【帰国】ただいま、日本。
日本に帰国しました。32度のジャカルタを出発し、日本についたら16度。
飛行機を出た時の、あのスンっ!とした冷たい空気に、テンションがあがった。
日本への帰国は思ったより疲労困憊。朝7時に成田空港について、友達に再会して、夕方実家に帰り。19時から翌日の7時までこんこんと寝ていた。
そしてジャカルタにいる時から体調を壊していて、声が出ない。みぞおちが痛くなるほどに咳が出て。苦しくて寝れない。飲み会や、友達の再会で話したいことが山ほどあるというのに話すということが困難。
どうしたもんかいな。
久しぶりに帰った日本なのに、
あれだけ食べたいものであふれていた日本なのに。
実際は堪能する余裕もなく、ただ目の前のことに追われて、今に一生懸命で、楽しんでいる余裕がないのが現状。
そりゃあ日本人だからすぐに適応はできていると思われる。
服装だって初日入ったユニクロの全身コーディネートで、渋谷で2人の美容師さんに声かけられるくらい馴染んでるし(ただ髪の毛がボサボサなだけ)。
電車の乗り換えには苦労するけれど、行動に関しては思ったよりスムーズにこなせているのではないかなあ。
そうであればいいなあ。
帰国してから3日目。
今の時期は「帰国ゴールデンタイム」といわれているらしい。
今は何を食べてもおいしいし、何をしても感動する。
海外から見た日本を、自分の目で確かめている時期。
だからこそ、ふつうに生活しているつもりでも頭の中が一気に情報でいっぱいになって。
わーきゃー。今すぐに脳内がスパークしそう。
たくさんの方から飲み会のお誘いもいただいた。
友達の結婚式の連絡もいただけけてもいる。
でも今はちょっと、携帯電話をおいて、ゆっくり横になっていたいです。
帰国する時に感じたこと。
帰国便JALのおもてなし。
インドネシア発なのにも関わらず、機内でお酒を提供していたこと。
モニターにつなげば、携帯の充電ができること。
JALの制服が、「誰に対しても不快感を与えない」奥ゆかしさがあったこと。
インドネシアのガルーダ航空とは違って、タイトでスリットがしっかり入ってて、化粧がばっちり!!!みたいなことがないのに、あぁ日本人っていいなあって思った。
飛行機が離陸した。
同期と握手をした。
2年間、お疲れさま。日本に帰ろう。
機内食の時に、全員がここぞとばかりにお酒を頼んで乾杯した。
頭の中では日本に帰ることを理解しているのに、同期と同じ飛行機に乗っているということが違和感でしかなかった。
アナウンスの言葉遣いや、サービスに心底感動する。
機内食のドレッシングの塩加減も、ヨーグルトにかけるハチミツも甘すぎない。
軽食で出たサンドイッチの味が、本当にちょうどよくてうれしくなった。
7時間のフライト。
着陸態勢に入り窓際を眺める。
東の空にきれいな一筋のオレンジ色。
今日も一日が始まる。
任期をおえた。
日本に帰ってきたんだ。
帰ってからは、日本に戻るためのリハビリ期間。
何をするにもロンボクとの違いを探してしまう。
エスカレーターはみんな左。
バスや電車でふつうに携帯を操作しているけど、スリにあわないんだろうか。
渋谷のスクランブル交差点で、たくさんの人が右往左往にそれぞれの目的地を目指しているのに、誰もぶつからない。
私なんて今日、朝の通勤ラッシュの人込みに流されて。降りたくもない駅で降りざるを得なかった。
道に何もおちていないこと。
どこかしこ、日本人がたくさん歩いていること。
前の車と車間距離をちょっと開けても、後ろからクラクションはならされないし、割り込みされない。
あれだけ意気込んでたコンビニでの大人買い。カゴをもって店内を一周しても、選択肢があまりに多すぎて、結局買うのはおやつ一つだけ。
お風呂の追い炊き機能と、トイレに手をふれなくても流してくれる機能を開発してくれた人に、お礼をいいたくなった。
日本語の情報を排除して。
アルファベットの文字を読もうとする。
早く日本の生活になじみたい。と思う自分と
あぁ、忘れたくない。と思う自分で常に葛藤しているカンジ。
あれだけ理想郷だった日本がいざ目の前に現れると、意外とふつうといいますか。
