップした理由。

なんでしょう、最近キュレーションメディアなどでよく見るタイトルですね。タイトルにしたかったのですが、下心丸見えだったのでやめました。

ちょっと自分なりに振り返りをしたいと思います。



最初にお伝えすると、インドネシア語と英語は全く別物。アルファベットを使うという点でしか共通点はありません。

【1年半全く勉強をしていなかったのに、スコアが伸びたのは・・・】

①インドネシア語という、第二外国語を学んだから。

②アルファベットが生活の一部になったから。

③外国に来たから。


ようは、青年海外協力隊として海外に来たからだと妙に腹落ち。




海外に出ると、日本語がないのですよ。新聞も、看板も、聞こえてくる単語もすべて外国語。



最初は自分を守るために、その言葉を排除しようとする→なれる→それが生活の一部になる。




プレゼン資料を作りますね。
参考文献も、インドネシア語で読むしかないのです。
そうすると、必然的に外国語を理解しようとします。頭から排除せずに、外国語を受け入れようとする。


今回テストを受けて、英語が思ったより頭にスラスラ入ってきてビックリしました。
分からない単語がたくさんあるわけですが、頭がテンパらないんです。
分からない単語を補って、他で理解しようとする。



活動で疲れますね。
今日くらいは、アホな映画でも見てめっちゃ笑いたい、と思うわけです。
でもないんです。日本語の映画なんて上映されていない。
すると、疲れている脳に鞭を打って、英語を受け入れようとするんですね。




協力隊として海外に来て、全く新しい言語を使うしかない環境で、頭がなれたんだと思います。








思ってもみなかった誤算でした。

まあ私が受けたのは非公式ですので、依然685点というダメダメなスコアを保持していることには変わりませんが。



これをモチベーションにして、ちょっと仕上げたいと思います。

そんな、今日はインドネシア語以外の英語のハナシ。


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【ようやく叶った。メディア掲載】機内誌に特集を組んでもらったハナシ

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FBでちらっと報告をしたけれど、
だいぶ前から、だーいぶ前から動いていた【機内誌掲載】が、ようやく一つ形に。
9ページに渡り、配属先管轄のロンボク島とスンバワ島の記事を『The Archipelago Journal(島々をめぐる旅)』としてハイライトしてくれた。











一歩を踏み出したのは、2015年8月。(過去ブログ:あぁ、これが活動の一歩になれば)







インドネシアのいわゆるANA、ガルーダインドネシア航空の機内誌でアプローチができたら認知度向上につながるな、と。
地味~に、地道~に動いてきた。




ガルーダインドネシアのWEBサイトには、「お問い合わせはコチラ」のような、カスタマーサービスが備わっておらず、その時点で玉砕。








他にやり方はないかを考え、日本オフィスの広報部があるのでは?とネットで調べまくった。
するとIRか、プレス文章に連絡先が掲載されているのを見つけ、日本語で連絡をしてみたのが去年8月。








日本の担当者さまが、インドネシア本部の広報部の担当者をご紹介してくれ、
今度は英語で、掲載に関する相談メールをしてみる。

そこから、度々返信がなくなり、担当者が変わったり本当~~~~~~~に色々あって、10か月後にようやくかなったのが、今回の機内誌掲載。








連絡が返ってこなくなる度に、何回も諦めた。
諦めて、優先順位を下げて
「できなかった」ということにしよう、って目もくれない時期さえあった






でも調整員さんとかに進捗を聞かれるたび、「いや~。返信来ないんですよね~」って言い続ける自分に、だんだん疑問がわいてくる。




結局自分は、掲載する目標に対し何も「やってない」んだ。と気づいた。
















前職の広告代理店で私は、入社から1年半新規営業をやっていた。
自分でテレアポリストを作って、アポが取れるまで一日電話をかけまくった。




でもアポを取るのは、そう簡単なことじゃないし。
メンタルもやられるし。
1日1アポもとれなかった時、私は上司の前で自分をかばう事に必死だった。







電話はかけていました。ただ、お客さんが不在でした。







会議室で上司と二人きり。
私は思いっきり怒鳴られた。





「仕事しろよ!やるべきこともやらねえで、言い訳ばっかりするんじゃねえ!」


上司はボールペンを机に思いっきり投げつけ、会議室に私一人を置いて出ていってしまった。





やるしかなかった。


電話するしかなかった。なんとかしてアポを取るしか、なかった。




時間は夜21時を過ぎていたけれど、
私はマスクをして、
なきながら電話をし続けた。










すると。
いつも電話をかける時間じゃあないから。
20件程電話をすると、月末ということもあって、担当者が電話に出てくれる。




そして、一週間一件もアポがとれなかったのに。
奇跡みたいに、21時~22時のテレアポで4件も商談に持ち込めたことがあった。




泣きながらその上司の元へ行って報告をしたら、本当によくやったって。
うれしくて涙をする時は、上司はハンカチを差し出してくれた。

この上司は今でも個人的に応援メッセージをくれたりする。




なんて、ちょっと昔の話しを思い出す。






なんでもない、私がスゴイわけでもなく、
結局はその時にやったか、やってないかなんだなって思いだした。






あの時、諦めたらそこで終わりなシチュエーションを何回も通り越して、しつこく、何度も、嫌われてもいいから、進捗確認をし続けたからの結果。
1週間に1度は、「お元気ですか~」なんて、連絡をし続けたから。
今回の掲載というゴールに至ったんだと思う






