とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

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【任期短縮を考えていた私の、2年の成果。】つらいことは、ここに封印。

すっごく今更、8月のブログのアクセス数が3,500となりました。ヤッター!!



中には、メディアとしてしっかり運営している協力隊員もいて。本当にすごい。
それに比べて自分のブログ。もっと頑張るべきだな、とも思う。





でもやっぱりアクセス数を気にして、書きたいことを自分の中で制限するのはヤだし。
伝えたい事を二の次に、SEO対策でKWを~なんて他の事に時間をかけるのは、やめたい。



私にとっては想定以上に足を運んでくださっていて。感謝でしかないです。テリマカシ





今日調整員さんから電話があった。



VC「その後どうですか?配属先は相変わらずですか?」


私「はい。私の活動に関する局長からのサインは結局この2年間、一度も下りませんでした。でももう自分の中では割り切れましたから。」



VC「みずさんの自己評価結構厳しめですけど、そんな事ないと思いますよ。このインドネシアで、○○も○○も結果出してきたじゃないですか。何もできない隊員もいる中、もっと評価してもいいと思いますよ。」








家に帰って、過去自分のブログを読み返す。
このブログでも一番のアクセスがある、任期短縮について考えていた日々。
今でこそ、割りとイージーモードで任期を終わらせようと思ってるけど。
せっかくだから任期短縮を考えていた私の2年間を、さみしかった想いをここで終わらせたいなと思っている次第です。








思い返してみれば、ずっと、ずーっと悩みっぱなしだった。

2年間どんなに頑張っても、どんなに私が向き合っても、結局活動の承認は下りなかった。
2年経って、今なら割り切れる。
今だからようやく、色んなことが許せるようになっている。






努力だけじゃあどうにもならないのに、それに気づけない時期はすべて自分に非があると思ってた。

言葉ができないから、経験がたりないから、コミュニケーションがたりてないから・・・。



しんどかった






「こういう活動がしたい」と配属先に相談しても、だれもまともに取り合ってもらえず。
外で活動をしようものなら、「みずだけ外に遊びに行っている」と嫌な顔をされ。
企画書を作って、配属先にプレゼンをしても。

その場では「いいね!すっごくいいアイディアだ!」となって、ハイ、じゃあだれがやる?シーン





自分のやっている活動を知ってもらおうと、職場に対してレポートを作るも。部長室の書類の山に眠ったまま、だれの目にとまることはない。そしてCPがいなくなった時に、用務員にゴミ箱に入れられた。



誰に言えるわけでもない、どうしようもない気持ちになった。




そんな配属先を見放して、一人でメディア誘致の活動をはじめた。
日本の番組サイドと連絡を取り合い、
地図のデザインを考えるために、たくさんの資料をかき集め。
真夏のロンボクを練り歩いて見積もりを取りに印刷会社を探した。


メディアツアーを開催するために、旅行プランを作り
撮影のためのロケーションハンティングをしに、各観光地にいった。




動いているときは満たされるけど
それでも、頑張れば頑張るだけむなしくなって。
なんで一人でやってるんだって、

私が今日ここで、外で活動していることを同僚たちは知らない。だれも知らない。





そんな時に1人目のCPが逃げるように職場を出て行った。
不安だったけど、チャンスだと。



今までずっと我慢してきた事を、二人目のCPの時に伝えようとした。



毎日、CPがいる時は部長室に入り。
些細な話をして、関係性を築こうとする。
最初は日本語を覚えようとして、笑顔で話してくれていた。



でもだんだん、「責任」がのしかかったCPの態度が変わってくる。
部長室に入ると、要件もまともに伝えないまま、目をあわせてくれなくなった。

来客があるからと、部屋を追い出されるようになった。





3回連続で、JICA調整員のアポを当日にすっぽかされ

ついに、その2人目のカウンターパートも8か月で職場を去っていった。



私はだれと活動をすればいいのか。
だれを信じればいいのか。
だれにこのさみしさを伝えればいいのか。



苦しかったからこそ、落ち込んでいくだけの自分が怖くて、すがれるものにはすがりたくて。それが今年の6月。
カウンターパートと部署の異動をJICAと配属先に希望し、話し合いの場を設けた。
ただそれも結局うまく機能しないまま今日にいたる。






毎日、毎日。
この職場の中で、自分たった一人が悩んでいた。



どうしたら観光客が安全に旅行ができる?
どうしたら、ロンボクを訪れる観光客が増える?
どうしたらバリからもっと足を延ばしてもらえる?
どうしたらゴミのポイ捨てがなくなる?

どうしたら、どうしたら・・・




任地が嫌いになる。

陽気に話かけてくるネシア人に、ひどくイラついて。そっけない態度をとる。
挨拶をしようと、握手をしてきてくれる手を拒む。
遠くから名前を呼ばれても、聞こえないふりをする。

私がいる後ろで、私についてササック語で話している。
「彼女どこに住んでるの?」
「○○ホテルの裏だよ」
「毎日○○を食べてるんだってよ」


ここだけは気を抜く場所、と決めていた場所が、居心地が悪くなる。やめてよ。勝手に住んでいる場所を教えないで。


もうほっといて。


まちに出ると、だれかにすれ違う。
それがいやで、家を出なくなる。そんな時期が、ついこの前まであった。



埒があかない。
報われない。

そんな感情だらけ。


苦しかった事を、今こうやって思い返しても。まだやっぱり苦しい。




思うわけです。みんな成果を出そうと必死になる。
私も何か一つ残したいって、それだけ思ってやってきた。




でも



できたか、できなかったか。
何をしたか、成果をあげたのか。
それは重要な事じゃあない気がしている。



結果は出した。
多くの人が、「すごいね」と言ってくれるような結果。
でも自分は何もできなかった、と思ってる。
何をするにも、どこに行くのも一人だった。
どこまでも一方通行でしかなかった。



一遍でしか見れない成果なんて、報告書用の一つの判断軸でしかなくて。


でも

しんどかったことは
自分の経験値として、ただ蓄積していけばいいんじゃないかなって思うのです。





この前ジャカルタにあがった時に、すでに去っていったVCにこんなことを言われた。



「みずさん、今までの人生で挫折した経験ないでしょう。あなたはこれからも羽ばたける人です。だから、この2年間が今後の人生のための挫折経験であっていいじゃないですか。」





私の2年間。
なんだったんだろう。

もちろんつらいことを上回る経験ができているからこそ、結局任短をしないで、ここまで来た。




ここに来てようやく私のこの2年は、挫折経験だったのかもしれないな、と腹落ちしてきているわけです。挫折を味わえた、ということが、この2年間の成果なんじゃないかなと、言ったら怒られちゃうかしら。





それを認めてしまう、これまたさみしさもあり切なさもあり。

でもここにすべて封印したくて。





今ではここが大好きだから。
同僚との一人ひとり、やっぱり嫌いにはなれなかったから。

残りの任期を少しでも笑顔で、温かくて、楽しくて。
思いやりとか、素直さとか。
そういう明るい事だけで終われるように、この記事を最後に、ここに置いていこうと思う。




挫折!いいじゃないの。
昔の自分より、人の痛みがわかる!そしてだれかに優しくなれる!気がする!!


