とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【インドネシアに住んで分かった、本当のネズミ退治の仕方】

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最近、自宅に人間以外の来客が多い。


トリが迷い込み、救出ののち変になつかれてしまった。



今日は、そんな中でもネズミについて。かれこれ2か月程前から悩まされていたネズミ被害。

(→①寝れない夜が続きます
(→②帰ってからの参事とか、よく使われるインドネシア語とか

夜な夜な起こされ、さらには排水溝を食べられ、1か月程ネズミと格闘。


インターネットで調べるも「ネズミバスター」業者に頼むのが一般的なようで、私はアパートに住んでるし「なんか仰々しいな」と思い、手をつけられずにいた。



そこでいろんな手を使ってついにこの一か月、ノーネズミ!を達成した私の、私なりのネズ公退治方法をご紹介、な記事。


(歯科矯正ブログに続き、どこに需要があるか分からないが。私はこの地でいろんなことに悪戦苦闘しています、ということだけお伝えします。)


本当のネズミ退治の仕方、結論から申します。


【結論】
ネズミ退治の薬は使うな!

もうこれだけです。



■ネズミ退治の薬
インドネシアで主流なものは、下記の2つ。


















①ピンク色した毒々しいエサ。(実際毒。)
②生きたままホイホイできる、粘着テープ。






これを使って私が起こした悲劇と、実際自分がやった退治法をご紹介。



【薬使わなきゃよかった談】

→毎日来るようになり、ネズミのルート構築。

排水溝から来ることはわかっていたので、ふもとにホイホイを置き、そのうえにエサをまく。

この作業を続け1週間、エサだけたべられ、ネズミはホイホイされない。



与え続けることにより、「ここにはエサがある!」と認識した方たちが、毎日来るように。
結果、これが更なる悲劇をもたらす。結果は後ほど。




ホイホイ→え・・・生きとるやん

すっかり目覚めのルーチンとなった「ホイホイチェック」。
いつものように、いない気満々でホイホイを見たら、無事にホイホイされてた。


ぼかしてます。

朝の5時、私は一気に高血圧、朝の眠けなんか吹き飛んで、いったんは見なかったふりをする。

ただ見逃すわけにはいくまい。


いや~。しかし、生きてる。逃げる気なのか、どくのせいなのか痙攣?してる。完全な誤算。でも仕方ない。やるしかない。




目が合うのが怖かったので、私はネズミにティッシュをかけた。チューッ!と鳴いた。いやああああぁぁぁ



早急にビニール袋に入れて、部屋をダッシュで走り、外にあるゴミ箱へ。
ゴミを回収してくれるお手伝いさんをビックリさせちゃうかな、と思って


「Ada Tikus. masih hidup(ネズミがいます。まだ生きています)」という紙を置いておいた。






でもやっぱりちょっとすがすがしかった。これで、ネズミとの戦いは終わりだな、と。





朝の一件ですっかり安心しきっていた私は、いつものようにお昼ご飯を作りに事務所から家へ帰宅。

到着後、すぐに異変に気づく。


部屋のフローリングに、ヘビが這ったようなニョロニョロとした跡が。裏口から続く跡をたどると。




遠目でネズミの写真出るよ~↓↓

ひいいいぃぃぃいぃ!!!!!!!!



いたよ、部屋の隅っこに巨大マウス。コロっと横になり、お亡くなりになられてる。

ネズミよ。なぜ最後の死場に私の部屋を選んだのだ。

勝手な分析だと、私が毒を与え続けネズミルートが既に確立されていたことが影響している。


ちなみにこの日はネズミだけではなく初めてGが出た。ひっくり返ってピクピクしているやつ。
彼もきっと毒を食べたに違いない。




これ、すべて一日で起こったこと。本当にまいった。日本に帰りたいって思った。




こっちで売られているキットを使っても、いいことなんて一つもない。


そこで、私はエサを与えることをやめ、ネズミが入ってくる外の排水溝をふさいだ。 
(なんで最初から気づかなかったのだろう・・・)


水だけが排水されるよう、若干隙間をあける。

これだけで、それ以降ネズミは一匹も現れなくなった。



問題を解決できるのは、問題の根本がどこにあるのかを見つめること。
便利な武器にばかり頼っていたら、それは問題と向き合ていることにはならない。


【ご提案】
排水溝をいっそふさいでみては?