そんな状況でこの3日をすごしました。
もう少したってから、私の2年間を振り返りたいと思います。
その記事をあげたら、このブログを終えようと思います。
もう少しお付き合いください。
ただいま、日本。
私がうまれた国。

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だからこそ、ふつうに生活しているつもりでも頭の中が一気に情報でいっぱいになって。
わーきゃー。今すぐに脳内がスパークしそう。
たくさんの方から飲み会のお誘いもいただいた。
友達の結婚式の連絡もいただけけてもいる。
でも今はちょっと、携帯電話をおいて、ゆっくり横になっていたいです。
帰国する時に感じたこと。
帰国便JALのおもてなし。
インドネシア発なのにも関わらず、機内でお酒を提供していたこと。
モニターにつなげば、携帯の充電ができること。
JALの制服が、「誰に対しても不快感を与えない」奥ゆかしさがあったこと。
インドネシアのガルーダ航空とは違って、タイトでスリットがしっかり入ってて、化粧がばっちり!!!みたいなことがないのに、あぁ日本人っていいなあって思った。
飛行機が離陸した。
同期と握手をした。
2年間、お疲れさま。日本に帰ろう。
機内食の時に、全員がここぞとばかりにお酒を頼んで乾杯した。
頭の中では日本に帰ることを理解しているのに、同期と同じ飛行機に乗っているということが違和感でしかなかった。
アナウンスの言葉遣いや、サービスに心底感動する。
機内食のドレッシングの塩加減も、ヨーグルトにかけるハチミツも甘すぎない。
軽食で出たサンドイッチの味が、本当にちょうどよくてうれしくなった。
7時間のフライト。
着陸態勢に入り窓際を眺める。
東の空にきれいな一筋のオレンジ色。
今日も一日が始まる。
任期をおえた。
日本に帰ってきたんだ。
帰ってからは、日本に戻るためのリハビリ期間。
何をするにもロンボクとの違いを探してしまう。
エスカレーターはみんな左。
バスや電車でふつうに携帯を操作しているけど、スリにあわないんだろうか。
渋谷のスクランブル交差点で、たくさんの人が右往左往にそれぞれの目的地を目指しているのに、誰もぶつからない。
私なんて今日、朝の通勤ラッシュの人込みに流されて。降りたくもない駅で降りざるを得なかった。
道に何もおちていないこと。
どこかしこ、日本人がたくさん歩いていること。
前の車と車間距離をちょっと開けても、後ろからクラクションはならされないし、割り込みされない。
あれだけ意気込んでたコンビニでの大人買い。カゴをもって店内を一周しても、選択肢があまりに多すぎて、結局買うのはおやつ一つだけ。
お風呂の追い炊き機能と、トイレに手をふれなくても流してくれる機能を開発してくれた人に、お礼をいいたくなった。
日本語の情報を排除して。
アルファベットの文字を読もうとする。
早く日本の生活になじみたい。と思う自分と
あぁ、忘れたくない。と思う自分で常に葛藤しているカンジ。
あれだけ理想郷だった日本がいざ目の前に現れると、意外とふつうといいますか。
そんな状況でこの3日をすごしました。
もう少したってから、私の2年間を振り返りたいと思います。
その記事をあげたら、このブログを終えようと思います。
もう少しお付き合いください。
ただいま、日本。
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【帰国まで3日】さみしさ。
相変わらずバタバタしてるここ最近。ジャカルタにあがってきて、帰国オリエンテーションやら、大使館表敬やら、観光省庁訪問やら、JICAでの最終報告会やらやら。
同期に再会して、しみじみ・・・というほど皆な実感がなく
「あー、今週日本に帰るんだよね」
「うん、たぶん」
「不思議ー。全然実感わかないやー」
そんなカンジ。
ジャカルタでおいしい料理を食べて、2年間お疲れさま!乾杯!とかするけれど、まだまだ感情がついてこないのが正直なトコロです。
同期と、日本に帰る時の服装について話した。
長袖?ジャケット着て帰る?セーター?
