とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

『あなたは頑張ってる。だから、負けないで。』

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首都のドミトリーで休養しています。今まで隊員がいたり、用事があったりで何気にばたついていた滞在中。

ようやくゆっくりブログに戻ってくる時間ができてカウンターを見たら、残り59日!ぎょっ!任地にいれるのはあと1か月ちょい。こんなとこで、こんな療養してる場合じゃないよー。







今日健康管理委員さんと面談し、明日任地に戻ることに。万全!とまではいかないけど、もう仕方ない。






今日の記事は、滞在中にVCに言われた印象に残っている事。ちょっとお熱な記事になってしまうので、暑苦しい人はスルーで。







この期間、ずーっとお世話になってたVC(ボランティアコーディネーター)が8月末で任期を終えるということで、今回タイミングよく送別会に参加できた。









ドミトリーで他のVCや、JICAスタッフ、総会準備のために上京していた隊員と、日本料理隊員が考案したメニューでちょっとしたパーティーを。






参加できないJICAスタッフが差し入れでお酒をいれてくれたということもあって、みんな結構飲んで。



ある隊員と、帰るVCが言い合いっぽくなってしまった事があった。結構シリアスな雰囲気を感じ取って、「まあ、まあ」となだめるスタッフもいたくらい。


私は傍からだまってその光景を見ていた。






もうその送別会から何日か経つけど、そのときVCが言った言葉が今でも忘れられない。






隊員「最後だから言いますけど、(本人に向かって)○○VCの事嫌いです!!ああしろ、こうしろって、綺麗事ばかり並べて、何にも隊員のことわかってないじゃないですか!!!他の隊員は、○○VCは愛があるっていうけど、私は絶対そうは思えません。」



VC「おう、もっと言え!もっともっと言え!」




隊員「見下されてる気がするんですよ!!ガンバってくださいって言われるたびに、学歴がないことをバカにされている気がします。私は○○VCのことを、絶対好きにはなれません!」




VC「おう、いいよ。あなたが僕の事を嫌いでも、全然いい!」









VC「でもね、あなたが私を嫌いでもね。私はあなたのことが大好きですよ」

VC「あなたが私を嫌いでも、私はあなたが大好きだ。だって、あなた、頑張ってるもん。」








VC「あなたから何を言われようと、私は何も思わないけどね。でもね、一つだけ言いたいのは。負けないで、負けないで。あなた自身であることに、負けないで。
僕のことを嫌いでもいい。でもね、自分のやっていることまで、否定しないで。あなたがやってることは、素晴らしいことだよ。あなたは本当に頑張ってるよ。だから、自信をなくさないで。あなたがつぶれちゃあ、ダメだよ。だから、負けないで。」





隊員はただ一方的に「私はあなたが嫌い!」と、言い続ける。翌日聞いたら、どうやら覚えていないらしい。普段楽しそうだし、他の隊員にも声をかけてあげられるし、責任感が強い子だったからよっぽどしんどかったのかな。




でもそのVCは、それを受け入れて、その隊員と最後まで向き合っていた。
もうね、こんな人類愛にあふれた人がいるのかと。ただの隊員と、ボランティア調整員の関係。任期を終えたら、人生で二度と会わないかもしれない。








いつの間にか、その隊員は涙を流していた。周りの隊員も泣いてたし、私もボタボタ涙が止まらなかった。






何もない任地に日本人ひとり。
つらいよね。
孤独だよね。
普段こうして笑顔で話しても、心の中ではどうしようもないさみしさと闘っている。
みんな頑張ってる。


花が咲かない活動に落胆して
少しでも動き出した活動に一喜一憂して。
最後の日に、「任地を好きになる」ことを夢みている。


2年間という限られた時間にすべてをつぎ込もうと四苦八苦して
一瞬でも現地の人と分かり合えた時の喜びを頼りに、
明日のモチベーションを絞り出したりする。




それを、みんな口にしないまでも胸に秘めている。
ひょうひょうとやってのけているように見せて、みんなその寂しさを知っているから、「負けないで」と真剣に言われて、涙を流す。