そうしたら今の喜びは、ちょっと前の自分の頑張りだって。逆に、またそう思えるために、今頑張っておきたいな、と思う。






ということで、うかうか喜んでもいられず




ロンボクでPR動画を作成するために、近々クラウンドファンド上で賛同者を募ろうと準備をしていて
そのお礼に配るはずだった、ロンボクの観光地図に問題が発生。



たえず問題はつきず、動けば何かにぶち当たり

一個一個解決していくしかないなあ、と。
真夏のロンボクを練り歩き、印刷会社を訪ねては見積もりを取りまくっている、そんな最近です・・・

『Percetakan:印刷会社』と書いてある場所を訪れては、「A3両面印刷、紙質、できあがり期間、金額」を聞いて回るという、体力だけがすり減る作業。。


来週中央政府からお偉いさん来るんやけどな。
なんも動けてないな。

こりゃ土日、ジョグジャ前みたいな悪夢再び、か。

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【オススメの映画・本をご紹介】

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先々週にジョグジャでの活動が落ち着いたところで、ようやくゆっくり読書や映画を見る時間が戻ってきた。


映画はiTunesでレンタルしたり、本はkindleセールの時にまとめ買い、または隊員の間で回ってきた本を読んで、また次の人に渡して、などなど土日や活動終わりに時間を忘れて没頭。

忘れっぽいので、自分の備忘も含めオススメをご紹介。




★映画★

『きっと、うまくいく』


ストーリーも、音楽も、笑えて泣けて、最近観た映画の中で群を抜いて1位だった。


「インド映画だから、3時間くらいあるし、突然躍り出したりするけど面白いよ」


と友達に進められ、「え、躍り出すの笑笑」なんてちょっと半信半疑で見たら、大号泣。
大号泣すぎて、次の日目が腫れるくらい。
社会的背景を描きながら、3人のidiot達が自分の将来「やりたい事」に向き合っていくストーリー。展開も完璧で、3時間でも決して飽きさせず。レンタル中、3回は繰り返して観た。本当に観て損はないと思う、ので是非。




『アルゴ』
実話を基にした、イランアメリカ大使館襲撃事件の脱出劇。すっごいハラハラするけど、アカデミー賞とっただけあるな、って思った。

こっちに来て、大使館の人との交流もあるし、他人事じゃないって思うと怖かったな。
日本で見るのと、公用旅券を持って任地で活動をしている今見るのとは、たぶん感じ方が違うんだろうな。



『the other women』

キャメロン主演の、恋愛コメディ。英語のヒアリングとして観ていたので、日本語字幕なし。
SATCとか、プラダを着た悪魔が好きだったらたぶんおもしろいと思う。
何がよかったかというと、使われている英語がちゃんちゃらおかしくて、この映画を通じて変な単語をたくさん覚えた。
女性同士のギャグ炸裂なやり取りも、音楽も、NYの街並みも、海のある生活も全部好きだなー。



〇その他
・インビクタス
・最強のふたり
・50回目のファーストキス
・幸せの隠れ場所
・LIFE!
・素晴らしき哉、人生
・バーレスク
・BIG FISH
・インセプション
・ビリギャル

これは、最近観た中で面白かったヤツ。



ハイ、次は本。


池井戸潤 - 民王
今見たら、去年ドラマ化されていた。知らなった・・・
池井戸潤って構えて読んだら、意外と笑えるというか。コメディっぽくて面白かった。
総理とその息子が入れ替わってしまうストーリー。一瞬で読んでしまった。


白いネコは何をくれた?-佐藤 義典

BASICSというマーケティングフレームを、物語に沿いながら実践で教えてくれるノウハウ書。『夢をかなえるゾウ』のように、白猫ボロがマーケティングについて教えてくれます。


希望をつくる仕事 ソーシャルデザイン
人生の中で、本に影響されることってそう多くないけど、結構自分の中でハッ!とした本になった。国連広報センターを目指したのも、この本がきっかけでもあるのかも。
物やサービスに、ソーシャルデザインという付加価値を付けることで、社会問題を解決できるのでは?という事例がいくつも乗ってる。
ソーシャルデザインについて、分かりやすいページがありました:issue + design


角川インターネット講座 合本版

15冊がまとまって、Amazonでなんと21,600円するという。
2月末にセールで、2~3千円で確か購入。
前職がネット広告代理店だったので、時間があるうちにきちんと勉強したいと思って買った本、インターネットとはから始まり、これは本当にバイブルとなりそうな。
ただ15冊がまとまってkindleで表示されているので、いくら読んでもページが進まない。めげそう。



〇その他
・WORK SHIFT(ビジネス書2013年大賞) - リンダ・グラットン
・グラスホッパー - 池井戸潤
・キャプテンサンダーボルト - 伊坂幸太郎
・オー・マイガアッ! - 浅田次郎
・嫌われる勇気 - 岸見一郎
・横道世之介 - 吉田修一
・世界で働く人になる - 田島麻衣子
・パリの国連で夢を食う - 川内有緒
・イニシエーションラブ - 乾くるみ
・池上彰と考える、仏教って何ですか? -池上彰

ここらへんは読んだ中でも特に面白かったなー。


この前セールで買って、これから読む本リスト↓

・広告ビジネス 次の10年
・蒼穹の昴 - 浅田次郎
・新観光立国論
・テロリストのパラソル -藤原伊織
・64 - 横山秀夫
・重力ピエロ - 伊坂幸太郎
・人生は20代で決まる - メグジェイ




読むストックがあると、ワクワクしてしまう。

以上、最近のオススメもろもろでした。
みなさんのオススメあったら、ぜひ教えてください。


お酒がないからなー。
夜やることがなくて、没頭できたのが読書と映画デシタ。

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