あれ、最近はセーターとは言わないんだっけ。なんだっけ。トレーナー?ん?
日本に帰ったら、タクシーの空調を勝手に変更することも、
お店のショーケースから勝手にジュースを取り出して、事後申告でお金を払うことも、
レストランではその場でチェックできないんだったよな、と思い出す。
蚊におびえて、どこかしこであぐらをかけないし
そういう、当たり前の日常がまた非日常になっていくのね。
私は日本人だからすぐにまた適応する。
でも、ここで体験した非日常はいつまでも覚えておきたいなって思う。
ジャカルタにあがって、そうそうと思い出した。
ここに来た2014年。
まだ首都に電車がなくて、どこもかしこも渋滞していた。
それから2年後の今は、MRTと言われるJICAが援助している首都を走るメトロの工事がどこもかしこも行われている。
渋滞は相変わらずだけれど。
ロンボクからジャカルタに上がってくるたび、工事されている場所が増えていく。
この2年間で、ダイレクトに国が成長していく姿を見れた。
日本の経済成長が見れなかった私からしたら、毎回刺激的で。それだけで協力隊に参加した意義があったと思う。
それからGOJEKやUBERなど、日本にない便利なサービスが急成長をとげたのも見れた。
スマホが普及して、どんどん国が成長していって。生活が豊かになって。
そんな昨日にない今日を見せてくれた任国。
もう途上国なんてとても言えないインドネシアだけれど、
ここで過ごした豊かな経験、インドネシアのいいところ。
日本に帰ったら色んな人に伝えていきたいな、と思うのです。
一人になった時に、しんみりと。
ここで過ごした2年間を振り返る。
私の隊員生活は、自分の人生の中でなくてはならなかったものだったんだなと、ようやく思えるようになりました。
あと3日したら、青年海外協力隊としての任務が終わります。
胸をはって「ただいま!」と言えるよう、あと3日の任務を全うしよう。
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【帰国まで7日】空港へ向かう道
任地を引き上げ、無事にジャカルタへ上京。本日は移動日だったので、同期と再会してやいのやいの、2年間の活動を乾杯した。
ロンボクでは最後までインドネシアらしさを感じられるお別れで。
約束の時間通りに同僚が家まで迎えに来てくれ、さあ出発!1時間半前に空港につく予定だし、ちょっとお土産でも見ていく?なんて言っていた矢先、
他の同僚からSMS。
イ「今どこにいる?今から家に行っていい?」
えー!もう出発しちゃったよ!なんて思ったけど、どうしても挨拶しておきたかったので、道中で合流するため20分くらい待つことに。
私たちは車で先に待ち合わせ場所について。
その後遅れて、3人の職場のバパ達がバイクに乗ってわざわざ会いに来てくれた。
本当に一瞬挨拶しただけ。
一人ひとりに握手をして、またいつか絶対会おうねって。笑顔でお別れ。
この時点でもうあまり時間がなかったけれど、空港について見送りに来てくれた隊員とお別れした後。
観光情報センターのスタッフや、お世話になった空港のスタッフに挨拶をするためあちこち行脚し、全然想いに浸ることなく、ばったばたで気づいたら機内にいた。
寝不足ということもあって、機内では爆睡し。
ジャカルタの空港ではたまたま時間帯がかぶった同期と合流し。
ドミについたかと思えば、スーツケースがぶっ壊れ。
ハサミで開け、荷物整理をする。
そしたらあっという間によるになって。
同期と飲みに行ったら、感極まって涙をすることもあったりで。
今日も素敵な1日が終わった。
上京1日目。
まだまだ気持ちの整理がつけられないまま、任地をあとにしました。
あと1週間。
もう間もなく、2年間の任務が終わりを迎えています。
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【離任】さようなら、また会う日まで。
数時間後にこの部屋を引き払って、2年分の荷物をもって空港へ。もう少ししたら同僚が車で迎えにきてくれる。昨日、職場の最終日を迎えた。