今回の上京で、色んな人の話を聞いて。色々気づいたことがあった。
体調は100%改善したわけではないけれど、健康管理委員さんには「任地に帰ります。」と伝えた。






初心に帰ろう。
応募したときに協力隊に対してかけていた想い、できるかできないかではなくて、もっと楽しいこと。


そんなにうまくいかない事は分かってるけど、あと2か月を切った任期に対しての向き合い方を改めて考えるいい機会でした。



任地にかえろ。
私がいるべき場所。
名前を呼んでくれる、私の友達がいる島。



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【療養のため首都へ上京。】

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重めのタイトルになってしまったけど、先に言っておきます。ご心配いりません。とても元気です:)





ブログで書いているように、7月から体調があまりよろしくなくて、7月に血液検査のため1度病院へかかり、それでも改善しなかったので、8月に再検査を。



【体調不良9日目】もうあきた
【胸部レントゲンを撮りに病院へ】これだったらもう行かないよ


その後健康管理委員さんより、「1週間熱を記録してください」とのことで、先週1日4回の熱をはかり、メモしていた。



症状として微熱はあるけど、「あー、ちょっとしんどくなってきたなあ」くらいの感覚で、我慢して活動をすることはできる。






微熱の倦怠感だけだったらもう1か月以上こんな感じだし、もういっか。くらいに思えるけど、お腹の調子が悪いのと、熱が出始めて体重が一気に落ちたのと、寝ている時に2~3時間ごとに目が覚めてしまう。




ということを伝えたら、



「最後に任地を離れたのは、総会時でしたし、一度ジャカルタで療養してみては?それでも改善されないようだったら、こっちの病院で再検査しましょう」




「今回は病気と考えず、とにかく、リフレッシュするつもりで上京してきてください。」


そして最後には

「この週末は海でも見てゆっくりしてください。でもこういう時にスリなどにあったりしやすいので、気を抜かないようにね」






優しいなあ~。


ということで急きょ決まった療養のための上京。もともと今週末にパスポートを届けにジャカルタへあがる予定があったので、少し早めて1週間ほど滞在するこになった。





お湯も出て、おいしい食べ物があって、ドミに行けば誰かしら隊員がいて。首都から遠い島に暮らしている私にとってのジャカルタは、それはそれはユートピア。
高い高層ビルにドキドキして、すれ違う日本人に挨拶しそうになって、外国人としてジロジロ見られることがない都会さに、自由を感じる。






職場からはもともと「みず、無理してこなくていいのよ。1週間くらい、完治するまで休みなさい」と言われていた。けれど、1週間も家にいたら退屈で仕方がないと、午前中だけでも事務所に入るようにしていた。







この状況に、一番ついていけないのは私自身。



めっちゃ元気だし、ごはんも食べれるし、「ストレスと向き合えていない」のか何なのかわからないけど、今は不安や悩みもない。帰国2か月前にして、多くのことを許せているし、嫌いだった任地は今では第二の故郷。




活動に対して、「これでよかったのかな」とは依然と思い続けているけど、それだったら2回目のCPが突如として消えていった6月が一番しんどかった。





仮に、「精神的な何か」で調子が悪いとするならば、6月末に最後の手段だと部署異動をして、その結果が今あまり変わらない形で推移していること。

CPが変わろうと、部署を変えようと、「できないもんはできない」ということが分かりつつあることくらい。








いや、でも病んでないし。
もう分かりきったことだし。
こんなのにストレス抱えてたら生きていけない。
私はお蔭さまで根性だけはあるし
いつまで経ってもグズグズしているような、メンタル弱めな性格じゃない。





こんな感じなので、心配してくれる隊員や家族に対しては「いや、本当に大丈夫なの!心配しないで!」と言って、逆に申し訳ないくらい。ここに来て、身体がついてこない状況というのはまったくの誤算やったな。






ということで急きょ決まった上京ー!
使ってない荷物を引き上げる予定だったので、急いで荷物整理をしなくては。熱下がるかな~。下がるといいな~


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【パレードのトリを務めてきた!】濃すぎる化粧、苦しすぎる衣装。

