とある女子のロンボク730日滞在記✴︎

青年海外協力隊 26年2次隊 観光職 インドネシアのロンボク島へ。派遣前から、続けば帰国後までマイペースに更新してきます。

【730日の、その先へ。】



帰国して10日が経つ。
毎日ばたばたしている中で、ふと思い出すロンボクの情景。
10日前にはインドネシアにいたんだな、と逆にびっくりしたりしている。


ちょっとさみしいけれどそれくらい、今では遠い昔の事のよう。




日本に帰ってきた。
不思議な気分。





まずやったこと。
2年間放置していた髪の毛をばっさり。
紫外線で傷んだ髪の毛は、2年間頑張った勲章。
でも今私がいるのは日本なんだって自分に言い聞かせる。


 

帰ってからずっと日本は寒くて。
どの写真にうつる景色も雲が覆っていて寒々しい。

そんなときにはロンボクのカラッと晴れた青空を思い出して、すがりつきたい気分になる。










この10日間。
布団でぐっすり眠れることに驚いている。
23時に寝れば、朝の7時まで一回も目を覚ますことがない。
早朝のアザーンや、ネズミに怯えることもなければ、雨漏れを心配する必要もない。
そして心のどこかにしこりが残っていたテロの恐怖からの緊張がストンとなくなった。


それでも夜出歩くのはやっぱり怖いし。
お財布丸出しでまだコンビニにも行けない。
昼の平和な住宅街を、後ろからつけられていないかと何度も振り返ってしまう。



耳にタコができるほど、口酸っぱく安全対策について訓練を受けた。
2年間の癖は日本人であってもすぐには抜けないかと思う。








いやいや、日本に帰ってきた。
任期中にあれだけ夢見た帰国。
あの時何度も想いを馳せた日本に、帰ってきた。



 

 
このブログを終わらせなくちゃいけないと思いつつ、手が出せないでいた。どうしても億劫で。本当に隊員としての最後の場所だから。




これを最後の記事にしよう。と、思うております。
 
青年海外協力隊に受かってから、インドネシア ロンボク島で任期を終え、今日にいたる日まで、約2年半に及ぶ日記の最後。
 



ブログをはじめた理由は、2つ。

連絡不精の私が、『元気だ、なんとかやっている』ということを日本にいる友達や家族に伝えたかったから。




もう一つが、いつかの隊員が悩んだ時や困った時の、参考になればと思ったから。


今日のことを覚えていよう。




そういう気持ちで続けた、書くということ。しんどいことも、うれしかったことも、
一喜一憂していた毎日を、
何の特別でもない、一人の人間の記録として残していよう




始めたきっかけとは裏腹に、ブログを書くことでたくさんの恩恵をいただきました。

 

記事を読んで個別で励ましてくれる人。
隊員のご両親が目を通してくださっていたり、
わざわざ自分のブログで紹介してくれる方。

お会いしたことはないけれど、温かいメッセージをくれた方たち。




「おまえの、クソどすっぴんドブスブログが一番好きやわ」とわざわざLINEをくれる友達もいた。

「みずほさんのブログ、楽しみにしている人たくさんいると思うよ。任期終えるのと同時にブログも閉じちゃうの?」





気まぐれに書いているブログだったけど、周りからいただく言葉に身が引き締まる思いでした。


協力隊としての730日。
夢のような期間。
私はこの先も歩いていきたいから始めた当初の気持ちのまま、このブログはここでおしまい。




 




ジェットコースターのような喜怒哀楽の毎日を隠すことなくここに残してきました。
 
 
こんな記事書いていいのか?と思いつつ、ここだけは「頑張らない場所」であるために、思ったこと、感じたことをそのまま書いていました。

 
 
 
それでも読んでくださる方はどんどん増えていって、
自分でも想定以上に多くの方たちが足を運んでくださったのは
 
 
知らない土地で
もがき
エラーを繰り返し
体当たりでも、ここにいるロンボクの人達と向き合っていたからだと考えています。



それがスーパースター的な誰かではなく、誰でもがなり得る、そこらへんの一人の人間だったから、ということ。
 
世界中の方たちに足を運んでいただきました。
 
 
 
 

 