すべてが終わったはずなのに、
安堵なのか
疲労なのか
達成感なのか。
何かわからない感情がすべてごっちゃになって、昨日はずっと無だった。
そして夜は何かに緊張して、4時間寝たら目が覚めた。
部屋を掃除して、最後の荷物確認をして、現在朝6時。
意外に淡々としている。
すべての事がらに感情スイッチが入るわけでもなく、これからふつうに職場に出勤しそうだし、カラになった部屋を眺めても、「帰るんだ」という実感がない。
たぶん日本についてから、初めてはっとするんだろうな。
昨日はいつも通りに職場に入り、お世話になった同僚一人ひとりに琥珀糖を渡し、挨拶をした。
最後までハッピーな彼らとの別れは、「寂しさ」もありつつ壮大な悲しさにつつまれるわけでもなかった。
その中でも仲のよかったバパが握手をした手をなかなか放してくれず、
「みずの家族がいつも元気でありますように。
いつでもみずにとって、すべてがうまくいきますように。
気をつけて日本に帰るんだよ」そういわれた時に、笑顔をたもつのに必死だった。
いつも朝ごはんを食べていた場所も
ストラグルな生活をさせてもらった元部署も
今ではネガティブな感情は一つもなく、晴れ晴れとした気持ちで離任できそうです。
職場から、盾とコーヒー、Tシャツ、↓のソンケットと言われる織物をいただいた。
最後3か月。
ちゃんとゆっくり振り返る暇もなく、今日を迎えてしまった。
少しずつ、周りの環境から帰ることを意識し始めて
ついにこの日を迎えたというのに。
700日ほど任地で悩んで、もがいて、苦しんだ日々は今では何もなかったかのように頭の中から消え去った。
この場所に思い残すことは何もないです。
素敵な経験をさせてくれたロンボク島。
なんでもない、そこらへんのとある女子が過ごした、たったそれだけの事。
それでも自分の2年間は、青年海外協力隊を選んだ自分の730日間は。
日本から遠い、南の島にもおんなじ人が生きていることを教えてくれた、かけがえのない財産です。
さようなら、また会う日まで。
いつかきっと、またこの島に遊びに来るよ
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【離任2日前にして。】
お昼に調整員さんと合流し、ロンボクでJICAを受け入れている政府組織への最終報告が無事に終わった。これですべて終わり。
ロンボクでの活動は、すべて終わった。
終わった今は、ひたすら頭が痛い。夜ごはんに行くまでベッドに横になっている
最終報告をする前に、調整員の通訳で来ていたインドネシア人のナショナルスタッフに
「みずさん、あなたが体感した2年間を今日すべて伝えてね。あなたが配属先で、十分なサポートを受けれなかったことも、孤独を感じていたことも。お膳だてしなくていいから。」
と言われた。
2年間の活動の成果を職場以外のインドネシア人に発表した。
誰も聞いていないだろうって思ってた。
誰も私の2年間なんかに興味ないんだろうって思ってた。
でもそしたら、ちゃんと耳を傾けてくれていて。
「すごい。みず、なんであなた任期を延長しないの?あなたのやってる事は、ロンボクにとって必要よ。JICAの方でなんとかならないの?」と。
もう、これを聞いた瞬間に。
うれしくて。
ずっと自分は配属先でこういうコメントが聞きたかったんだって。最後まで職場からは聞けなかったけど、最後にインドネシア人にこうやって言ってもらえて報われた気がした。
そしてすべて伝えた。
2年間1人で活動してきたことも、学校巡回についての承認が降りなかったことも。
「みず、2年間インドネシアのために頑張ってくれてありがとう。」
そうやって最後言われた。
ありがとう、と言ってくれた。
インドネシア人が私の2年間を受け入れてくれた。
今まで何回、たったその一言を望んでいたんだろう。
目頭が熱くなって、今までの想いがあふれてきそうになって、こらえるのに必死だった。
私の寂しかった2年間は、無駄じゃなかった。