最後までこんなんですんません。
でも最後まで、もう少し。こんなかんじです。


色々あったなあ。2年間。でも最後はやっぱり、「楽しかった!」って終わりたいです。

想いあふれて長文になってしまった。。。
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『あなたは頑張ってる。だから、負けないで。』

首都のドミトリーで休養しています。今まで隊員がいたり、用事があったりで何気にばたついていた滞在中。

ようやくゆっくりブログに戻ってくる時間ができてカウンターを見たら、残り59日!ぎょっ!任地にいれるのはあと1か月ちょい。こんなとこで、こんな療養してる場合じゃないよー。







今日健康管理委員さんと面談し、明日任地に戻ることに。万全!とまではいかないけど、もう仕方ない。






今日の記事は、滞在中にVCに言われた印象に残っている事。ちょっとお熱な記事になってしまうので、暑苦しい人はスルーで。







この期間、ずーっとお世話になってたVC(ボランティアコーディネーター)が8月末で任期を終えるということで、今回タイミングよく送別会に参加できた。









ドミトリーで他のVCや、JICAスタッフ、総会準備のために上京していた隊員と、日本料理隊員が考案したメニューでちょっとしたパーティーを。






参加できないJICAスタッフが差し入れでお酒をいれてくれたということもあって、みんな結構飲んで。



ある隊員と、帰るVCが言い合いっぽくなってしまった事があった。結構シリアスな雰囲気を感じ取って、「まあ、まあ」となだめるスタッフもいたくらい。


私は傍からだまってその光景を見ていた。






もうその送別会から何日か経つけど、そのときVCが言った言葉が今でも忘れられない。






隊員「最後だから言いますけど、(本人に向かって)○○VCの事嫌いです!!ああしろ、こうしろって、綺麗事ばかり並べて、何にも隊員のことわかってないじゃないですか!!!他の隊員は、○○VCは愛があるっていうけど、私は絶対そうは思えません。」



VC「おう、もっと言え!もっともっと言え!」




隊員「見下されてる気がするんですよ!!ガンバってくださいって言われるたびに、学歴がないことをバカにされている気がします。私は○○VCのことを、絶対好きにはなれません!」




VC「おう、いいよ。あなたが僕の事を嫌いでも、全然いい!」









VC「でもね、あなたが私を嫌いでもね。私はあなたのことが大好きですよ」

VC「あなたが私を嫌いでも、私はあなたが大好きだ。だって、あなた、頑張ってるもん。」








VC「あなたから何を言われようと、私は何も思わないけどね。でもね、一つだけ言いたいのは。負けないで、負けないで。あなた自身であることに、負けないで。
僕のことを嫌いでもいい。でもね、自分のやっていることまで、否定しないで。あなたがやってることは、素晴らしいことだよ。あなたは本当に頑張ってるよ。だから、自信をなくさないで。あなたがつぶれちゃあ、ダメだよ。だから、負けないで。」





隊員はただ一方的に「私はあなたが嫌い!」と、言い続ける。翌日聞いたら、どうやら覚えていないらしい。普段楽しそうだし、他の隊員にも声をかけてあげられるし、責任感が強い子だったからよっぽどしんどかったのかな。




でもそのVCは、それを受け入れて、その隊員と最後まで向き合っていた。
もうね、こんな人類愛にあふれた人がいるのかと。ただの隊員と、ボランティア調整員の関係。任期を終えたら、人生で二度と会わないかもしれない。








いつの間にか、その隊員は涙を流していた。周りの隊員も泣いてたし、私もボタボタ涙が止まらなかった。






何もない任地に日本人ひとり。
つらいよね。
孤独だよね。
普段こうして笑顔で話しても、心の中ではどうしようもないさみしさと闘っている。
みんな頑張ってる。


花が咲かない活動に落胆して
少しでも動き出した活動に一喜一憂して。
最後の日に、「任地を好きになる」ことを夢みている。


2年間という限られた時間にすべてをつぎ込もうと四苦八苦して
一瞬でも現地の人と分かり合えた時の喜びを頼りに、
明日のモチベーションを絞り出したりする。




それを、みんな口にしないまでも胸に秘めている。
ひょうひょうとやってのけているように見せて、みんなその寂しさを知っているから、「負けないで」と真剣に言われて、涙を流す。








今回の上京で、色んな人の話を聞いて。色々気づいたことがあった。
体調は100%改善したわけではないけれど、健康管理委員さんには「任地に帰ります。」と伝えた。






初心に帰ろう。
応募したときに協力隊に対してかけていた想い、できるかできないかではなくて、もっと楽しいこと。


そんなにうまくいかない事は分かってるけど、あと2か月を切った任期に対しての向き合い方を改めて考えるいい機会でした。



任地にかえろ。
私がいるべき場所。
名前を呼んでくれる、私の友達がいる島。



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【協力隊に参加したマイナス面】あえていくつかあげるなら・・・

しばしお付き合いください、マイナス記事。決して病んではおりませんのでご安心を。


活動を振り返ることが増えて、私にとって協力隊に参加したメリットって山のように出てくるんだけれど、あえてマイナス面をあげるとこんな感じかなとまとめてみました。




あくまで一個人の見解だと思って、笑ってやってください。




①いつの間にか歳をとってる。

任期2年。そりゃそうなんだけど、季節もない、自分の誕生日も気にも留めなくなる、そして気づいたら2つ歳をとっていた。
25歳で受けた協力隊、気づけば27歳。そしてもうすぐ28歳。実年齢と気持ちの部分に乖離ができてしまっていて、「あれ、私今いくつ?今年28・・・だったかあー・・・(遠い目)」てなる。

社会的に見たら25歳で許されて、28歳で許されないことってたくさんあると思う。そこにきちんと追いついていけているのか不安。





②友達の結婚式に出れない。

訓練中から見ると、親友の結婚式に2回出れなかった。そのたびに電報を送り、時間を決めてバーチャル結婚式に参加しようと試みるが、いかんせんさみしい。すごくさみしい。
はあ美しい日本人。ちなみに私は中央携帯の画面の中。ちゃっかり集合写真に参加。



③婚期が遅れる。

SNSを開けば子育てとか、結婚しましたの報告。私はもともと結婚願望とか出産願望が少ないのでダメージ?もそこまでないんですが、「あぁ、そういう年なんだなあ」「協力隊終わったら結婚したいなあ」なんて自分を見つめなおします。




④美意識のカケラさえなくなる。

増えたシミ、いっそう適当になった美容ケア、さぼったが故のクマ、伸びきった髪の毛。ケンタッキーや、日本のカップラーメンは何よりものご馳走、偏った栄養。利便性重視、色あせた服、すり減った下着に穴の開いた靴下。

2年間だと割り切ってしまえばこんなもん。


7センチ以上のピンヒール、ティファニーのネックレス、スモーキーピンクのワンピース。ロンボクにいる今の私には似合わない。

海で傷んで茶色くなった髪の毛、シミだらけの焼けた肌の色、白いTシャツとビーチサンダル。これが今の私。






⑤アイデンティティの喪失。

こっちに来てから「自分」がなんだったのかわからなくなる。27年間の価値観が0に振り出しに戻って、もうブレブレですよ。それを含めても、それが自分なんですけど。





⑥健康とは、なんだ。

衛生環境が全く違うから、感染症とかとにかく病気しがち。お腹がゆるくなるのがデフォルト。


このゆるい体調不良と万年付き合っていると思えば、もはや友達。病気と友達!






⑦情報・話題についていけない。

テレビもない、ネットもそこまで早くない。オリンピックの話もついていけないし、SMAPが解散した事実はギリギリ知れた。都知事選があったのも抑えている。(結果は知らない)

アンテナを張っておきたいのは、世界のどこでテロがあって、災害があったか。各国に隊員たちがいるから。

そして、ドルで振り込まれている生活費にかかわる、ドルの為替の動き。それに付随する国際情勢。それだけしか抑えてないです。浦島太郎だよね。




⑧日本食に悶える。

南蛮漬け、ハッピーターンの梅わさび味、ウニ、生魚、漬け丼。ユッケ、馬刺し、焼き鳥、ラーメン。コンビニスイーツ、セブンのアイスカフェラテ。すっぱむーちょ、抹茶味のおやつ。生牡蠣、焼きさんま、エイひれ、タコわさ。餃子、寿司、焼き肉、タイ料理。大福。しめさば。
一時帰国中に食べた海鮮丼を眺めて、毎日悶えてる


はあああああーーーーーーーーーーー。もう少しの辛抱。





思いつくのはそんなところかな。
身についてしまった癖とかも色々あるなーと思いつつ、とりあえずはマイナス編。でもそれをはるかに上回る経験ができるからこそ、最後までここにいれるのです。