[2016年7月追記]
排水溝をビニールでふさぐと、ビニールをかじって再度家の中に入るようになりました。
今はまな板を排水溝に設置しています。
また、よくある防虫剤(タンスにゴンみたいなの)を蒔いておくと、ネズミが来なくなりました!
インドネシアではコンビニとかで売っている防虫剤(超タンスの匂いがするやつ)、おすすめデス!

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【ロンボク島にある日本食を食べてみた】

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海外に暮らして半年もたてば、誰だって日本食が恋しくなる。


私は割にそれが顕著で、家では自炊をしている。今日のお昼はお好み焼きを作った。



ないと思っていた日本料理屋。実はロンボク島にもあるという噂を聞き、ためしてみることに。

以下、体験レポ





~突っ込みどころ満載!ロンボクの日本食~


【DE'SUSHI】 

JL.Sriwijayaにあるデスシというレストラン。インドネシアでチェーン展開をしていて、複数店舗あるよう。
それだったら間違いないだろう。




店内はとてもキレイだ。

「イラシャイマセー」。 カタコトだが、挨拶も日本語。



メニュー。値段は日本の安い居酒屋くらいだろか。


格段値段が高いわけでもなく、家族連れやカップルなどが多い。
この日は、蒸ギョウザ、天丼、カルフォルニアロール、サーモンサラダを注文。



味は、、頼んだメニューがお決まりだったか、ちょっとの面白さも期待していたが、そこはさすがのチェーン店。




すっごいおいしいわけでもなく、なんちゃって日本食という所かな。


デスシにおける日本人的突っ込み

①エビ風味のころも。
 天丼のエビの割合は10%程度だろうか。エビ天?エビ風のころもです。



②オハシ。
 袋から出したら、既に割れてた。しかもだいぶ失敗してるやんこれ。 慣れていないだろうからそこは許す。それ使うなよ。




③お寿司ですか?いいえ。 
 
材料:イナリ、チーズ、ウナギ、エビ、ス・・・ストロベリー!?!?


そんなメニュー、日本にないから。 






 【Cloud Takoyaki】

二軒目は、家の近くに最近オープンした屋台、クラウドタコヤキ。

名前がいかついぞ。

クラウドとはどうやら、クラウドというシューズショップが出していることから由来するようだ。


オシャレなお店系列?ということもあり、屋台のお兄さんイカツイ。


味は・・・

イカ、エビ、鶏肉、牛肉、チーズ、ソーセージ。
たこ焼きの意味を知っているかい?


4つでだいたい100円くらい。
油を敷いて、さらに作る過程でたっぷりのバターを入れるのがロンボク流のたこやき。

最後のトッピングは、かつおぶし、ソー・・・ス?、サンバル(辛い調味料)


見た目はたこやきだった。目をつぶったら、たこやきではなかった。

それでも、私がオーダーしてから帰るまでに2組注文をしていたので、そこそこ人気?なんだろう。





いや、私がこの屋台に対してレポートしたいのは、これだけではない。



なぜこの店が気になったかというと、でっかい字でこんな文字が書かれているのだ。



しっ・・・・・しろ・・しろっ

























白丸ポッ!!!!!