活動で日本語の観光地図を作っていた。
1版を印刷した時に、手ごたえを感じた。
担当のイブと何回ももめて、何回も精神がすりへりそうになって。
「明日、明日」と言われ続け、ようやく発行した2版。
合計で4千部。
正直、「作った事実」が成果だった。
それでいいと思ってたし、今でもそれでいいと思ってる。
空港におかせてもらえることにもなったし、私がいなくなった後も活用してくれるといいなって。
今日ね、調整員さんに会った時。
調「あ、そういえば早速空港で、地図をゲットしましたよ!これみずさんが作ったんですよね?すごい。」
み「あ、観光情報センター立ち寄られたんですか?」
調「いやね、トイレの前でナショナルスタッフを待っているときに、観光情報センターのスタッフが日本人だと気づいて近づいてきてね。この地図を手渡ししてくれたんですよ。
まさかこれから会う隊員の成果だとはね。
僕の他にも、サーファー風の男性2人の日本人が空港にいて。その二人にも地図を配ってましたよ。
『日本語の地図あるんだ!』
『お、サーフィン情報乗ってるじゃん!』って会話しているのを聞いていました。
今回、費用は職場で負担したんですよね。ちゃんと活用されてましたよ。」
他にもよく聞けば、同僚たちは日本で行われた旅行博に、この地図をもっていったらしい。
私は明後日、任期を終えてロンボクを出る。
離任の2日前にようやく知れた事実。
協力隊の成果って本当に目に見えないものなんだなって思った。
今回たまたま私は「ちゃんと活用されている」「そしてそれが誰かに喜んでもらっている」という活動の成果を、人づてに耳にする。
正直今まで。帰る直前まで、活動の成果なんて感じられなかった。
傲慢で終わった2年間は、挫折経験だって言い聞かせてた。
これがたまたま帰る2日前に聞けた私は、本当にラッキーで。
来年、再来年、ましては何十年後か。
いつ花が咲くかわからない活動。
でも2年間という限られた時間の中で、がむしゃらに悩んで、勇気をふりしぼったりして。
その小さな努力は、決して無駄にはならないんだなって。
ようやくこの2年間の意義を見出せた、そんなエピソードが今日ありました。
ちゃんと報われたよ。
色んな事があったけれど。
最後はちゃんと、頑張ってきたご褒美が待ってたよ。
挫折経験じゃなくて、「ドラマのような2年間だった」って。
これでようやく。心の底から思い残すことなくロンボクを離れることができそうです。
残り10日。
離任まであと2日。
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★いつもありがとうございます。
皆さまに励まされて続けてこれたこのブログも、もうすぐ卒業です

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【帰国まで11日】送別会とやり残したこと。
あと3日。あと3日したらロンボク空港。うーん。帰るんだなあー・・・この土日、2年間本当にお世話になった日本人会の方たちが送別をしてくれた。
ホテルを持っている方が多く、友達が来るときによくしてくださったり。
活動でしんどい時に、ふら~っと家にお邪魔して話を聞いてくれたり。
おいしいごはんに連れて行ってくださったり。
常日頃から、協力隊を温かく受け入れてくれ、理解をしてくださる方たち。
ロンボク内で、唯一日本語が話せる環境だった。
それがどんなに心の支えだったか。
お世話になったのはこちらなのに、名前入りのブックマークや、サロン(腰に巻く布)、ワンピース、そしてロンボクに住んでいる日本人の画家さんが買いた、ロンボク島の地図をいただいた。
裏側は、お隣バリ島の地図。
730日、あれだけ色々あったロンボク。それがこんな素敵な地図になって、思い出を凝縮して日本にもって帰れるんだ。
本当に幸せだなあ。
インドネシア風にって、日本人の方とほっぺのあいさつをした。またいつか遊びにきます。
知り合いの持ってるゴルフ場で、初ゴルフをしてみたり。
ギリナングと言われる島を巡ってみたり。