↓昨日村を訪れたときの写真を↓




あ、日本からの荷物、まだまだ受付中ですよ♡笑

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【残り100日とワタシ】

今日のカウンターが残り任期100日であることを示している。



帰国日から10日ほど前にジャカルタに引き上げることになっているので、任地での活動は残りちょうど3か月。





なんだかんだこのブログも派遣前から続き、色んなタイミングで記念記事を書いてきた。

【赴任半年】変わらないもの、変わったもの
【赴任して300日目に思うコト】
【赴任365日目】祝1年
【Go back to Japan-200days】


これで記念記事は最後かな。50日とかにもう一回あげるかな。分かんないな









1か月遅れで出発した私たちインドネシア隊以外の同期は、残り帰国まで2か月となっていて、いよいよLINEグループで「成田で会おうよ!」という連絡が入ってきた。世界中に散らばっていた同期たちが、一斉に帰国する。




7月も終わりが見える、帰国まで100日という今は、帰国までにやらなければいけないことをまとめ、最後の先輩隊員の送別をして、帰国後はどうしようかという事で頭は忙しい。








職場最終日に、何かおかしを手作りしてみんなに配りたいな、とか。ジャカルタを出る最終日のこととか、成田に到着して荷物をピックアップして、扉を開けた日本とか。いよいよそんなことが頭をかすめ始めている。






活動に対しては今では未練は全くない。それなりに揉まれて、しんどい想いをしがら頑張ってきたという実感があるから。




今週は日本のガイドブックのライターさんが取材に来てくれ、ロンボクの観光地を案内して。明日はインドネシア人と一緒に、観光開発について専門学校を立ち上げるための打ち合わせに同席。


この二つが落ち着いたら、あとは今までの活動をまとめて、日本人観光客の動向まとめを配属先へのお土産とし、私の任務は終わりにしようと思う。

この景色も見れなくなるな









今日不思議な感覚になった。



いきなり自分が、「インドネシアにいるんだ」ってことを思い出した。





いつの間にか、ここに住んでいる自分が日常になって
言葉や文化にも違和感がなくなって
自分の顔が日本人顔だってことを忘れてて

海外で生活しているということを、いきなり思い出した。





涼しい朝の風にあたりながら、ヤシの木を眺め
頭にオケを乗せて歩くイブとすれ違い
青く澄んだ空気を吸って

ここが日本ではなかったこと、急に変な感覚になる。




それが私の、任地残り100日。







この前の総会時に、先輩からのとあるヒトコトを思い出す。



「赴任した時の事を思い出して。タクシーの予約をするのに、ドキドキしながら電話をかけたでしょう。予約がとれただけで、電話を切った後みんなで拍手して、わーって盛り上がったよね。」





みんなそこから始まったんだなー。


2年前の訓練所で初めてインドネシア語を学び、活動では100%インドネシア語を使い。今では自分の感情を伝えるだけではなく、観光セミナーを開けるようにまでなった。
懐かしい2年前




確かに630日、私はここで生活していた。

すべての日が晴れていたわけでもないし
すべての日が忙しく活動をしていたわけでもないし
どちらかと言うと、病気や悩んでいた日の方が多い気もするけど










残り100日の私は、日本へ帰りたくないです。





ちゃんといろんな事と向き合わなければいけないな。帰国すること、活動のこと、将来のこと。夢のような2年を終える前にきちんと、整理をしよう。そんな帰国まで100日まえ。



帰りたくないけど、帰りたい。
寿司食べて、日本の秋を体験して、大好きな家族に会いたい。

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【TOEICスコアがなぜか150点アップしてた。】私のダメダメな英語について。

協力隊の世界に飛び込んでから、元カレが外人、とかTOEIC満点、とか。英語を当たり前のように話す人達にたくさん出会いました。




本人が言わないだけで、満点の人なんてたくさんいるし。
そんな方たちの前で恥ずかしいのは承知、あえて自分の恥さらしをしますよ、今回。








結論、インドネシア語漬けな毎日で昨日TOEICの模擬試験を受けたら、なぜかスコアがめちゃめちゃ伸びていました、という事について。

英語、それは自分にとって永遠の壁。なのですが・・・






■英語とワタシ

パパが外資系の仕事をしていた関係で、小学校の時から外国人上司の家でパーティーにお呼ばれしたり、自宅に招いたり。

小さいながらも、両親から「〇〇さんに会ったらナイスチューミーチュー、と言うのよ」と外国人、英語に触れあう機会は多かった、ハズでした。





そして大学は国際コミュニケーション専攻、よっぽど何かがない限り、全員を半年もしくは1年、海外へ留学させる大学を出ました。(教授も口では、「全員強制留学です!」と言ってました。)



大学2年生の後期。大学に行くと、同じ学部の友達が誰もいない。異様な光景でした。



「あれ、〇〇ちゃんは?」
「今アメリカ!」
「〇〇ちゃんは?」
「昨日ヨーロッパに飛び立ったよ!」






仲の良い友達たちが、バンクーバーやサンディエゴ、シドニーやロンドンへの留学。

楽しそうにスタバでグランデサイズのホイップもりもり写真を眺める頃、私は一人、なぜかタイのバンコクへ留学。



英語に力を付けたいと思って入学した大学で、私はタイ語を身に着け帰国したのです。

19歳のワタシとチャオプラヤー川。








どげんかせんといかん!



ですよ、内心。
海外に行きたい思いが強かったのに・・私は英語ができない。そしてさらには英語を使う人達が、、自信ありありに見えて・・・ちょっと怖い・・・自信がない。




典型的な日本人で、外国人と話す時、私はまず
「I'm Mizu and I am not good at English...」から始まるのです。






やばい、と思ったのが大学4年生。



2か月に1度はTOEICを受けて、英語力を上げる!という目標をたて、猛勉強しました。



週4回、朝10時から12時まで。おなじみのカフェで、いつものカフェオレを頼み、1冊のテキストを何度も繰り返し勉強。


初めてのTOEICスコアは、500点。



1年間勉強を続け、6回目の試験で685点まであがりました。




ただリスニングとライティングのスコアの差は歴然。
1年で伸びたのはリスニング能力。

Listening:450 point
Reading  :235 point



私は大学卒業と共に、ここで英語の勉強を辞めました。




■隊員生活とワタシと英語


海外2年間の生活、時間が空いた時に英語を勉強しようと、テキストだけは持ってきていて。


彼らは活躍することもなくうっすらと埃をかぶっている。

ただでさえインドネシア語でたぷんたぷんに脳内が疲れているのに、「誰が英語なんか!」という感じ。





でも最近、自分の中でちょっとした変化があったんです。

①英語を話そうとしても、インドネシア語とごっちゃにならない。
英語は英語で出てくる。※前よりは
(最初は、My name is  さえ、 Nama saya と自然に出てきてしまった)


②外国人を見ても、怖いと感じなくなった。
なぜなら自分が外国人になったから。





帰ってからTOEICもう一回受けてみようかな、と日程を検索し。
そうしたら、おいおい勉強を始めようか、と模擬テストを受けたのが昨日。





そう、そして自分が一番ビックリ、なんと・・・








825pointという、今までに観たことのないスコアが。



なんでやねん。





何度も言いますが、私の周りにTOEIC満点の友達がいる中、自慢できる点だとも思っていない前提で。
冷静に考えて、1年半インドネシア語での生活で、英語の勉強はせず、ふと受けた模擬試験に、あんだけ勉強しても叶わなかった800の大台が出たのです。