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木曜日の話。いつも通り事務所にいたら、いきなり同僚から



「みず、11時に○○へ行ってメイクアップしてきて。それで14時からのパレードに参加して!」





「パレードって何?」



「ほら、みず去年着物来て参加したパレード!今年は今日なの。みずはロンボクの衣装を着て、チドモ(馬車)に乗って!みずのチドモは最後だから。」





相変わらずなんの脈絡もない急な依頼。そして依頼が雑。



毎年私の配属先が主催している「文化月間パレード」は、各地域から様々な衣装を着たインドネシア人が集まり、道路をふさいで行われるわりに大きなイベント。

去年は隊員仲間と浴衣を着て、大注目を浴びた。

州知事の前でお辞儀をした去年の様子。

次の日ちゃっかり地元新聞に載った。






今年はエントリーしていなかったので、完璧に油断していた。そしたらいきなり招集がかかった。




でもロンボク伝統衣装を着て、イベントに参加する機会ももうないなと思ったら、せっかくなので、仕事を中断し11時に指定されたサロンへ連れて行ってもらった。









まずは髪型。


イ「はい、ここ座って!」



と座ったのはいいものの、ほっそーいクシで超強引に髪の毛をとかれる。




私「いたいいたいいたいたい!!!!」



イ「Tahan!!!(我慢して)」



このやり取りを軽く5回繰り返し、輪ゴムで髪をきつく結ばれ、スプレーでガッチガチに固められ、逆毛を立てられ細長いお団子をこさえる。





イ「次メイク!こっちきて」



と言われ、インドネシア流化粧をされていく私。


イ「この眉毛、そってもいい?」

私「いやだよ!」

イ「Sayang...(残念)」



で、つけまつげをつけられ、鼻筋にシャドウを入れられなったのはこんな顔。



濃っ!!!!!!

ちょっと!これダメでしょ!色々ダメでしょ!
私が騒いでいるのとは一変、インドネシア人たちは「キレイ!」と写真を撮りまくる。





こうなったらヤケだ!なりきろう。写真を撮られるたびに「自分は女優だ」と思い込む。




そして着替え。腰回りや腕にシルバーのアクセサリーをつけ。着物を着るときのように腰ひもで結構がっつりしぼる。苦しい。痛い。重い。







準備が終わり、パレード会場につきチドモと言われる馬車に乗り込む。

そして、ロンボク伝統的なパレードの締めに、なぜか私は馬から身体を乗り出し、観客に向かって手を振り続けた。






なんだろう、これー。




気づく人は私が外国人だと気づくし、私のことを完全にローカル人だと勘違いして写真を撮ってくださいと言われることも。





相変わらずめちゃくちゃで、ノリで何とかなるこの感じはどうかと思うけど。トリとして外国人がロンボクの伝統衣装を着て登場って、それにしてもオイシイ役をいただけたなと。





任期最後の方に、思い出に残る行事に参加させてもらえてよかった。
1年に1度のイベントは、任期中2回のみ。これが2回目の文化パレード。ちょいと感慨深い。

パレードを現物していた同僚がFBであげた加工しまくりの写真。

顔薄いのに、濃いメイクしたら化粧事態がうくんだなー。インドネシア人は似合うのになー。


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【まとめ】観光職としての2年間でやってきたこと。

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報告書をまとめる過程で、2年間の活動とその結果をこの記事にまとめておきたいと思います。いつかだれかの参考になれば。(連投失礼!下書きに保存していたものをアップします)



○要請内容:ロンボク島の観光局に所属し、メディア誘致・数値分析などを行う。または観光資源の発掘。







活動①プロモーション
ロンボク島の認知度向上という目的で、日本のメディアにアプローチしました。


▶日本のテレビ局誘致
日本の制作会社と連携し配属先管轄である、ロンボク島・スンバワ島を取材地として撮影してもらいました。

(4/7)    【ロンボクでロケをしようよ】~下準備編~
(9/2)    【吉報】うれしい、うれしい
(9/29)  【ロンボクでロケをしようよ】~ロケハン編~
(10/10)【撮影が始まりました】そりゃ一筋縄にはいかないか
(10/26)【ロケ記事最終回】久々の日本食が全然日本食じゃなかった