1年に1度のヒンドゥーの式典に参加してみたり。
やり残したこと、いよいよこの島とさようなら。
次は観光客として、いつかここに戻ってこよう。
その時、この島はどうなってるんだろう。
変わらないでいてほしいな。
2年間頑張ってきたけど、政府のプロジェクトに合わせて変えようと頑張ってきたけど。
それが自分のエゴだってのは重々承知しているけれど・・・
この素朴さや温かさは、変わらないでほしいな
今日は家に帰って、ひたすら100人分のお菓子の梱包作業!明日はロンボクの政府組織で、最終報告!あっという間に最終日。
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【帰国まで14日】断捨離。
最終報告が終わった翌日の火曜日から、今日まで帰国準備のため職場には入らず。会いたい人に会って、やり残したことをやって。4日間も休みかー。暇かなーなんて思ってたけど、あっという間に過ぎてしまった。
今週末は土日とも予定があるため、早めに動いておこうって今日は断捨離をしまくる。
日本に持って帰るもの、ロンボクでだれかにあげるもの、捨てるもの。
マスクを着けて集中しすぎて、お昼を食べるのを忘れ。
気づいたら5時間くらい荷物整理してた。こわ
部屋で作業していたら、後輩隊員が訪ねてきてくれて
「みずさーん。これ、クナンクナンガン(記念品)ですー。」って、ロンボク模様のバティックといわれる伝統衣装をプレゼントしてくれた。
唐辛子と、伝統家屋の模様。
モチーフに唐辛子使っちゃうあたり、やっぱりロンボクは辛い料理が多かった。日本にいたときは一番避けていた辛い料理だったのに、今ではサンバルといわれる辛味調味料がないと物足りない。
これも立派な成長。だと割り切りたい。
目が届くところに貼ってあった、わからないインドネシア語リストも。
訓練所の時にもらった、ロンボク島の地図も。
一個いっこはがしていって、無償にその場にとどまりたい感情になった。
片付けながら、どんどん生活感がなくなっていく部屋を眺めて、切なくなった。
作業が落ち着いて、なんだか物思いにふけりたい気分でスタバでぼーっとしてみたりしている。そんでガラスから見える夕やけ空。
なんなんだこれは。ふけっちゃうじゃないか、このシチュエーション。
部屋の片づけとともに、ここの生活も整理された気分。気持ちがベリベリと引き離された気分。とてもじゃないけど、断捨離でテンションなんてあがらんかったな。
あとはトランクに詰めるだけ。
ロンボクの暮らしも残り5日。今日は無償にさみしい。
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【帰国まで15日】残念に終わった報告会だけど。
離任まで今日でちょうど1週間。なんだかここ最近ずっとバタバタしてる。歯医者に最後のリテイナーを取りに行ったり。
職場のおみやを大量生産したり。
VCが来ていたので、一緒にご飯を食べに行ったり。
後輩隊員と一緒に、ロンボクでやり残したことを。
最初はずっと無視されてたけど、2年かかって最後の最後にハグをさせてくれた子。うれしい2年の成果
作りすぎて干す場所ない
月曜日に職場での最終報告が終わった。
協力隊の最後に誰もが思い描く、「いい雰囲気」とはほど遠く。
約束の時間に職場はだれもおらず、1時間ずらして開始した報告会。「とりあえず手が空いてる人は参加するように」と言われて集まった数人の同僚たち。
最後のフィードバックも、「特にいう事は何もない」と言われる始末。
そんな態度でも「後任はいつ来るんだ」とJICAにせがみ、
「今回はこれでいったん終了ですよ」と説明を受けた部長たちは、「なんでだ」「次は〇〇がほしい」と口だけは達者。
できなかった活動を報告した際に、「配属先からの承認が降りなかった」と言った瞬間の。3人目のカウンターパートの焦りようも。局長を前にした、あのアタフタぶりと言い訳も。
やっぱり、あなたでしたか。と。
あれだけ確認しても