参考書付いてる方式に習い計算が終わった後、私はしばらくフリーズ。

スゴイ!というか、意味分からんくないですか。




今回の模擬試験で出たスコアは下記の通り。

Listening :440
Reading   :385


伸びていたのはリーディング。色々振り返って考えると、確かに読解問題がわかるのです。




昔は1つの分からない単語でつまずいて、文章を読み終える頃は「結局何がいいたいんや」という感じ。



ただ昨日受けた問題は、1つ分からない単語があっても、最後まで意味を分かろうとする脳ミソ。



ライティングが150点あがった実感がありました。





■全く勉強をしていなかったワタシが、TOEIC150点アップした理由。

なんでしょう、最近キュレーションメディアなどでよく見るタイトルですね。タイトルにしたかったのですが、下心丸見えだったのでやめました。

ちょっと自分なりに振り返りをしたいと思います。



最初にお伝えすると、インドネシア語と英語は全く別物。アルファベットを使うという点でしか共通点はありません。

【1年半全く勉強をしていなかったのに、スコアが伸びたのは・・・】

①インドネシア語という、第二外国語を学んだから。

②アルファベットが生活の一部になったから。

③外国に来たから。


ようは、青年海外協力隊として海外に来たからだと妙に腹落ち。




海外に出ると、日本語がないのですよ。新聞も、看板も、聞こえてくる単語もすべて外国語。



最初は自分を守るために、その言葉を排除しようとする→なれる→それが生活の一部になる。




プレゼン資料を作りますね。
参考文献も、インドネシア語で読むしかないのです。
そうすると、必然的に外国語を理解しようとします。頭から排除せずに、外国語を受け入れようとする。


今回テストを受けて、英語が思ったより頭にスラスラ入ってきてビックリしました。
分からない単語がたくさんあるわけですが、頭がテンパらないんです。
分からない単語を補って、他で理解しようとする。



活動で疲れますね。
今日くらいは、アホな映画でも見てめっちゃ笑いたい、と思うわけです。
でもないんです。日本語の映画なんて上映されていない。
すると、疲れている脳に鞭を打って、英語を受け入れようとするんですね。




協力隊として海外に来て、全く新しい言語を使うしかない環境で、頭がなれたんだと思います。








思ってもみなかった誤算でした。

まあ私が受けたのは非公式ですので、依然685点というダメダメなスコアを保持していることには変わりませんが。



これをモチベーションにして、ちょっと仕上げたいと思います。

そんな、今日はインドネシア語以外の英語のハナシ。


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【日本に帰った後の事】進路とか。就職とか。

毎日の通勤路にある巨大イスラミックセンター。完成近づいてきて柵が撤去された。



この2週間ほどでロンボクはえらく暑くなった。南国なんて、「夏」だけだと思われがちだけど、それは違う。




夏
暑い夏
ちょー暑い夏
灼熱



暑いにもたくさんの種類があって、乾季と雨季しかないと思いきや、1か月前後でちょっとずつ暑さが変わってくる。



今のロンボクは、ちょー暑い夏。夜とか、空気がぬるく汗が止まらん。寝れん。しかも昨日は停電で扇風機が使えず、こんな時に携帯もパソコンも充電が切れ何もすることがないという。




夜涼みがてら、いつも夕陽を眺めるアパートの屋上へ登った。

部屋の屋上から、イスラミックセンターが見える。停電中だから真っ暗。




横になって、たかーいそらを眺めた。






気づけば残りの任期が7か月になっていることに気づく。



色々逆算をすると、5月末までなんだかんだスケジュールがたっていて、6月断食、7月はレバラン(断食明け長期休暇)。一気にゴールが見えた気がした。





そして我に返る、協力隊終わった後のこと。









実は本当に有り難いことに任期この1年5か月の間には、仕事のお声がけをいただくことが多々あった。


インドネシアの首都、ジャカルタからいくつかと、日本からとあるソーシャルビジネス関係。

観光職として日本の企業とお仕事することも多かったし、インドネシアという今後も経済成長が見込める大国で、インドネシア語ができる日本人の需要は想定以上に大きかった。




3月は日経企業の期末ということもあるのだろう。
連絡をいただいては、「ちょっとまだ色々悩みたい」とわがままを言わせてもらっていたけど。ちょうど各企業の担当者様より立て続けに、進捗確認の連絡をもらった。




ブログ内でも出きる限り等身大の自分と、その変化を書いてきた。
私が会社を退職して協力隊の道を選択したのは、国連広報センターで働きたいという夢があったから。
海外2年間という必須経験を満たすために、この道を選択した。




ただいざ自分がここに来てみると、さまざまな心境の変化があったのが事実。色々な想いで、赴任してから10か月もたたないうちに、国連への夢を手放した。





10年以上持ち続けた夢を手放すのは辛かった。
それだけ信じて一歩一歩、歩んできた自分にとって。これ以上何を目指していいのか分からずに。喪失感だけが漂った去年。



前を向かなきゃ、と活動に一生懸命になったら、不思議と見てくれている方が増えた。
皮肉なことに?国連の夢を割り切れた瞬間に、「国連に行くための大学院の費用を持つ」と仰っていただけた方もいた。人生てそんなもんなんだな。






きっと自分はどこに行ってもどんな仕事をしても、楽しめる。
どんな環境であっても、愚痴をはいたり、反目することがあっても。どこでも生きていける。
それはここでの経験の上についた自信。



7か月後、自分はどんな選択をしているんだろう。
有り難くも、こんな人生のターニングポイントであることを、アパートの屋上で夜風にあたりながら考える。



でもやっぱり今は、7か月後の将来よりも。
来週に差し迫った大学訪問の資料が、一向に進んでいないことを考えなきゃいけないな、と思う。



ガンバレ、ワタシ。

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【大丈夫、素敵なことがたくさんあるよ】

昨日の朝、初めてと言っても過言ではない「目覚ましで起きれない」ということをやらかし。




遅刻して事務所に入るも、なんだかやる気にならなくて。




珍しいな、疲れているのかな、と思ったら。



やっぱりどんどん体調が悪くなり、ピキっと筋がいたくなるような頭痛と、節々の痛みと、だるさが襲ってくる。




こりゃ来るな、と思い、CPと同僚に伝え早退。





バタンする前に、食料とポカリを調達し、家に帰って着替えてベッドに潜るころには、熱が38度まであがった。








突然来る体調不良にも、こなれて対処する自分に「たくましくなったなあ」なんて妙に達観する。





薬を飲んで18時に就寝、朝の7時まで目が覚めず。熱は下がったけど、ハラもアタマも痛いので、1日休みをもらった。






来週に大事な話し合いがあるので、そのプレゼンの支度をしなければいけないし、企画書を2つため込んでいて。



自分がやらなきゃ事が進まない状態なのに。ここでダウンとは。







最近の自分を振り返って、ベッドの上でボーっとする。今までにないほど、頑張っているなって思う。






ダウンして、やることがなくて、何気なく過去の日記を読み返してみた。





当時は、先のことが見えなくて。どうなるか不安で。辛かった。このまま同じような毎日が、たんたんと過ぎていくだけなんじゃないかって、カレンダーを毎日見て、「今日もようやく一日が終わった」って思ってた。




協力隊としてここに来た意味。
配属先とうまく分かりあえないもどかしさ。
仕事が一つもない。
毎日事務所に行って、ネットサーフィンをして時間をつぶす日々。



ブログでは、「忙しいです」という見せ方をして、一人で殻にこもる。



何もなかった。
来てみたら、要請なんてなかった。
仕事を見つけてみたけど、配属先からのレスポンスは一切なく、やりたいことだけがふくらんでいった。
でも、私は配属先を捨てて、一人で動く勇気がなかった。だから結局、今でも配属先に毎日入っている。






でもね。

その時は分からないけど、今振り返って過去の自分に言うとしたら。



「それでも大丈夫。これから素敵なことがたくさん起こるよ」って。言う。





今でもそう。自分のことだけやってても、きっと想定内の喜びだけれど。


「一緒にバリで観光セミナーを開こうよ」とか
「私の大学で、生徒に授業をやってほしいの」とか。


今やっている、PR映像作成にしてもそう。
地図が完成したことも
ロンボクでロケが確定した時もそう。





昨日は想像できなかったことが、急に今日違う道が現れたりする。




一人では絶対できなかったことが、誰かの温かい手で実現できたりする。


私は素晴らしい人に恵まれてる!!んだけど、そのアピールがしたいわけじゃなくて。
自分の周りにいてくれるすべての人を家族のように、大切にしたいな。なんて。







今でも自分がいる所が、自分のやっている活動が、すべて思い通りに行っていることもなく。


相変わらず職場からは抜け出せず。もやもやしてる日々だけれど。これからもたくさん、しんどいこと、辛いこと山ほどあるんだろうけど。











今後の人生においても、素敵なことがたくさんあるんだと思ったら、きっと頑張れる。



という、体調絶不調のたわごと。





最近ロンボク寒いから。毛布を出そうと、クローゼットから引っ張り出したら、アオカビだらけ。


もういい。寒い・・・。


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【年末振り返り!】この1年をここで過ごせてよかった。

今年が終わるなー、とふと感じるポイントって色々あると思うけど。

私の場合はここ毎年『Google-year in  sarch』がYouTubeで公開されると、「あぁ、もう一年が終わる」と感じるのです笑

↓2015年↓


ちなみに、このシリーズでの傑作は2011年版。気になる人はちぇけらー↓





いつまでも真夏のロンボクで、ふと季節を感じて去年を思い返してみると。

あぁ、確実に1年がたったんだなあ、と感じます。
(去年のブログ:Selamat datang tahun baru 2015 ※ハッピーニューイヤー2015)