▶機内誌へ記事掲載

インドネシアのANA、ガルーダインドネシアの機内誌にロンボク・スンバワ島の記事を特集してもらいました。

(1/27)【怒りを通り越して、冷静。】それでも一歩ずつ
(4/7)  【ようやく叶った。メディア掲載】機内誌に特集を組んでもらったハナシ



▶ロンボク島PRビデオ制作

映像制作のSVさんと学生と協力し、ロンボク島のPRビデオを制作しました。現在日本のネットメディアなどで放送中。

(5/12)【PRビデオ撮影終了】約束ができない国で、仕事をスムーズにまわす
(6/25)任地自慢。ロンボク島、こんなトコロ



▶ガイドブックへの掲載強化

日本のガイドブックに、ロンボク島のリンジャニ山トレッキング情報と、サーフィン特集、また取材に同席しホテルやお店、レストランの情報提供を行いました。


(6/30)【異動してからのワタシ】新たな活動、新たな環境
(7/25)【努力は報われない、でも。】日本のガイドブックへの掲載



▶ロンボク島 日本語の地図を作成

現在ロンボク空港、配属先、観光情報センターにて配布されています。

(6/24)【悪戦苦闘しながらロンボクの観光地図を。】
(6/26)【観光マップ作成の道のり】地味で地道な第一歩。
(12/15)【バトル?】配属先にゴネてみようと思う。
(12/17)【それ一体どういう状況だよ】はああああ、いらいら
(1/27)【怒りを通り越して、冷静。】それでも一歩ずつ
(1/29)【サンプルあがった!】わが子のように愛おしい。
(2/19)【たくさんの人が来てくれた】
(7/1)【そんな言い訳あるかい!】観光地図の再発行




活動②人材育成
住民の観光意識向上のため、観光セミナーを開催したり、学校巡回をしようと奮闘しました。(学校巡回は配属先の承認が得られず、未実施)


▶観光セミナー

観光マーケティングについての考え、日本やロンボクの観光の特徴など、ホテル組織や旅行代理店、大学生に向けセミナーを行いました。

(5/28)【プレゼン当日】和解。
(3/27)【しばらくどろ~ん、のその後】大学でのセミナーと脳貧血




▶学校巡回

ロンボクにある高専を巡回し、ワークショップを通じ「観光意識」向上を目指しましたが、最後までかないませんでした。

(8/8)【勇気を持て!チャンスを繋げろ!】すれ違いざまの一瞬で未来が決まる。
(8/15)【ついに教育局訪問。】活動の一手になるか?
(8/28)【最後の手段】もう許可なしに学校へ行ってしまえ

→結局配属先からの承認レターがないと学校には行けず、カウンターパートが立て続けに変わったことで、最後まで許可が下りなかった。





上記で記載した以外にも、一村一品運動をロンボクで広げてはどうか?とか、田舎ツアーを企画し、配属先とコラボで売り出せないか。なんてことも1年目は検討していた。


JICA調査団を引き連れたツアー、
空港拡大のため、日本から来た企業とのミーティング、
ロンボクにある旅行代理店を訪問したり
日本から来たお客様のツアーアテンド、通訳。

上記以外では、配属先の会議やイベントに参加したり、出張へ行ったり。
任期中に行った地域と、数字は回数。なんだかんだ、首都のジャカルタへは10回足を運んでいる。そして、配属先管轄のスンバワ島も、毎回車で10時間以上かけて4回も行ったんだな・・・



CPが移動したあと、新たな活動として同僚と計画していたものは下記2点。

①TIC(観光情報センター)スタッフに対し、日本語を教える。
②博物館、文化公園内の看板表記に日本語を追加する。


これの許可を配属先から待っていますがレスなし。そんなステータス。





ブログで書いていたことがすべてではないけど、もがきながら楽しみながら、充実した2年間を過ごすことができました。これが私の2年間の活動、総まとめ。


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【協力隊に参加したマイナス面】あえていくつかあげるなら・・・

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しばしお付き合いください、マイナス記事。決して病んではおりませんのでご安心を。


活動を振り返ることが増えて、私にとって協力隊に参加したメリットって山のように出てくるんだけれど、あえてマイナス面をあげるとこんな感じかなとまとめてみました。




あくまで一個人の見解だと思って、笑ってやってください。




①いつの間にか歳をとってる。

任期2年。そりゃそうなんだけど、季節もない、自分の誕生日も気にも留めなくなる、そして気づいたら2つ歳をとっていた。
25歳で受けた協力隊、気づけば27歳。そしてもうすぐ28歳。実年齢と気持ちの部分に乖離ができてしまっていて、「あれ、私今いくつ?今年28・・・だったかあー・・・(遠い目)」てなる。

社会的に見たら25歳で許されて、28歳で許されないことってたくさんあると思う。そこにきちんと追いついていけているのか不安。





②友達の結婚式に出れない。

訓練中から見ると、親友の結婚式に2回出れなかった。そのたびに電報を送り、時間を決めてバーチャル結婚式に参加しようと試みるが、いかんせんさみしい。すごくさみしい。
はあ美しい日本人。ちなみに私は中央携帯の画面の中。ちゃっかり集合写真に参加。



