青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【きこくまで50日】なんでもない日々。

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やっぱり投稿する、50日前の記念記事。書こうと思っていたわけじゃなくて、ふと気づいたら「わぁ」。となったので、徒然なるままに。




ジャカルタから帰ってきて早10日。
今では症状もなんもでなくなって、健康そのもの。
あのしんどい日々はなんだったんだろうと思うくらい、今ではケロっとしている。





事務所に入った初日、なぜか噂が一人歩きをしていて同僚だけではなく、知らない人からも「体調悪かったんだって?」と言われる始末。




「えーっと、ごめんなさい。あなたどちら様?」



とは言えない。「お蔭さまで、すっかり元気ですー」なんて笑顔を振りまいたりしている。




100人いる同僚。だれかとすれ違うたびに必ず、「Tumben! Sudah sembuh?(久しぶり!もうよくなった?)」と声をかけられ足をとめる。そして少しだけ話して、もうすぐ帰国だね、ってなる。毎回これでもかっ!ってほど同じ会話を繰り返すだけ。でもどうしようもなくさみしい。







私の勤務している部屋に入る。机は残されているが、椅子がない事に気づいた。



私「Eh, kursi saya hilang...(私の椅子がなくなってる)」

同僚「Kemarin ada tamunya(昨日お客さんが来てたんだ。)」

私「Dari?(どこから?)」

同僚「○○(政府組織)。」

私「Dia mau apa?(何の件で?)」

同僚「Mereka bawa proposal untuk halal tourism(ハラルツーリズムの件で企画書をもってきてたよ)」

私「Boleh saya lihat?(見てもいい?)」




と言ってプロポーサルに目を通すのが、戻ってからの第一仕事だった。

あえてインドネシア語を書いたのは、このなんでもない、簡単なインドネシア語でしかやりとりしていないただの会話が、私にとってすごくうれしかったから。




部署異動をして、新しい環境で働いた経験。
気がはってしまい、同僚と仕事の話をする時は「よいしょ」と気を奮い立たせなければいけない状況が続いていた。



だからこそ3か月たった今、仕事面での会話を日本と変わらないナチュラルな感じでできることがすごくうれしいのだ。







昨日の帰り。
市場まで20分ほど歩き、そこから乗り合いバスにのった。
ルートが決まっている。
運転手に目で合図したら止まってくれたので、私は後ろから乗り込んだ。











ヤギがいた。





さすがに乗り合いバスにヤギがいたことはないので、思わず写真を撮った。
後ろ窓しか空いておらず、匂いがこもる。
むっしあつい中で、ヤギの匂いがしてバスの後ろへ移動し、外の空気を吸おうとした。












バスの後ろは馬だった。







その乗り合いバスは、いつもと違うルートで左折し、どんどん知らない村へ入っていく。
おいおい、と思いつつ「まあいつか帰れるか」と思って降りないでいた。

ついた場所は海の目の前のヒンドゥーのお寺。どうやらヤギの飼い主が来ないことには、出発できないらしい。





どうしようもないので、近くのおじさんからココナッツジュースを購入し、30分近く海を眺めてぼーっとする。
運転手に呼ばれ、バスに乗り込んだ。






前も同じような事があって、どこに行くか分からないバスに不安になってえらく焦った事を思い出した。
それに引き換え、焦っても仕方ないとリラックスできる今の自分。







これが帰国まで50日の日々。
なんでもない。本当になんでもなさすぎる。

同僚とのなんでもない会話や、見慣れたロンボクの風景。



日本に帰ったらきっとこの日々を忘れてしまう。
今の自分の「普通」は、日本に帰ったらふつうではないのに。そんな日々こそ、きっと忘れてしまう。だから書いておこうと思った。


色んなことがバタついている。
忙しない。
仕事ではなく、自分が最後までロンボクと向き合っていたいという気持ちが、毎日を忙しくしている。
有り難いよね。

赴任当時の自分に言ってあげたい。「大丈夫だよ」って。
そんな日々もあと50日。
昨日乗ったバスはこんな感じ。にしても乗りすぎ


ただの独り言になっちゃった。
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