これあかーん。




こんな意味の分からない日本語をでかでかと書いておいて、このイカツイお兄さんたちは真面目に白丸ポッと呼ばれるものを作っている。




み「お兄さん、この 白丸ポッ って意味知ってるの?w」


イ「知ってるよ! タコヤキって意味だろ! インターネットで調べたんだよ」



あぁぁ、、私は笑いをこらえるのに必死、というか肩を震わせて笑う。





み「これね、タコヤキって意味じゃないよw
  
これはプティ(白い)、丸はブラッ(丸い)、ちなみに ポッって意味ないから!!!www」



というと、異変に気づいたクラウドの店員さんたちが外に出てきて、

イ「シロマルポwww」

と、私が教えた読み方を何回も繰り返し爆笑している。 
耳拡張しているイカツイお兄ちゃんも爆笑。
いい笑顔やな~

一緒にいたお客さんも、オシャレハットをかぶった別の店員さんも大爆笑。


イ「タコヤキって書きたかったんだよ、、 この紙にたこやきって日本語を書いてくれ」



たこやき

ハラール(ムスリムでも食べれますよ、というマーク)も日本語で書いてくれ、と言われたが、日本人は大丈夫だよと心の中で思う。


ちなみに、アルファベットなしで一回渡したら、紙をくるくる回して「どっちが正面だ?」と聞くので、アルファベットを追加した。
そうか、彼らにとってニョロニョロしているように見える日本語は、どこから読むのか分からないのか。




アルファベットを書かないで渡したら、もしかして「きやこた」・・・「ルーラハ」・・・


「次に来るまでに直しておくから」と言い、別れた。




なんて純粋なんだろう。

次に行ったときに、白丸ポッがたこやきになっていることに期待。
いや、心の中ではそのままであってほしいなともちょっと思う。






レポ総括:

ロンボクにある日本料理は、ちょっとよく分からない。


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パパへの手紙

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先日、起き上がり小法師をいただいたアーティストさんに会い、取材をさせてもらった。
(→若干右斜め前。

取材という名目でおじゃまさせてもらったが、ちゃっかり3点も購入した。だってステキなんだもん。

サルとイヌが、バナナの葉っぱに乗ってサーフィンしてるよ


ニューカマー。サルの起き上がり小法師


このアーティストさんが描くものは、ロンボクにあるものを題材にしているという。




この後記事を編集するので、詳細はまた今度の機会に。
追記:記事はこちらから

絵画と併せて、今回はポストカードを6枚購入した。
※おまけでつけてくれたマッチ


ロンボクの風情漂う景色を、 決して誇張することなく表現されている。

カキリマと呼ばれる屋台の説明が乗った絵葉書。カキ=足、リマ=5
カキリマは足が5本あるという意味。移動式販売の屋台の足が3本(タイヤ2、つっかけ1)と、売り子さんの足が2本でカキリマ。インドネシアでは、どこでも見れるカキリマを表現したポストカードだ















ハガキを見て、何か胸につっかかるものがあった。

小学生の時、学校から帰ると家のポストに白い封筒。住所は英語で書いてある。早く開けたくて、エレベーターに乗っている時間がもどかしかった、あの瞬間を思い出した。





手紙はパパからだった。




英語で書かれた私の名前。絵葉書には、海外のアーティストが書いた猫の絵。シアトルだったか、ワシントンだったか。パパがいるところの地名が書いてあった気がする。


私のパパは私が小さい頃から、赴任や出張が多く家にいることがほとんどなかった。



ここロンボク島でたまたま手に取った絵葉書から、しばらくずっと思い出すことのなかった、なんだろ。何か、ざわっとした。





私は、小さい頃から父が嫌いだ。


不器用で、口数が少なく、お酒が入らないと笑わない。

平日夜帰ってきたと思ったら、かなりお酒を飲んでるようで、どこかのゲームセンターでとっただろう人形を、私のベッドに放り投げる。


家に帰れば、阪神タイガースの応援。


高校生の時、夜が遅いといつも怒られた。

食事中に友達にメールを返そうもんなら、声をあらげて怒られた。




大学生の時、両親が離婚した。


久しぶりに一緒に食事をした父との長い沈黙。




「お母さんから聞いてると思うが、そういうことだから。」



嫌いな父に涙を見せるのが悔しくて、
私は気丈にふるまうことしかできなかった。







父が大嫌いだった。





不器用で、何も表情に出さない父。

仕事しかしてこなかった父。

頑固な父。

マナーが悪いと、すぐ店員にクレームをつける父。

私が内定出た会社の報告をすると、「上場しているこっちの会社にしなさい」と、私は前職に入社した。

 