③婚期が遅れる。

SNSを開けば子育てとか、結婚しましたの報告。私はもともと結婚願望とか出産願望が少ないのでダメージ?もそこまでないんですが、「あぁ、そういう年なんだなあ」「協力隊終わったら結婚したいなあ」なんて自分を見つめなおします。




④美意識のカケラさえなくなる。

増えたシミ、いっそう適当になった美容ケア、さぼったが故のクマ、伸びきった髪の毛。ケンタッキーや、日本のカップラーメンは何よりものご馳走、偏った栄養。利便性重視、色あせた服、すり減った下着に穴の開いた靴下。

2年間だと割り切ってしまえばこんなもん。


7センチ以上のピンヒール、ティファニーのネックレス、スモーキーピンクのワンピース。ロンボクにいる今の私には似合わない。

海で傷んで茶色くなった髪の毛、シミだらけの焼けた肌の色、白いTシャツとビーチサンダル。これが今の私。






⑤アイデンティティの喪失。

こっちに来てから「自分」がなんだったのかわからなくなる。27年間の価値観が0に振り出しに戻って、もうブレブレですよ。それを含めても、それが自分なんですけど。





⑥健康とは、なんだ。

衛生環境が全く違うから、感染症とかとにかく病気しがち。お腹がゆるくなるのがデフォルト。


このゆるい体調不良と万年付き合っていると思えば、もはや友達。病気と友達!






⑦情報・話題についていけない。

テレビもない、ネットもそこまで早くない。オリンピックの話もついていけないし、SMAPが解散した事実はギリギリ知れた。都知事選があったのも抑えている。(結果は知らない)

アンテナを張っておきたいのは、世界のどこでテロがあって、災害があったか。各国に隊員たちがいるから。

そして、ドルで振り込まれている生活費にかかわる、ドルの為替の動き。それに付随する国際情勢。それだけしか抑えてないです。浦島太郎だよね。




⑧日本食に悶える。

南蛮漬け、ハッピーターンの梅わさび味、ウニ、生魚、漬け丼。ユッケ、馬刺し、焼き鳥、ラーメン。コンビニスイーツ、セブンのアイスカフェラテ。すっぱむーちょ、抹茶味のおやつ。生牡蠣、焼きさんま、エイひれ、タコわさ。餃子、寿司、焼き肉、タイ料理。大福。しめさば。
一時帰国中に食べた海鮮丼を眺めて、毎日悶えてる


はあああああーーーーーーーーーーー。もう少しの辛抱。





思いつくのはそんなところかな。
身についてしまった癖とかも色々あるなーと思いつつ、とりあえずはマイナス編。でもそれをはるかに上回る経験ができるからこそ、最後までここにいれるのです。


↓昨日村を訪れたときの写真を↓




あ、日本からの荷物、まだまだ受付中ですよ♡笑

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【胸部レントゲンを撮りに病院へ】これだったらもう行かないよ。

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相変わらずの体調不良が続いているので、再度健康管理員さんに相談。




健「症状はどうですか?」


私「微熱とだるさが1か月続いています。」


健「他に気になる症状はありますか?体重が減ったりとか」


私「暴食ぎみなのに1か月で2キロ体重が落ちました。」


健「他に?」

私「そういえば2週間ほど便秘で、かと思えば下痢の症状です。4日間ほど、トイレの水が真っ赤になるほどの出血がありました。」





書き出してみると、そういえば・・・と症状がどんどん出てくる。身体のサインはあった模様。折り返し電話をくれ


健「今日17時から、ハラパンクルアルガ病院で、ドクターヌヌックさんに会ってください。そして胸部レントゲンを撮ってきてください。」





私「わかりました。・・・胸部レントゲンですか?何のために?」


健「咳は出ていないとのことですが、一応結核の疑いを晴らすためです。」





結核!


なんか仰々しくてびっくりしたけど、さすがここらへんは健康に厳しいJICAだなーと思った。




17時、タクシーに乗り病院へ。
2011年にできた割と新しい病院。初めて!

