【しあわせの沸点】
なんだか今どうしても書いておきたいなと思うこと。それは、自分がこっちに来て痛感しているしあわせの沸点のこと。
私は、ロンボクに住んで腹をかかえて爆笑することが増えました。
もちろん悩むことも、泣くことも増えたし、怒りを感じることも日本より多いんだけれど。笑うことはそれ以上。
赴任してたぶん4か月くらいまで、ここでの生活はマイナスの感情でしかなかった。
あぁ、ネズミ。
あぁ、雨漏れ。
仕事しない
歩くだけで痛烈に感じる、現地人からの視線
やめてよ、こっち見ないで。
こっちの【当たり前】を受け入れられなくて、私はロンボクのキレイな景色だけを写真に収めていました。
活動がうまくいかなくて悩んでいた時に。
たぶんナイーブになってたから、感受性が変に豊になっちゃって笑
こっちにしか咲いていない花を見て、「あぁキレイだなあ」とか
考えるのをやめて、ネコを追っかけたり。
あわよくば持ち帰ろうと試みるがことごとく失敗。
赴くままに、ニワトリや犬の写真を撮ったり。
お決まりの時間にお決まりの場所、お決まりの体制で待ち構えている犬様と、今日は草刈りをしているおじさんのお尻が最高にキュートだった
どうでもいい、事務所での日常に意識を向けるようになってから、少しづつ景色が変わった気がします。
右をよく見ると、3匹の馬がふつうに歩いてた。朝陽がキラキラしててキレイな朝の道
しあわせの沸点を下げたほうが、楽しい!と思えることが増える。
その幸せの沸点を下げるには、【当たり前の幸せ】に気づくことなんだなって感じるわけです。
そんなことを考え始めたら、同僚とのどうでもいいコミュニケーションも私は毎回腹をかかえて転げ落ちるほど楽しくなって。
たぶん同僚も私が爆笑している姿を見て、つられ笑いしたり、わざと笑わせようとおちゃらけたり。 なんだか、そんな爆笑のサイクルが増えた気がしています。
「小雨!」と日本語でいきなり言われて、意味が分からな過ぎて爆笑したり。
同僚が、ドラえもんの鼻歌を歌っているのがかわいくて爆笑したり。
辛い時は、前も見えなくて
どこに出口があるか分からなくて
不安で、一人もがいて
それでも、きっと辛い時にしか分からない何かを通じて、出口に少しずつ向かっているはず。
そして、抜けた所から見る景色はちゃんとキレイだなあ、と自分にとってご褒美になっているはず。
まだ私は山を登っている所で、しんどい道ではあるけれど。
きっと大丈夫な気がしています。
今日も笑っていられる日でいよう。
0 件のコメント :
コメントを投稿