私は父が嫌いだった。








仕事をし始めたある日の平日、あるきっかけがあり私は父の会社を訪れた。



高層ビルが並ぶ街、会社の案内表記はすべて英語。

外資の上層部として働く父は、部下をたくさん抱え、私が見たことのない笑顔で社員と接してた。



パパが30年間闘った場所は、こんなところだったのだと。
パパはここで、たくさん理不尽な想いをしていたのだと。


24歳の時に、初めて知ったことだった。




パパは、家族を蔑ろにしていたんじゃなかった。
パパは、家族を守るために、理不尽なことに頭をさげてきた。


会社で働く父の姿を見て、人として素直に尊敬した。


理解のない娘でごめんよ。
お父さん、ありがとう。





ロンボクの絵葉書を眺めて、父に手紙を書こうと思った。



あの時、パパがやってくれていたように、今度は私がここから手紙を書こう。

カキリマの絵葉書なんて送ったら、「なんだこれは」としかめっ面をしながら
きっと会社で、「こんなハガキが来た、まったく」なんて話をしてくれるんだろう。





頑固で、家族の前では不愛想で、理屈ぽい。

酔って口を開けば「アリとキリギリス」の話。

ジムに欠かさず通い、真面目で、努力家で、ネコが好き。


パパの前では、「パパ」なんて呼べないけど。。。





今では私の大切な父であり、血がつながった私の上司だ。



ロンボクの絵葉書を使って手紙を書こう、そう思った。



**********
ブログのデザインを一部更新しました。

★PC:今までスクロールで過去の記事が見れましたが、更新したことで見れなくなりました。
気になる記事をクリックしてもらうか、ポップアップした画面の左上にある矢印アイコンで過去ページが見れます。

★モバイル:逆に、今までとは違い、下にスクロールするだけで過去の記事も見れるようになりました。


※今までコメントについて投稿できない!と連絡をいただきましたが、更新しましたー
気が向くまま、「太った!」だの「髪伸びた」だの、コメント欄へどうぞ







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【若干右斜め前。】

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ガッツーん!!!!!








いっっっったあああああああ!!!





ロンボクに来てからというもの、お行儀良く座るコトが苦痛となってしまい、家の椅子に座る時は片足立ちがスタンダードになってしまった。
(職場ではさすがにしない)




それが災いとなり、先日事故で思いっきり打撲した膝を、畳み掛けるようにして机にぶつけた。



痛い。



めちゃくちゃ痛い。一人で悶える




打った所を見ると、新たな青タンができた。


ただ久しぶりにまじまじと見た膝には、もうすっかりあの痛々しい青や紫の色味が消えていることに気づいた。
(痛みはまだ残っているが)







3週間経ったのか。




にわかにアザになった新傷を眺めながら、人間って大したもんだなあと感心する。







当たり前だけど、傷は治る。








そう思っている所で目に入ったのは、先日とあるアーティストさんからいただいた、ニワトリの起き上がり小法師。


そっと置かれているが、確かな存在感である。




起き上がり小法師というのは、小さい子どもたちからも親しまれているが、実は緻密な計算があってこそ起き上がってくる。それが一寸でも狂ってしまうと起き上がらない。らしい。

アップ。



こんな可愛らしい顔で、

「私はニワトリです」



とでもいいたげな裏側には、そんな美徳が隠されているなんて。なんて神秘的なんだ起き上がり小法師。






ただ、この子を見ると起き上がった姿勢が若干右斜め前。


もう一度倒してみるが、どうしても若干右斜め前。









お・・起き上がりきれていないじゃないの!!!




これもこれで、なんだか自分みたいだなあと思う。







起き上がれる所できちんと元に戻れればいいが、協力隊としてここにいる私は、もがいて、転んで、ようやく立ち上がれても、やっぱり若干右斜め前。


そしてまた転び、きちんとした姿勢に起き上がれるのはきっとまだまだ先だ。




最近は自分の感情のコントロールにうまくついていけない。


嬉しい!頑張れる!
そう思った矢先にはイライラしたりする。




たまたまおしゃべりがてら立ち寄ったNGO。アポなしだ。私の顔見るなり早々、「明日の朝、ホテル組織の会合があるからみずがやりたいことやっていいよ!」




え?明日?