2015年、26歳。丸1年、ロンボク島で過ごした年となりました。



1年前のブログを読み返すと、まだ配属先に揉まれておらず、夢や希望であふれていたなあなんて。






この1年。

これでもか!という程、配属先やロンボク島と向き合ってきました。

ネット環境が整っていないという点もあるけれど、SNSを見る機会も減り、誰かと連絡をとることも最低限になりました。



断食や体調不良、ストレスのお蔭で体重が落ち、
歯科矯正のおかげで、歯並びがよくなり
ずっとショートだった髪型は、ロングになりました。
海で遊ぶようになって、肌が黒くなりました。


交通事故にあいました。
意識不明で事務所で倒れたこともあります。
胃腸炎で、寝込んだり
突然の高熱、
意味の分からない頭痛、
膀胱炎にもなったし
食中毒になって、苦しすぎる腹痛もしょっちゅう。


村に行って、地酒で踊り狂ったこともあったし
どうにかして活動を進めたいと、偉い人達が参加するパーティーに潜入した話し、
出張先に宿泊施設がなく、同僚たちと木の下で寝たこともあります。
4日ほどシャワーが浴びれず、ようやく水浴びができると知り、同僚3人すっぱだかで大切な水をみんなでシェアしました。


任地が噴火しました。
一番仲の良かった先輩が、任期を短縮した時に空港で泣いた話も、
1年経って、カウンターパートが逃げるように職場を出ていったことも、
ちょっとしたミスで同僚のイブから、自分の前で私の悪口を言われることに、1週間じっと耐えることもありました。




辛い事がたくさんあって、
どうしようもないこともたくさんあって、
泣きそうになることも
腸が煮えくり返るような怒りも、たくさん経験させてもらった。



やりがいを感じたことも
夢が叶ったことも
同僚たちと一緒に笑ったことも。
うれしくて、
幸せで、
今の状態に感謝できる機会が増えたことも事実。




最初はこの任地で「何をしたか」「何ができたか」を重視していた私。
それがこの1年で、「どう向き合ったか」を大事にするようになって、ストレスが減った。



小学生の頃からなりかった『国連の職員』になることも、この1年でようやく手放すことができた。




日本にいた時には出会えなかった人達にたくさん会って。

日本にいた時には、悩まなかったことに頭を抱えて。

日本にいた時になりたいと思っていた自分に、近づけている。と実感ができるようになった。



本当に素晴らしい(といっていいのか分からないけど)機会をたくさん経験しました。



この1年もブログにお付き合いいただきありがとうございました。
おかげ様でたくさんの方に目を通してもらえるようになりました。何よりもの励ましと、継続するきっかけになっております。



先月11月は、8記事に対し2,600pvでした。青年海外協力隊という限られたブログで、何の告知もせずにここまで読んでくださるのは、自分でもびっくりしています。




クリスマス休暇が24日からあり、私は日本へ一時帰国をします。その間、おそらく更新はしないかな、と思いますのでまた2016年、お会いしましょう!





今年もありがとうございました!来年も、島暮らしのとある女子をよろしくお願いします!


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【父子参観】任地のビーチで父と語り合う

忙しくなる年末前に、パパがロンボク島へ来てくれた。


海外出張が多く、英語がペラペラなパパ。
出張先はアメリカやカナダ、オーストラリアといった国で、ここまで辺ぴな場所には行ったことがないみたい。






久しぶりの再会も、私がインドネシア語を話している様子をみて、『宇宙人に見える』と言われた。







あまり日数がとれなくて、1.5日だけのロンボク滞在。
本当なら配属先とか、私が住んでいるアパートに行ったり、いつも食べているローカルフードを紹介したかったけど、今回はロンボクのリゾート地だけにした。



ビーチ沿いのシーフードが食べれる店に連れていって、ココナッツで燻した魚や貝、エビなどを。(写真忘れた)


その後、酒好きの私たちはイタリアンに行ってワインのボトルを空ける。






普段は頑固で何も口にしないけれど、お酒をいれると饒舌になるパパ。




仕事でしんどかったこと、人生の話し、結婚のこと。
結局4時間くらい、話がつきなかった。







今までは、私はパパとママの子どもだから。



両親に対し、「パパ・ママメガネ」をかけて見ている。






でも、両親がどうやって生きてきたのかとか、
どうやって今のキャリアを築いたのかとか、


メガネを外して、人間としてみてようやく、自分の人生におきかえて学べる気がした。





パパに、「幸せって何?」って聞いたら。



「今おかれている状況に感謝できること」って返ってきた。






今が試練なんだな。






今日の夜中1時くらいに、外にひっかけていたネズミ取りに、ネズさまが見事かかり。
鳴き声と、暴れてオケにぶつかる音とで全く寝れない。
(怖くて朝、処理できず今もそのままにして職場に来てしまった。。後で近所のおばちゃんに助けてもらおう) 





でもそういう体験をしているからこそ、普通の家で暮らした時に、そういう普通がどんなに幸せかって、痛感できる気がしている。







「その渦の中にいたら分からないけど。あとで振り返ると、その時が一番成長しているよ。辛い時は、ガムしゃらに頑張るしかない」


パパ方のじいさん家にかかってた掛け軸。改めて、努力家な家系だなあ、て思う。




余談だけど、そんなパパ。


私が「ちょー」とか「やばい」とか言うと、絶対怒る。


具体性がないんだって。



でも、口癖だからかれこれ高校生の時から私は言ってしまう。

そんなお決まりのことで叱られるのも、今は「なんだかいいなあ」と思ってしまう。





私も、パパも。少しずつ成長しているんだなあなんて。



本当は彼氏とがよかったけど、パパとビーチ沿いのイタリアンも悪くなかった、、かな。




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それでもここにいていいですか?

あかんなー。
こりゃあかんー。



寝込み5日目。相変わらず体調悪い。
朝事務所に入ったけど、2時間程でCPに相談して家に帰ってきた。




なんでも、今は太陽の光やパソコンを見ているだけでも激しい頭痛で
薬が効かなくて、寝っ転がっているしかなく、

いや寝っ転がっても、ズキンズキン痛むから、椅子に座って限界まで眠くなるのをずーっと、ただひたすら待っている日々です。





昨日検査のため病院へ。

目の奥とこめかみが痛かったのでデング熱を疑い、血液検査と、いまだ収まらない腹痛のため、検便を。




結果、私の腹にはバクテリアがいることが分かった。
あぁ、あの時の腐ったイカかな。。。


そして血液検査の結果、医師からは「疲れがたまっているんだろう」とのこと。




1年で、血液検査のありとあらゆる項目が変化していて
日本を出る最後に診断したものと比べたら一目瞭然。


「すべて基準値内の異常なし」で来たけれど、1年こっちで生活して「Abnormal」が散見。むむー







そんな中、ママからLINE。
日本ではパシフィコ横浜で、協力隊50周年の式典が行われたそう。


全然知らなかったー。
なんでも隊員の候補生も参加されていたみたいで、会場は満席。
天皇陛下もご出席されたとのこと。




きらびやかに光る写真を見て、「なんだかすごいなあー」と思う。













一方、キラキラした会場で式典があった日の夜は、任地は停電で、真っ暗な中水を浴びて。その時にふと、送られてきた写真が頭をよぎる。






正直言ってもいいですか。




事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!! 


