青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【日本に帰った後の事】進路とか。就職とか。

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毎日の通勤路にある巨大イスラミックセンター。完成近づいてきて柵が撤去された。



この2週間ほどでロンボクはえらく暑くなった。南国なんて、「夏」だけだと思われがちだけど、それは違う。





暑い夏
ちょー暑い夏
灼熱



暑いにもたくさんの種類があって、乾季と雨季しかないと思いきや、1か月前後でちょっとずつ暑さが変わってくる。



今のロンボクは、ちょー暑い夏。夜とか、空気がぬるく汗が止まらん。寝れん。しかも昨日は停電で扇風機が使えず、こんな時に携帯もパソコンも充電が切れ何もすることがないという。




夜涼みがてら、いつも夕陽を眺めるアパートの屋上へ登った。

部屋の屋上から、イスラミックセンターが見える。停電中だから真っ暗。




横になって、たかーいそらを眺めた。






気づけば残りの任期が7か月になっていることに気づく。



色々逆算をすると、5月末までなんだかんだスケジュールがたっていて、6月断食、7月はレバラン(断食明け長期休暇)。一気にゴールが見えた気がした。





そして我に返る、協力隊終わった後のこと。









実は本当に有り難いことに任期この1年5か月の間には、仕事のお声がけをいただくことが多々あった。


インドネシアの首都、ジャカルタからいくつかと、日本からとあるソーシャルビジネス関係。

観光職として日本の企業とお仕事することも多かったし、インドネシアという今後も経済成長が見込める大国で、インドネシア語ができる日本人の需要は想定以上に大きかった。




3月は日経企業の期末ということもあるのだろう。
連絡をいただいては、「ちょっとまだ色々悩みたい」とわがままを言わせてもらっていたけど。ちょうど各企業の担当者様より立て続けに、進捗確認の連絡をもらった。




ブログ内でも出きる限り等身大の自分と、その変化を書いてきた。
私が会社を退職して協力隊の道を選択したのは、国連広報センターで働きたいという夢があったから。
海外2年間という必須経験を満たすために、この道を選択した。




ただいざ自分がここに来てみると、さまざまな心境の変化があったのが事実。色々な想いで、赴任してから10か月もたたないうちに、国連への夢を手放した。





10年以上持ち続けた夢を手放すのは辛かった。
それだけ信じて一歩一歩、歩んできた自分にとって。これ以上何を目指していいのか分からずに。喪失感だけが漂った去年。



前を向かなきゃ、と活動に一生懸命になったら、不思議と見てくれている方が増えた。
皮肉なことに?国連の夢を割り切れた瞬間に、「国連に行くための大学院の費用を持つ」と仰っていただけた方もいた。人生てそんなもんなんだな。






きっと自分はどこに行ってもどんな仕事をしても、楽しめる。
どんな環境であっても、愚痴をはいたり、反目することがあっても。どこでも生きていける。
それはここでの経験の上についた自信。



7か月後、自分はどんな選択をしているんだろう。
有り難くも、こんな人生のターニングポイントであることを、アパートの屋上で夜風にあたりながら考える。



でもやっぱり今は、7か月後の将来よりも。
来週に差し迫った大学訪問の資料が、一向に進んでいないことを考えなきゃいけないな、と思う。



ガンバレ、ワタシ。

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