私あなたから、日程の連絡を一ヶ月近く返答待ってたんですけど。




あなたSMS送るって言ってたじゃない



もし今日私がここに来てなかったら、どうしてたんだろ。


既に時間は18時をすぎているし、初めての取り組みだったのでないがしろにはしたくない。

インドネシアであれば、「なんとかなる」のだが、これだけは「なんとかなる」で済ませたくなかった。




私は、「明日はさすがに難しいよ。ちゃんと準備したい」と言うと



イ「今度の会合でみずがやるって言ったんじゃない。私はあなたのために調整したのよ。今回は分かったけど、次は頼むよ。(私のメンツも考えてくれ)」





え、ええぇぇ〜




そりゃ任せっきりにしてた自分にも非がある。それに、折角のチャンスを自分が無駄にしてしまう不甲斐なさも重々承知だ。




いや、でもさ?

いやいや、やっぱりさ?






言いたいことは山のようにあったが、ここは堪えるのが得策。今自分の意見を伝えるには、まだ関係が築けていない。



事務所に戻ると、先週から既に3回目の

「ミンタフォトコピー ヤン クマリン」 この前のイベントの写真をプリントして





でた。
じ依頼が週3回。


一回目に依頼された時に、既にデータは渡した。


二回目も同じ依頼。
今度は、私がいない時にでも引き出せるよう、共有ファイルに保存した。


三回目。データを探すよりも、直接言った方が早いと思っているのか同んなじ依頼をまたする。



毎回同じ。これは本当に小さいことの例だけど。
問題になるところは毎回同じだ。



些細なことだ。コピーくらいいくらでもする。むしろ、そこに私のいる意味を見出してくれるなら、はい、喜んで。






ただ、公務員なのだから尚更、【自分たちで考える】ということをしてほしい。

ロンボクの未来を作るのは、あなたたちなのよ。






あぁ、この際だから七転び説をもう一個。


私の活動ががなかなか進まないのに、インドネシアの「スラット(手紙)」文化は欠かせない。
(間違っても決して他人のせいにしたいわけじゃない)




企業で言う、稟議書といったところだろうか。


学校訪問しかり、日本からメディアきますよ、というアナウンスであったり、申請したいです、だったり。


え、そこでそれ必要?って所でも
活動全てに配属先からの許可書がいる。



面倒なのが、あまり面識のないTOPのサインがいること。




私の配属先は、90人強。書類文化のこの事務所で、すぐにサインをしてもらえるわけもなく。ただ待つ。急かしたいけど、いない。ああ、フォザルさん今ジャカルタですか、そうですか





自分以外の範疇でできないことはイライラしても仕方ない。
考えるのはよそう。



今度からはそれを見越して早めに出せばいいだけ。




仕事一つとっても全てが日本とは違う。

違いすぎる。



そんなことでして、最近は考えごとしすぎて夜ねれず寝坊が増えました。(事務所には間に合ってます)



あれだ。それ疲れてるんじゃなくて、私がインドネシア人になりつつあるんだ。うん、そうに違いない。






七転び八起き、今日は転びっぱなしの一日。

明日は右斜め前でもいいから起き上がりたいものだ





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とある女子が考える女子像 と、独り言

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仙人のようだな、と思ってしまう。今の自分の生活。
既に休日の誘いを断り続けて1か月。それでも懲りないインドネシア人の友達には感謝でしかない。



平日に外に出る機会が多い観光のお仕事。
昨日、ジャカルタから来た地価調査の団体に同席し、帰ってからは意識がない。最後にLINEを返した時刻を見ると、どうやら12時間程爆睡していたらしい。




私のブログのタイトルしかり、ライターのお仕事をさせていただく時のペンネームは【島暮らしのとある女子】。

一般的なイメージの【女子】とは、既にほど遠い生活。



分かっている、わかっているがあえて女子という言葉を選んだ。



靴下や手袋をはめているのか?とつっこみたくなるマダラな日焼け。

大切な友達から出発前にもらった指輪は、マダラな日焼け防止にと、人差し指、時には中指、時には薬指。

移動させる度に、しばらくするとそのあとすらなくなっていく。


同僚たちは声をそろえて喜ぶ。

「みず、スダ オラン インドネシア!」 もうインドネシア人になった!