てやつを思い出した。


そう思っちゃう私は、やっぱりひねくれてるんだろうか。






「協力隊、なんかすごい」

そんな想いに応えられず、
既にベッドで5日間横になって、任地で休んでいるだけの私。








『それでもいいんですか。


任地で何もできずに帰る隊員もいて、いいんですか。』



そうやって、ご出席された天皇陛下に聞きたいと思った。





頑張ることを諦めたことは一度だってない。
なんとかしたい、と思わなかった日はない。
1年間、何もできなくたって、帰る日に笑顔で配属先を後にすることを、今でも夢見てやまない。


ただ、「協力隊になりたい」と思っていた昔の私が思い描いていた生活とは、今はほど遠い。






そんなの自分の勝手都合だけど。
ネガティブシンキングは病気のせいだと思いたい。


早くよくなって、早く活動再開しよう。

一緒に送ってくれたメッセージボード。たくさんの人が応援してくれていて、涙が出る

いつだって応援してくれるマイファミリー。
てんくす!



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【先輩、突然の任短】2年間の活動を全うすること

この1、2週間。
忙殺の極みだった。




だからこそ、その期間中に突然一番仲のいい先輩の任短が決まっても。
私はいつまでたっても実感がなかった。


先輩というより、同期だと思っていた。色々あって、ロンボクに赴任した日が一緒だったから。





ロンボク島へは、私たちが赴任してから後輩隊員が入ってくるのに時間があいて、しばらく隊員は、海さん(アラビア語のあだ名)と私の二人だけ。




だからこそ、
よくお泊りもしたし、
しょっちゅうサーフィンもしてたし
富士山級の山にも二人で登りに行った。


二人で一緒にやったことなんて、ここじゃ書ききれないし、
海さんの職種から、海さんの考え方から、たっくさんのことを考えたし、影響を受けた。






海さんがしんどそうなのは、私も知っていた。






任短理由はかつて私が考えたコトと同じ。いろんな理由があって、活動ができない。








そんな海さんから電話がかかってきたのは、私がロンボクでロケハンをしている最中。

電話はよくしていたけど、なんだか様子がおかしくて、


「海さん、どうしたの」と聞いたら、海さんは泣き出してしまった。





話しを聞いて、私はその場で何も言ってあげられることができない。





海さんがこれ以上配属先で活動ができるとは、もう思えなかったから。
だからと言って、私は「日本に帰ろう」とも言えなかった。







任短が正式に決まったのは、その電話がかかってきた3日後。




JICAに話した海さんは、その後土日を挟んで5日後に、日本へ帰ることになった。







任短は、思ったよりあっという間で
思ったよりあっけなくて
でも、思ったより残された身はずっと心に引っかかってしまうんだってことが分かった。





帰国日がたまたま出張で隣島にいく前日で、私は急きょロンボク空港に見送りに行った。


ありのままを書いたつもりの手紙を渡したら、


身体が「なんかいつもと違うぞ」ってなって
やっぱり涙が出てしまう。



どうしようもない気持ちになった。







幸いにも、任短が決まった海さんの顔は明るく、晴れ晴れしく、嬉しそうだった。








空港から帰る途中のタクシーで、「2年間の活動を全うできること」が当たり前じゃあないんだって感じる。







最近のバングラで起こった邦人殺害で、イスラムであるインドネシアでも安全対策の連絡が頻繁に入る。



安全対策上で、ブログ内で記載してはいけないキーワードや内容も、指定されている。







チュニジアの同じ生活班だった同期は、治安の理由で1年で任国が変更になった。





ブルキナの協力隊の友達も、1か月ほど情勢不安で避難していたそう。








私は今でも、交通事故を起こした時に、同期に言われたことが忘れられない。


「生きて日本に帰ろうね」







協力隊の活動ってなんなんだろうな、って思う。

自分の意思であれ、そうじゃなかれ、任短をして2年間を全うできない人が、私の周りにもたくさんいる。










私も一時期、任短について悩んだことがある。
(【幸せだけど、これでいいんだろうか】任期短縮ということを考えてみる)






私がそれを乗り越えて、踏みとどまったのは、それでもまだ出きることがあると思ったから。




でも、身体も心も健康で「日本に帰る」という最大のミッションを達成しなければいけない私たちにとって任短は、ネガティブなことじゃあない。
周りの目なんて気にせず、「帰る」ことを一番に、自分が納得できればそれでいいんだ。









身近な人が任短になって、今一瞬を、もっと大切にしないといけないと痛感する。




もうすぐ1年。
そう思わせてくれるには、十分すぎる出来事だった。




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【ロンボクでロケをしようよ!】~ロケハン編~


日本からのメディア誘致の次のステップで、日曜日~月曜日にかけて、隣島にてロケハンに。

(参照:【ロンボク島でロケをしようよ】~下準備編~) 