ドクターに会って、症状を伝え早速胸部レントゲン。すぐに結果が出て、「問題ありません」となる。


肋骨のムキムキレントゲン写真をお土産でもらったんだけど、これどうすりゃいんだろう...帰国時に持って帰った方がいいの?





ドクター「チフスの症状があったのね。抗体を調べるから、この用紙を持って研究所に行ってきて。その結果をもって、また診察に来てくれる?」と、その日は帰宅。えー。今日わかんないのー。




次の日、自宅から割と近くにある専門の研究所へ。
Prodia、インドネシア中にある専門機関らしい。
受付。症状をここで伝えて、左のクーラーのある下で血をとる。



要件を伝え、血液検査をお願いしますと受付後にすぐ採血された。




驚いたのは受付時に「宗教はなんですか?」「最終学歴はなんですか?」と聞かれること。それがどう影響するのかがめっちゃ気になる。


3時間ほどカフェで時間をつぶし、結果を受け取りに。診断結果は「サルモネラ抗体なし」。






この時点で、クタクタ。このたった一行 Negative を見るためにあっちこっち行って、病状を説明して、長時間待って。

夕方、結果をもって再度病院へ訪問。
受付で保険のゴタゴタがあり30分またされ
ようやく診察室へ通されたと思ったら、ドクターは1時間遅刻。
2時間待ってようやく通されたと思ったら

ドクター「ジュポン。ジュポン?日本はジュポンっていう?」というよく分からない話を振られ


「結果はネガティブねー。昨日渡した抗生物質で様子見てみて」とヒトコト。




私「え?おなかの調子が悪いのはどうしたら?」



ドクター「自然に任せるのが一番だから!パパイヤと水をたくさん飲んでね!」、と言われる。





病院で3時間待って、ドクターに面会したのはたった2分。
私はわざわざパパイヤの力を聞きに、ここに来たのか!?と思ったらアホらしくなり。



私「分かりました。ありがとうございました」と言って席をたったら



ボブマーリーが歌うみたいに、陽気な島のノリで

ドクター「Don't Worry~♪」と言われた。






タクシーに乗って、一人。
怒りというか、なんなの!?と心底さみしくなる。




2年も住めば、だいたいのことは許せるし
だいたいのことは、笑って「かわいらしいなあ」なんて思えるけど
病気のときだけは無理だ。



しんどい中で行ったりきたりして
病院の待合室で、ロンボク人からの視線をこれでもかというくらい浴びて
放射線科、とかレントゲン、とか。わからない単語ばかりでドクターの言ってる意味を理解するにも体力がいる。




病院に行くことはとても疲れる。
とても神経が擦り切れる。


こんなに負担がかかるなら、普段しんどいのも我慢するよと思えてしまう。それくらい余計なストレスをかけてしまった。





あでもね。
ブログに書いちゃうと、とっても深刻そうな病気っぽいけど
全然ふつうに生活できているんですのでご安心を・・・。

食欲もあるし、しんどいのは熱がある1日1時間くらい。
活動も普通にしているし、睡眠は今までにないくらい爆睡。

とりあえずは1週間、熱をレコーディングしてまたJICAに報告します。


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【帰国前のネガティブ期突入。】

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7月のレバラン明けに割と長期間の体調不良になって、結局熱が14日連続で下がらず。今でもたまに夕方はしんどくなって、やっぱり微熱が出る。


帰って測ったらやっぱ微熱。体温計壊れてんのかなー





健康管理員さんに相談したら、「血液検査はサルモネラだったけど腸チフスの可能性もあるね。予防接種はしてるけど100%避けられるものじゃないから、しばらくしんどいと思います」と。




んでかれこれ丸1か月、熱が出たり下がったり。こんなに身体弱かったっけ。







昨日は同期がその心配をしてくれてLINEをくれた。



「体調どー?」


「たまにまだ熱出るけど、大丈夫。○○は元気―?」


「実はあんま元気ない。体調もよくない」


「うん、なんかそんな気がしてた。」





私とこの同期は帰国の2か月ほど前になって、帰国前ネガティブ期に突入していた。LINEで話して、あぁ私だけじゃなかったんだーって。
思っていることは同じ。





「帰国前になって、今までのことを振り返って、何しに来たんだっけって見えなくなった。」
「焦る」
「体調も悪くなるし」
「頭の中もネガティブなことばっかり」




「意外に長いよね、あと2か月」

「長い。結構きついな」

「きつい。





私はてっきり、活動が全然進まない隊員が最後はそうやって思うのかと思っていた。だから私だけが、そういう感情を持っているんだと思い込んでいた。



ロンボクの高圧的で、排他的な民族性はインドネシア隊員の中でも結構有名で、いろんな隊員から、「ロンボクでよく2年間頑張ったね」と言われることが実は少なくはない。
任期短縮や、任地変更が、他インドネシアの地域と比べるとダントツ多い。というか、ロンボクしかない。