一年近く行っていない美容院。もっさもさの髪。
青山にある美容院に、トリートメントやらカラーやら3週間に1度通っていたころが懐かしい。




トリだってさばける。ロンボクに来て、初めてササミという部位がどこにあるかを知った。

魚の三枚おろしは得意。





そんな姿を望んでいた、と言ったら変なヒトだ、と思われるだろうか。

外見ばかりをきにしていた数年前の自分に、「どうだ!」と胸をはりたい。



とある女子が考える女子像は、中立的な考えのできる女性のコト。
遊び心や好奇心を忘れない大人な女性。




時には海ではしゃいで。
時にはパーティーなんかしちゃって。


空いた時間は、自分と自分以外の人が楽しく暮らせることを考える。


っていう記事を、熱気でなぜか曇ったメガネをかけながら、やっぱり女子とは程遠いとある女子が書いています。




ついでの今日のコト。

友人から頼まれた、インフルエンザ検査薬の説明書の翻訳。
いつものカフェでGoogle翻訳と向き合い、訳してみる。


文章:本キットは体外診断用医療品であり、それ以外の目的に使用しないでください。

出てきたインドネシア語を、再度日本語で調べると。

Google先生:これは、診断は、インビトロ薬用で、他の目的には使用しないでください。

インビトロ薬用。なんだそれ。日本語でさえまったく分からない取扱説明書なのに、また新しい単語が。
それでも気づけば3時間、なんとか形に。



そう、気づいたら3時間。
そろそろ帰ろうか、と思いお会計を頼むと、オーナーに

「えっ?もう帰るの?まだ3時間じゃない」なんて言われる。



その後、くだらない世間話をしゆっくり歩いて帰る。




Wi-Fiも電源も、3時間いても「まだ3時間しかいない」と言ってくれるカフェが、日本になんでないんだろうか。



帰りの道は、お香のかおり。
ちょうどヒンドゥー教のお祈りの時間だ。いい匂い。



今日も素敵な一日だったな、と思う。

これからも、素敵な事がたくさんあるな、とも思う。

5月、友達が遊びにきてくれる。大掃除しよう。

7月はバリに行って、8月、ロンボクにあるリンジャニ山にアタックするんだい。

10月、ジャカルタマラソンにでようか

活動もいい便り。

来週はロンボクのとあるアトリエに行って、記事を書こう。


活動ちゃんとしてますよ、と言いたいけどその前になんだいその手は、と言いたい。


そんな私の今日のBGMは Shakira-Waka Waka

もうかなり前の曲だけど、しゃきーらかわいすぎるよ。
裸足でアフリカンダンスを踊る無邪気な姿、これぞ女子、か。
私もわかわかしようっ!



ああ、なんだか本当にただのつぶやきになってしまった。
おふざけもすぎた記事、、たまにはよかろうか

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【一歩前進】自分がやらなかっただけ。

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今日ロンボクはとっても快晴でした。事務所の中庭で撮った写真