初めて知ったけれど、ロケハンはロケーションハンティングの略らしく、私はてっきりロケ班かと思ってた。





実際に日本からメディアさんたちが来る前に、事前にアポを取りつけたり細かなデータ収集が今回の目的。







一緒に取り組ませていただいている方と、いざ出発。

出発時間の朝4時。スーパームーンとモスクがいいカンジ


港から見えた朝日がキレイ。


5時間かけて車で隣島に移動し、調査開始。



伝説の黒い鶏を探して、市場や住民へ聞き込みをしたり



人口データを調べに、区役所的な所へ訪問したり。



ウニを求めて、早朝海へ行き岩場をひたすら探したり。







車に乗って走行している時に、道の間にわずかに見えた黒い物体が伝説の鶏なんじゃないかと、
急きょ車を止めてもらい、細い道を、淡い期待をこめて追いかけたりした。






地べたに座っているおじさん、バイクの修理屋さん、ジュースを売っているおばちゃんたち。

たくさんの人に話しを聞いてまわり、
確かな情報がほしいのに
想像で答を考えたり、「ここで女の子が通るのを眺めていたんだ」というおじさんにくすっとし、


あぁ、南の島で生きているんだなあなんてちょっと可笑しくなったりした。





傍から見たら、なにをやってるんだと笑われてしまうだろうけど、これが私の立派な活動の一つなのだ。





時間が少しだけ空いて、夕日を見に海へ行き、運転手さんと隣島で出会ったご家族と、夕焼け空のもとゆっくりすることもできた。









ここで働くことは、そりゃ色々あるけれど。
うまくいかないことばかりだけど。
頑張っても報われないことの方が多いけど。




それでも確かに1年間、私はこの島で走り続けてきたんだな、となんか妙に腹落ちしたりもした。












帰ってきて、セミが鳴き始めたロンボクで、確実に季節が雨季に近づいていることを実感する。





私にとって、2度目の雨季。



たくさんの果物が、雨季に豊作となるように
残りの1年、私の活動も実になりますように。

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ちょっと休憩。






日本からメディアが来ることが決まって(【吉報】うれしい、うれしい) 今やその準備におわれている。







インドネシアの撮影ビザについて調べたり。




配属先も撮影候補にあがっており、会議や書類作成し




ネタ収集や、2度にわたるロケハンの準備。





昨日も18時から、一緒に活動している方と21:30まで打ち合わせ。









全く同時進行で動いている、ロンボクの地図作成と、先週行っていた出張の報告書や事務処理。





私は忙しいのがうれしくて、いくらでも頑張れるんだけど。


それと相反して、イライラしちゃうし、どうしようもなく疲れるし、肩をおとしてしまう。
 


今日火曜日、朝一でレポートを作ったら、一気にガタがきてしまった。思ってたより、頑張れないんだなー。








先週出張から帰ってから、家にネズミ被害が再発して、フンだらけ、夜も眠れず。ネズミの血っぽいのも流れてるし。








何より一番疲れる原因となっているのが、やっぱり配属先で。こんなこと言いたくないんだけどさ。







「メディアを日本から呼ぼう!」 
 唯一カウンターパートから言われた私の活動。


配属先が求めているのなら、私を必要としてくれているのなら、とマンパワーながら動いていた。







いざ、日本からテレビ局がきますよ、となった時のその対応。もう、堪忍袋の緒が7回くらいぶちぎれた。






事の発端は、先週。急きょロケが前倒しになり、事前の調査を急ぎでしなければならなかった。


私はタイミング悪く出張中で、明日明後日までに確認しなければいけない内容を、電話とSMSで2人のCPに相談。






1人のCPからは、「みずさんが帰ってからMTGしましょう」と返信があったものの、本命のCPからは返事が来ず。





まー。返事が来ないことはだいたい想像できたから、そこはOK。






週明けの昨日、2人のCPと私でMTGをした時。




私の直属の部長は、くっちゃくちゃとバナナや枝豆を食べながら、私の話しなんて聞いちゃいない。



挙句の果てには、新聞に手を伸ばしたり、話がまだ終わっていないのに離席し、他の同僚とどうでもいい話をしに行って、帰ってこない。

食べカスだけ残していくなよ




今、めちゃくちゃ大事なハナシをしているんですけど!!!(泣









私と、もう一人のCPは顔を見合わせて、「僕もインドネシア人だけど、彼が何を考えてるのか分からない。あの態度は失礼極まりない」と言っていた。





大丈夫ですよ、私はもう慣れました。とだけ言う自分も、やっぱりむなしい。










根本的に違うのが、誰もかれも責任を取りたがらない。それが部長だって、誰だって。





まぁ、そうだよな。












いつもしんどい時に、助けてくれる日本人の方にも言われた。




私は2年間という中で何かをしたい、と鼻息荒く頑張っちゃうけど。


配属先は、これからずーっと、このままも同じ配属先なんだもんな。







まだまだだなあ。

調整員さんに言われるように、「うまくいかないことも楽しんで」いかんといけん。












ちょっと休憩。





コーヒーのんで、地図の赤入れをして、調査を再開しよう。

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【あの日から1年。】プレ一年記念日。

思ったより早く次の記念日が来た。(→前回記念日ブログ:赴任300日目に思うコト)







9月9日。 一年前の今日、私はまだ訓練所で訓練の真っ最中だった。最後の語学試験を目の前に、訓練も忙しさのピークを迎え、寝不足の日々が続いてた。





確か、火曜日。





火曜日の19:10からは、毎回班ゼミみたいなのがあって、私たち12班は一年後の自分へ、メッセージビデオを作っていた。





最近バタバタしていたけれど、なんかあったな、なんだっけなと頭の奥で残っていた一年前の今日の日の事。







今そのビデオを見返すと、一人でにやけてしまう。
12人の、世界中で頑張っている同期の仲間たちが、今日の私たちに向けてメッセージを残している。





私はこんなことを言っていた。



***********
『1年後の自分へ。2014年9月9日の私より』


1年後の自分は笑えていますか?
1年後の自分は太っていませんか?
1年後の自分はインドネシアという国を愛せていますか?
1年後の自分は、jocvという仕事に対し幸せを感じることができていますか?

NTCでの生活と、応援してくれる家族や友達のことだけは、いつまでも忘れないでください。
***********



私の1年後のメッセージは、、


これだけ・・・か




2014年の私が、2015年に託した想いは、自分の想像をはるかに超えて目的を達成してしまっているようです。





2015年9月9日の私は、毎日笑っていて、むしろ太るどころか、NTCでマックス太りすぎた体重は落ちつき、ロンボクを愛していて、心から今ここに来れてよかった、とそう思えています。











もうすぐで1年。




今は活動の指標も大枠が決まっていて、それに向かって動いている。




でもここで改めて。




できること、必要なことを整理しようと思う。




独りよがりの活動になっていないか、ロンボクの人達が主体となっているのか。見直そうと思う。 







前々回のブログで、前向きになる曲を載せたら、お友達がこの歌もいいよ、と教えてくれました。


UVERWORLD - Fight For Liberty
『 人生が二度あるなら こんな険しい道は選ばないだろう
でもこの一回 たった一回しかチャンスが無いのなら
何もかも諦めて生きていくつもりは無い
後ろに明日は無い 力を宿せWAR』


私この曲知らなくて、きっと素敵な曲なんだろうなあって思うけど、私の住んでいる国ではYouTubeが非対応で聞けない・・・



気持ちがうれしかったです。ありがとう。


そんなプレ1年記念日は、私のプレイリストNo.25にもランクインする程好きなこちらの曲を。


David Guetta -Every Chance We Get We Run



音楽はかなり雑食です。
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【赴任して300日目に思うコト】

この前、とってもお世話になっている日本人の方のお宅で、NHKの天気予報が流れていて。


時間によって、日本がオレンジ色、青色、グレーとお天気変動しているのを見た。



これ。


「天気予報ーっ!!!」って言って、テンションがえらくあがってしまった。




ロンボクは雨季と乾季しかないから、はれーっ!!! もしくは、あめーっ!!!!なもんで、天気予報なんてないし。遠くの山の麓のそらを朝チェックし、「あぁ、今日は夕方くらいに降るかもしれないな」なんて感じなものですから。



一週間の天気、というか一日の天気をチェックするっていうのが、とてつもなく懐かしくなったりした。






季節がない分、時間の感覚が分かり辛くて、自分の中で赴任〇〇日っていうのが唯一の記念日なんです。



そう、そしていつの間に、あっという間に赴任して300日を迎えました。




10か月。10か月と聞くとまだまだ、なんですが、残り1年2か月、と思うとわあっ!と思ってしまう。








何をしたかな、と考えてみると答えはやっぱり『何もできていない』。


配属先以外で活動を広げ、地域住民たちと一緒に観光意識の向上を図りたいと思っているけど。結果何もできていない。 





でもちょっと前の自分と違うのは、それを恥じる事はなくなったって事。何もしていない、何も結果が出ていない。そこに至るまでにたっくさんの苦労と、苦悩と汗と涙がつまっている。中身の詰まった、「何もできない」だ。









悔しい毎日。もやっとする毎日。悲しい毎日。







もっとうまくやりたいのに。

もっとこうしていきたいのに。



全然、できない。





でも、こうだ。










できないことは、悪いことじゃない。


できない理由があるはず。そこにはメッセージも、糸口もあるはず。それを読み解いて、次につなげていくだけ。
















人のご縁と、ありがたさと、あたたかさを感じる300日でした。




できないことを繰り返して、場数や経験を踏み、少しは自分の自信につながってるのかなと思います。





そして何より、プライドの高かった私が「できない自分を認める」という点で、この300日でも大きな成長をしてるんだと思えます。





これからの活動が、花開くかまだ分からないけど(何が何でも咲かせたいんだけど)



何かに対し、一生懸命向き合って、体当たりしてボロボロになって。それで開かなくとも、その時は他の道が出てきたりして、無駄なことじゃあなかったな、ってきっと思える。



ぼろぼろで、誰が好き好んでこの道を選ぶだろうかって思う人生でも、誰かを励ましたり、誰かが「あほくさー」とでも笑ってくれる事があるんだって。きっと、そう。





って、自分を勇気づけたりする。はい。





次の記念日は、365日記念日。



そして、次の100日記念日は、400日目。



次のお祝いの時は、折り返し地点を超えて、カウントダウンをしていく一方。




私的に結構しんみりしている気分なんですが、[カウントダウン]というワードでとあるBGMが頭を爆走しはじめました。

ビヨンセ-countdown


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なんてことないけど、キレイな言葉以外で感謝の気持ちをと思って。









前回の記事は(幸せだけどこれでいいんだろうか・・・)。






青年海外協力隊として、世間からある程度注目されているということを踏まえても。




キレイな言葉だけを並べ、730日を終えることはできないと考え、ネガティブな記事ながら公開しました。











自分が思っている以上に、記事は世界を渡って。

多くの方から励ましやアドバイス、コメントをいただきました。






 