それを言い訳にはしたくないけど、私は自分の活動を振り返ってみて、やっぱり何かできたとは思えない。






そんな私がネガティブになるのはわかる気がするけど、私から見たその同期は、本当に輝いていて。毎日23校、一人で学校へ訪問して、自分で作った教材をもとに授業をしていた。「え、なんで元気ないの!?」という驚きが正直なトコロだった。





子どもたちと写っている写真は、それは楽しそうだし
どんどん色が黒くなっていく同期を見ながら、羨ましいという気持ちはあったけど「私も頑張らなくちゃ」って思っていた。
毎日授業をしてる同期と、毎日配属先勤務の私は、圧倒的に語学力では差がつてしまっただろうなんて考えもあった。





「でも○○は、毎日学校にも行けて、インドネシアからしても有意義な活動になってるじゃん。大変な自分に鞭うって、笑顔で学校行って。私からしたらほんまにすごいなって思うのに、なんで悩むの?」






「こっちからしたら、みずほもめっちゃすごいよ。配属先に問題があっても諦めんと、いろんな手段使ってロンボク紹介して。わたしはできる範囲でしか動いてない。」





そんなことを言われて、ほー。人の心ってわからないもんなんだなって思った。

「活動がうまくいっている」ような見え方でも、本人の中では悩んで、苦しくて、つらくて。そんな感情と、毎日闘っていたりする。






とりあえず8月末にこの同期とジャカルタで待ち合わせしよう、ということで着地。島隊員はやっぱりさみしいなあ・・・






帰国前のネガティブ期。
ひょっとして意外と多くの人が突入するんじゃないかなと思う。そしてそんな時期は、疲れやすくて抵抗力も落ちて、体調不良がつきものな模様。



自分の傲慢さを見直して、残りの期間とも向き合って。
これが帰国準備をするということなのかもしれないなー、なんて。ネガティブ期における、やる気スイッチ入らない人のつぶやき。



あぁ・・・重い腰が全くあがらない・・・
一回整理しよ。

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【ビジネス日本語と葛藤】こりゃあかんで。

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窓際族になろうと思っていたのに。このリラックスした空間で、心置きなくリラックスできるわけもなく、私は最後までこれでいいんだろうかというモヤモヤ。




結局自分は窓際族なんてなれないことを、この1週間で痛感した。




やる、やらないは人それぞれだし、「やらないで、楽しむ」道を選べたらどんなに楽なんだろうって毎回思うけど。これが自分のやり方なんだって言い聞かせて、もうちょっとそんな自分と闘いながら任期を全うしたいな、と思っています。







昨日で配属先で企画していた大きなイベントが終了したので、CPに活動計画表の進捗を確認しつつ。


今いる部署で「何ができる?」と聞いたところ、日本人の観光客の動向と、パッケージツアーを作ってほしいというオーダーをもらう。






頭にあったグチャグチャを、紙におとして。
絵コンテを書く癖があるのだけど、「みずが漫画書いてる」といつも言われる。


報告書の議題とざっくりなストーリーを絵コンテにして、さあ早速取り掛かろう!と思ったところで新たな壁。








日本語でてこ・・・ねぇぇぇぇえええええええええ!






最初からインドネシア語で報告書を作ると、書いているうちに内容がぶれてきてしまうし、最後の報告書としてJICAにも提出したいので、まずは日本語から取り掛かる。




ただこれが思った以上に苦労して、

ピッタリの日本語が出てこなくて。

「あーあれ、なんだっけ」っていうサイクルにはまって、

最後にはやる気をなくして、どうでもよくなる。(←今ココ)