この花を必死に撮っていたら、バパッ(おじさん)がこっちの花もキレイだぞ、とのことでもう一枚。



直射日光ジリジリ。

事務所は4月11日に終わったイベント以降、腑抜けの状態。まるで夏に残った蝉の抜け殻。

誰も彼もやる気をなくし、またいつものリラックスムード再来です。




昨日そんな状態を見たので、今日はあることに向き合おうと朝から緊張気味で出勤。





実は、本来活動について一番の相談役である上司(CP)と、かなりの距離を感じていた。



上司自体はめちゃくちゃ優しい。以前倒れ病院に運ばれた時も、診断中に食料を買ってくれたり。

二回目に運ばれた時も、休日だったにも関わらず車を飛ばし、日本語が少し話せる奥さんを連れて病院に連れていってくれた。(→新年とワタシ




私は彼に、勝手に恐怖心を持ってしまっている。





一つに、ロンボク独特の話し方。




ロンボク人は、当たりがキツイ。話してる内容は世間話でも、傍から見れば怒ってる。電話で聞き取れないとどうするか。







「あ"ぁ"ぁ?!?!」ていう。




しかも結構な大声。悪気はない。話がヒートアップすると、誰も自分の話を止めずに言いたいこと言い合うので、ケンカしてるみたいになる。

好きなことを好きなだけ話し、声がでかく、高圧的。私みたいな外国人は、そうなると全く会話に入れない。




それが怖いのだ。




上司が怖い二つ目の理由


昔の記憶、トラウマ。



赴任して一週間目に、活動についてつたないインドネシア語で相談したことがあった。



言えた!伝わった!そんな満足感があったものの、早口なインドネシア語で返される。ようやく聞き取れた言葉が





Tidak usah    必要ない=その活動はする必要がない。なんでそういう言葉だけは耳に入ってくるんだろ



赴任当時の夢も希望にも満ち溢れていた私にとって、その言葉を理解することに必死だった。



えっ? 必要ないって今言った?なんで?どうしたら必要になるの?何が問題だったの?


頭では色々出て来るのに、言葉が出てこない。

結局私は消化不良のまま、納得せざるを得なかった。




そんなことで、上司と話すのはかなり勇気がいる。

朝からそんな不安でいっぱいで、何度も私の机の前を通る上司の様子を伺う。

うん、今日は暇そうだ。行くなら今日しかない。ただ、自分のデスクから上司の部屋に行く足が出ない。





考えすぎもよくないもんだ、と一回トイレに席を立ち、トイレから帰ってきた足で、何も考えない状態で上司を尋ねることにした。




 「パッ スダン シブック カ?」 今お忙しいですか?


 「ボレー」 大丈夫だよ


 「スダン サヤ ラギ・・・」 今私はやる、〜




あぁ、申請するっていう単語なんだっけ!! 見切り発車した私の頭は完全フリーズ。言葉が詰まる私の姿をみてCPは笑っている。


「セベンタール!」ちょっと待ってて!



と言い、用意していた企画書を持ってくる。


「サヤ マウ ムンガジュカン ダナ パダ ジャイカ スパヤ スルフェイ オビェッ ウィサタ ウントゥッ メマンギル メディア ダリ ジュパン」

日本からメディアを呼ぶための観光地調査費を、JICAに申請しようと思っています。

「カラウイトゥ ペルルー アダ スラットブギニ ダリ ディナス 、バガイカナチャラ ビキン スラットニャ?」

そのためには、観光局からこのような書類が必要なのですが、これを作るにはどうしたらいいですか?



「オーギトゥー サヤ メンブアッカン ヤ トゥングセベンタール」

わかった、私が作りますのでちょっと待っててね。



もう感無量。意志疎通できたことと、ここ半年で語学力が格段に成長したこと。
たったこれだけのことだったが、達成感と募りに募った疲れが押し寄せる。

早速CPの要望を受けた部下が書類を作ってくれる。早い(;_;)感動(;_;)


自分のせい。勝手にイメージだけ先行させて行動にためらいを感じていた自分のせい。


最近読んだ本に、そういえば書いてあった。







「世の中、あなたが思ってるほど怖くないよ。大丈夫
昨夜のカレー、明日のパン 木皿泉



そうだな、と思う。怖いって思うと頭の中は怖いで埋め尽くされる。そうすると、もう怖い一色。そんなのはもったいないな。







ということで、最近は活動申請書だったり、企画書だったり、プレゼン資料だったり。



とにかくPCと睨めっこする時間が多かった。



絵コンテを書いてから資料作るのは前職からの癖


高校訪問の企画書(日本語とネシア語) 途中



スコールにやられた高校生向けアンケートのサンプル(ネシア語)