≪仕事で後味悪い日だったけど、投稿のおかげで、みずがいてくれてるから、私は元気もらえたよ≫
≪人生生きているだけで価値がある≫
≪誰のために頑張るのか≫
≪自分ができることは他にあるって、そっちに専念しようと思う≫
≪ロンボクとの時差は14時間だよ♡≫
≪その答えは5、10年後に振り返って、あーそういうことかって絶対つながるから!≫
≪早く帰ってきたら単純にうれしいぞ♡≫
≪配属先に結果を求めなくてもいいんじゃないか≫
≪壁にぶち当たって当たり前でしょ!で、リタイアせずに現地で成長するんだから!≫
≪他はちゃんと見てる!≫
≪みずが行かなかったら、ロンボクという地名さえ知らなかった人がたくさんいると思う≫
≪自分の活動を、次の誰かに繋げる≫
≪必要としてる人は今は見えないだけで、いると私は思うし、そう信じたい。≫
≪ I'm always by ur side and beside you!≫

私以外に、共感していただける方が多かったので一部、転載させていただきました。







しばらくの間、いただいたすべての言葉を頭の中で反復し、自分の中で噛み砕いて咀嚼をしていました。 





その後私は何か胸に抱えたまま、ロンボク島にあるリンジャニ山へトレッキングをしておりました。






雲の上で過ごす3日間。





180度見渡す限りの星。願いごとが足りなくなるくらいの流れ星。






真っ暗闇の中、山の上から見たロンボクは、わずかな街の明かりがともっていて。


こんな小さな島でも、生きてるんだって思った。







夢のような3日間だった。









帰りがけに見た夕陽は、今まで見た中で一番キレイだった。












この地が好きなんだ。ロンボクという島が、やっぱり好き





カウントダウンしていく日々。止められない日々。






そう思ったら、やっぱりもうちょっと頑張れそうだなって思った。











すべてが晴れたわけじゃない。

配属先は変わらないのだから。





そしたら自分が変わるだけのハナシ。








そうやって、世界中の仲間から励まされながら、ここに書く事に及ばず、私はこの地で壁を乗り越えていくんだと思います。







簡単じゃないのはわかっているけどね。そんなのは、応募した時から分かってた。









『問題が山積みだから海外協力隊』。ほんとにその通り。




何を勝手に期待して、うまく行くもんだと思っていたんだろう。
















みなさんに、読んでくれたすべての人に「本当にありがとうございます」と言いたい。







でも、そんな一言だけじゃやっぱり感謝の気持ちは足りない。足りなさすぎる。





一つ一つの想いを、自分の中に吸収して、それが返せるのはこれからのハナシ。















ケニアに赴任中の私の大切な同期のブログ。私はロンボクでボロボロ涙を流しながら目を通した。

【”人の心を掴む記事”を読んで】




”かけがえの無い時間を過ごしてるからこそ、
こういう事を考えるのかもしれない”







そうなんだろうな。





頑張れ。自分。君は一人じゃないぞ。











 Special サンクス

電話をくれた氏。
大親友
インドネシア同期・先輩隊員
バリで会ったマレーシア隊員
ケニア 同期
ブルキナ まさ
前職 同期
ザンビア 班長
グアテマラ なっちゃん
マラウイ 妹
家族
ラオス 会いに来てくれる予定のあなた
スネ夫
のゆさん
みゆき
凛君
みゆ
モンゴル 同期
ベトナム 同期
ガーナ 同期
みどりさん
前職の方たち
ヨルダン 同期
エクアドル さお
せいちゃん
マラウイ お姉ちゃん 
marusanriseさん
匿名さん
よしぼーさん





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【幸せだけど、これでいいんだろうか】任期短縮というコトを考えてみる。

焼けたと思ったけど、まだ全然白いみたい。



もう自分が何か月この国にいて、あとどのくらい残っているのか。わかんないや。






計算すれば出てくるし、ブログにはちゃっかり日本帰国までのカウンターなんかつけちゃったもんだから。



その【463日】あるって事実はわかってるんだけどね。






イ「ロンボクにどれくらい住んでるの?」

み「1年未満かな~」

イ「あとどのくらいここにいるの?」

み「あと1年以上あるよ~」






そんな感じ。







決して落ち込んでいるわけじゃない。てことを先に。

当たり前の脳みそで、いつも通りの感じで。







5月に書いた記事。【リゾート開発よりも、おじさんを応援したい】
この時も私は悩んでいて、それでも頑張りたくて、頑張っていたくて、この記事をかいた。





それから3か月経過するけれど。ここに来て、今まで考えたコトがなかった【任期短縮】が、初めて頭をかすめるようになった。





隊員の中で【ニンタン】と呼ばれているソレ、は、2年間の派遣期間を短縮する制度。そんなに簡単にできる物でもないし、ニンタンの多くは、派遣国の治安が悪くなったりとか、健康上で何か問題があった時とか。








ニンタン。








もうかれこれ、1年弱私はこの配属先にいる。


そして、それなりに楽しくやっている。





リラックスした職場には、毎日送り迎えをしてくれる同僚たちがいて




「ちょっと旅行行ってくる!」というと、空港から家の送迎をわざわざ買って出てくれる友達もいる。




同僚たちは、私を笑わせようとジョークを連発し、ありがたいことに?彼氏すら探してくれる。




よく家に連れて行ってくれて、ご飯を一緒に食べたり、家族やいとこに紹介してくれたり。




彼らと過ごしている日々。貴重で、終わってほしくないと今から思っていて。言葉を超えて笑いあえることに、毎日「奇跡みたいな日々だなー」なんて嬉しくて。






けれど。









けれど、やっぱり私はこの配属先に、「必要とされていない」みたい。






様子を見てきた。
そして自分のやりたいことだけが膨らんでいった。



それを配属先に相談しても、なんでかもうダメなんだ。






こういうコトをしていきたい。こういう意図があって、こういう結果が見込める。



と5月末のプレゼンを通じて、配属先の人達は「素晴らしいプレゼンだった」と言った。






それでも書類文化のここで、配属先からのドキュメントを待っているけれど。もう1か月以上音沙汰なし。



上司を通さず、パソコンができる同僚に頼んでも。

「あ、みずの書類作るの忘れてた!明日ね」と、それも1か月。その彼は今、ブルガでおしゃべりをしている。











赴任当時にかなりのストレス要因だった【仕事をしない】ことに対して、もう憤りは感じない。



「どうしたらできるようになるんだろう」

「なんでそうなるんだろう」



そうやって、一人で考えるのが、もうアホらしくなってしまった。




そのうち私は「できない理由」だけを述べて、頑張る事をしなくなるんじゃないだろうか。





信頼関係を構築しよう、って


時にはさぼって、同僚たちとコーヒーを飲んだ日々。




何か一緒になってできることはないだろうかと、雑用と言われることも一生懸命やろう!と決めて


片付けや、本棚の整理、イスラムの習慣で米を小分けにする作業をやってみた。






作業中変な歩き方をして、「ダイエットしてるのよ」と

ちょっとおちゃらけてみせるけど。


ちょっと笑ってみせるけど。






笑ってる自分をよそに、心のどっかが、溜息をついている。





いても、いなくても別にどっちでもいい。そんな職場で


ボランティアだとか、協力だとか、持続可能な、とかそんなおこがましい事。むしろこっちが頑張っちゃってごめんなさい、的な。感じなんです。






誰のために考えてるんだろう。
この島の人達が求めていない、今の状況が幸せなのに、なぜ一人で頑張ってるんだろう。

私がいる意味はどこにあるんだろう。







今私が活動していることは、一人でできて、ショットで終わってしまって


配属先がいなくても、家にこもっていればできること。




日本からでも、きっとできること。







ニンタン。





たのしくて、しあわせで、ここに来れたことに心から感謝しているけれど。





この、なんでもない日々が、同僚たちと笑いあえている貴重な毎日がずーっと続くのかなと思うと、不安でさみしくて、つらくて、しんどい。







複雑。





いつも長文でごめんなさい。 気が向いたらクリックお願いします。
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