「今局長に確認してるから!私も話が進まなくてストレスためてるのよ」
というコメントも、嘘でしたか、と。
最後まで寂しかったさ。
結局最後まで同じ方向を向くことができなかった私は
最後のコメントで「ロンボク人の彼氏ができなかったので、早く探してすぐに戻ってきたいです」と言うのにいっぱいいっぱいだった。
でもごく一部。私の最終報告書を読みたいと連絡をくれた同僚がいて。
「報告書すごくよかったよ。みずのレポートが、ロンボクの発展の糧になることを祈ってるよ」とSMSをくれたりした。
これが最後だから。
大丈夫。
それでもここに2年間いたから。
そんな態度であっても、もう大丈夫。
よく頑張ったぁ、2年間。とおもう。
色んなことがあって、そのたびにここにつづってきたけど。本当によくやった。
何もできていないけど、2年間ここにいた。
それだけで今の私には十分、頑張ったと思う。
1週間前にして、毎日瞬殺ですぎていく日々に
ふと職場最後の日を考えたりする。
最後だから、握手ではなく。
ほっぺを交わすあいさつ。
同僚たち一人ひとりの顔がうかんで、
あぁ、だめだ。
きっとだめだ。
きっと私は最後の日に、一人ひとりに挨拶をしながら
泣いてしまう。
一回だって仕事をしてる姿を見た事がない同僚も、
いつも怒っているイブも
お調子者の元部署のスタッフも。
それでも私にとっては大事な人たちなんだ。と思う。
ネガティブな気持ちになろうと思えばいくらでもなれるし。
人のせいにすることも簡単だし。
JICAや職場に対して、文句を言おうと思えば切りがない。
でもやっぱり、最後までそれはしたくないなと思う。
ここの体験が、すべてだったから。
それ以上、それ以下でもない。それがすべてだから。
人生の中で財産となるような経験をさせてもらったから。
帰るよ。日本に。
5まわりくらい大きくなったって信じて。
あと15日。
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【帰国まで18日】帰るのね、と。
数時間後に最終報告を控えております。プレゼン準備が落ち着き、最終報告書も印刷完了。2年間がつまった16ページの報告書。同僚がカバーをつけてくれ、こうやって手元にできたものを眺めるとこれが自分の730日の成果なんだって、ずっしり重み。
赴任してから半年くらいのときに、同じアパートに住んでいる先輩が帰る時こう言ってた。
私「日本に帰る前の今、どんな気持ちなんですか?」
先輩「いやー。明日出発のはずなのに、まったく実感ないよ。」
本当にその通りだなって今思う。
ここを来週発つはずなのに、少しずつ帰国の準備が進んでいるはずなのに。
実感ない。
あと18日。
先週の仕事終わり、ずっと仲のよかった同僚2人が「お別れ会」と称して、近所から車を借りてきてアヒルをグリルしたもの(Bebek Bakar)を食べに行った。
クチバシは落とされてるけど顔つきの、首がえらく長い、フォトジェニック?な料理でした。
「蛇みたいだねー」なんて言って悪戦苦闘しながらおいしくいただいた。
食べ終わった後に、同僚から
「もう終わるね、任期。どうだったこの2年間」と聞かれた。
それを言われた瞬間に、「あ、私帰るんだ」ってふいに思って、言葉に詰まった。いつも通り冗談ぽく、「色々あったよ~」なんてとりあえずは答えたけど。
一瞬にして寂しくなる。
別の日に、活動関係でよく訪れていたシェラトンホテルに顔を出した時。
お世話になったインドネシア人から、ケーキのサプライズプレゼントが。
たった一言だけど、「お疲れ様でした。」と言われて、やっぱり「帰らなきゃいけないんだ」って思った。
いつまでも夢の中にいる脳内に、少しずつ現実にひき戻るというか
周りがそうやって送り出してくれて。
帰るのね、と。
ちょっとずつ、理解してきている今日このごろ。
今日が終わったら。
私のロンボクでの役割はもう終わり。
最後のお仕事を、ちゃんと終わらせよう。
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