ホテル組織に向けたセミナー資料
もうちょっと体系化してマーケティングを考えましょうね。ていう内容予定。
今は日本語、そのうち訳してネシア語で作る




赴任したての頃に作った、【ロンボクでやりたい9のコト。】と違うのは、同僚が私のことを気にしてくれるようになった点。


「みず、なにやってるのー?資料できたら見せてね。」




今は種まきだ!!活動スケジュール良好。地固めの時期、しっかり固めておいて、後で楽をしようじゃないの。

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【暮らしも半年】変わらないもの。変わったもの。

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協力隊の活動も1/4がすぎる。
今はどうだろう、半年を振り返れば一瞬にして過ぎ去ってしまったものの

一日一日が短い、ようで長い。
かと言われて余裕をこくと、
後悔するほど「えっ!もうこんな時間なの!?」ってなることが多い。



ロンボクには現在5名の隊員がいる。今月末に、そのうち3人の先輩が帰国する。

 
配属先がお互いに遠いため、なかなか会える機会も少ないのだけれど。

それでも、たまに会って話をすると【先輩】としての余裕を感じる。先輩たちは、この2年間でどんなことを乗り越えてきたんだろう。





私もそうなれるのかな。













「日本に帰るのって、どんな感じなんですか?」





久しぶりに会った先輩に、先陣切って出てきたこのアホな質問。





しばらく、一年半後のことに想いを馳せてみた。
このロンボク空港を出て、ジャカルタにしばらく滞在して関係省庁との挨拶を終えて、日本行の飛行機に乗る時。





だめだ。まったく想像がつかない。
帰る日の事に想いを馳せたってまだ何も出てこない。
これは1年半後の楽しみってコトかな。






半年経って変わらない光景になったもの。

ヒンドゥー教の家々

南国の植物

いつまで経っても終わらないイスラミックセンターを通る日常
1000人くらい投入しないと今年中におわらないぞ!



朝6:50にすれ違う、すっごい老けた風格の高校生


7時前後にすれ違う、ちょっと内股のゴミ収集のおじさん



道端で、いつもの朝ごはん。

「パギ~ ヤンビアサ ヤ~!」 (おはよう、いつものね!)

このおばちゃんは、いつも通りにご飯を少なめによそってくれて
私が好きなおかずを多めに入れてくれる。
朝ごはんのナシブンクスは50円~100円。今日は70円。



配属先の外にある屋台のおっちゃんから毎日言われる

「み~ず~! ンガコピー?」(みず、コーヒーは?)


「は~い、ナンティ、ね~!」(あとでね~)という生返事もいつも通り




変わったもの。

ジャカルタから来ているワルタワン(記者)が猿の写真を撮っている姿を写真とった。そういえば、来た当初は私も猿で騒いでた。




日本の猫の写真を二度見する、しばらく眺める。どう見ても太ってる。千と千尋の神隠しで出てくるカオナシなんじゃないかと疑ってしまう。あの顔が小さくて体がでかいバージョンの。

事務所からイブに摘み出される子猫
この子はまだちゃんとご飯たべてるな


食事に興味がなくなった。仕事の合間に食べログを眺めていた日々が、すっごい遠い。最近は1日2食。



FBを見るとなぜか疲れてしまう。今は自分の近況をあげるか、メッセンジャーだけ。
先輩隊員が言ってたけど、帰国時の逆カルチャーショックの一つに【日本は情報量が多すぎて、頭が痛くなる】ことがあるらしい。こうやってついていけなくなるんだろうか




協力隊は2年間の中で、こんな時期が来るという。


観光客→怒り→無関心→同化

私は観光客時期を過ぎ、事務所のやり方に苛立ちを感じていたが、それも過ぎ
ストレスを感じたり、興味を持てなくなったりする「無関心」時期から
同化時期(滞在先に馴染む。異文化のストレスを感じなくなる)に移行しているんじゃないかな。 なんてことを感じます。






いつも通りだ。

いつも通りの日常だけど、それでいい。それがいい。

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