会話レベルの日本語はLINEとかで毎日使っているけれど。そういやいわばビジネス日本語といわれる類いは、半年に1回JICAに提出する報告書くらいだった。






だから、悩みに悩んだ挙句「日本人観光客動向」なんて出したけど、結局レポートには「日本人は何が好き?」という、小学生が書いた作文みたいになってしまって



心底自分のやばさに気づいた。
これはこれで分かりやすくていいかもしれないけど・・・





この前も、日本からいらしたライターさんからお電話いただいた際に、




ライターさん「みずさんの携帯でしょうか?」


「あ!こんにちは、みずです。」


ライターさん「・・・あ、お世話になっております。」






そうだ!そうじゃないか。
お世話になってます、忘れてた!!!
電話の挨拶は「お世話になっております」常套句、2年ぶりに思い出した時の衝撃。頭を殴られた気分。






はあ。そんなんばっかなんやろうな。
そんな些細なことで驚いて、思い出して。これが帰国後の逆カルチャーショックなんやな。



とりあえず私はもう今すぐ放棄したいレポートと向き合って、難しい日本語を思い出しつつ、ここでの任期を最後まで向き合おうと思います。

ふと目に入った「I MADE MANGA」の看板。
え!漫画作ったって、どんな主張や!と頭で突っ込んだけど、イ マデ マンガ さんという方の名前だと気づいた。
これが英語読みで頭に入るって、インドネシア語脳ができてない証拠だよなあ・・・


・・・やっぱり語学は難しい。

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【1か月の窓際族】帰るまでにやること諸々。

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今日の新聞一面。

そういえば昨日、任地の火山が再度噴火しました。ロンボク空港は閉じているようですが、火山灰は私の住んでいる地域と逆側へ流れているようなので、ちょっと様子見。






さて帰国ガイドブックが郵送で送られてきた。書類をもとに、帰国までにやらなければいけないことをまとめる。




≪提出書類≫
○帰路届け
○進路希望調査票
○活動要旨
○公用旅券返却
○5号報告書
○最終報告書(日本語/インドネシア語)
○活動結果表(日本語/インドネシア語)

○在留届変更所
○上京日の飛行機のチケット



在留届変更は、チャチャッと終わらせて領事館に郵送が完了。帰路届進路調査票も提出しておいた。




面倒なのが公用旅券を首都ジャカルタへ手持ちしなければいけないこと。インドネシアでは、職質があった事例があるため、パスポートを自分たちで管理している。ただ帰国1か月前に帰国ビザ取得のため、そのパスポートをジャカルタへ持っていかなければならない。






ロンボクみたいな島隊員は飛行機に乗らないと、どこにも行けない。
自宅からロンボク空港までは1時間弱、飛行機に乗って首都ジャカルタまで2時間。
さらには世界一渋滞の激しいジャカルタで、30分で到着するはずのJICAオフィスまで、車で2時間。

もはや名物よね、このジャカルタの光景は。


ジャカルタとロンボクに1時間の時差があるってことも突っ込みどころなんだけど。そんな感じで結構な負荷。






ただ帰国前に一度首都にあがるチャンス。


国内線の荷物持ち込みが42キロまで(21キロ×2)、国際線の荷物は69キロまで(23キロ×3)。※JICAで特別に提携しているようです。

お土産とか、もう着ない服とかを今回の上京時にできるだけ引きあげておく予定。そうするとそろそろ断捨離しつつ、荷物整理しないとな。








8月は同僚と新たに組んだ計画表に沿って活動しようと予定していたけど、これまた配属先からはウンともスンともレスポンスなし。




こうして帰国に片足突っ込んでいる今、もう切羽詰まって「あの件どうなった!?」と確認する気力も起きず。


比較的に余裕があるのでとりあえず毎日職場に入って、こうして帰国準備やら、同僚たちとの写真撮影、おやつを一緒に食べるという仕事をしながらサンタイ(リラックス)しておりやす。

私のデスクは、いつだっておやつパーティ会場。




一方でこの1か月が明けると、9月・10月のスケジュールは、どう考えても色々なんかもう無理!、という光景が頭をかすめるほど、バタつく。寝ずで任期は終了したくないので、この空いた8月中に報告書を片付けちゃおうという理想論を奏でることに、今頭が忙しい。






ぬくぬくとロンボクを楽しめるのも、この1か月。この2年間の活動を振り返りつつ、1か月の窓際族を満喫しよう。自分の整理のためにも、活動まとめ記事をいつか書・・・こうか、なあー。


首元の汚れがたまらないネコ。あぁ、ねこになりたい。



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