2年間を通してわかったこと。
誰かに気持ちを伝えることが、勇気と体力がいること。


インドネシア語がうまく伝わってるか、自信はないし。


関係性がよくない上司に相談を持ち掛けるのは、1時間くらい気持ちの準備をしないといけなかった。

できれば話したくないけれど
発しなければ、2年間椅子に座ってるだけの任期。



時には寂しい思いをしたり。ジョークが通じたり。
そういう二年間を過ごしてきたからこそ、
我慢せずに伝えるべき、自分の気持ちや感謝の言葉。

 

色んなことを経験させてもらったけれど、少なくともトライして失敗したエラーの方が、何倍もこのロンボクを好きにさせてくれた。


そうやって言葉や自分の気持ちに、向き合おうとする自分は、今までにないちょっとした成長。





会社勤めの時は、不満があると組織のせいにしていた私。

それができなくなった協力隊の2年。



なんとしてでも自分で動かないと進まないし、自分で責任を持たなければいけない。当事者意識を持たざるを得ない環境で突っ走れたことも、大きな強みになったと感じています。





いやしかし。



「色々あった」なあ




あれだけ夢や希望に溢れていた出発する前。

任期を終える時、案外一言で片付く。



100人いるインドネシア人の中に、1人ポンっと日本人の私が飛び込んだ。


そりゃ何も変わらないし
残せるものなんてなんもないし。

言い訳されて
約束破られて
裏切られて。

我武者羅に頑張ったって、報われるのは1%あればいい方で。


でも人間関係を作って、言葉を超えて笑いあって、お互いを分かり合おうって向き合って。
なんだかんだちゃんと色々乗り越えてきた。











任期短縮を考えていた日々。
後ろからバイクに突っ込まれた日は職場で号泣したし、テロに怯える日々も、今だからいえる、同僚からのセクハラにだって悩まされてた日々も。
 
立ち直り方が分からなくなってしまったり、もう頑張れないと思ったり。





730日。


ちょっとだけ前に出て。
と思ったら後ろに引きずり込まれて。


ただそのたびに手を差し出してくれる同僚たちがいて。
だからこそ、あきらめきれなかった。
だからこそ、最後までここにいれた。



そんな毎日の繰り返し。












「みずー!」







遠くから名前を呼ばれる。
毎朝すれ違う、自転車にのっている新聞配達のおっちゃん。



「パギー!(おはよう!)」



そういって片手をあげてすれ違う。






それが時にはランドリーの家族だったり
以前乗ったタクシーの運転手だったり
道の途中で私を見つけた同僚であったり。
職場の前で知り合った警察官。
いつも行ってるおなじみカフェの店員。
歯医者で顔を合わせる家族。





島に知り合いが増えていく。どこかに行くたびに、知り合いとすれ違う。
 
 
そんな些細なことが、最後には幸せだなと思えたりする。










現地の人と同様に水シャワーを浴びて、50円のご飯をたべ、くっそあま~いコーヒーを飲んで、道端で人間観察をする。


ここに人がいて、宗教は違っても、全く同じ人間だったということ、
ロンボクの人達は、外人の私を家族のように受け入れてくれたこと。




すべてがかけがえのない大切な経験。




 

730日のその先へ。


青年海外協力隊は、人生のモラトリアムでしょうか。
 
 
赴任して間もない頃、ある人からこんなことを言われました。
 
 
 






 
 
「俺、青年海外協力隊って嫌いなんだよね。」
 
 
 
 



夢や希望にあふれていた赴任当初、私はその理由を聞き返すことができませんでした。
 
 
 
 



 
でもそういう人がいて当然だと思います。



みえないから。



隊員たちが現場で見てきた景色を、本人以外見ることができないから。
 
 


ブログを書く中でも誤解を与えないよう、そしてオフィシャルパスポートを持っている公人として、書かざるべき内容など意識して綴っていました。
 
 
 
 
 
アンチ協力隊がいてもいいと思っています。
 
でも、2年間を終えた今。私は彼に対して言いたいのです。
 
 
 





 
「行ってもいないのに批判するとはどういうこっちゃ。評価をするならば、あなたが協力隊として現地に行ってから、いくらでも嫌うがいい。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この辛さや、寂しさは。
そして、その寂しさを知ったからこその幸せは。
現地に出向いて、汗水たらして悩んだ隊員にしかわからない。
 
 
 
 
 
悩んでいる候補生がいるならば、私はこれからもきっと、その背中を押し続けると思います。

 
 
 
 
 
 
そして悩んでいる隊員がいるならば、「大丈夫だよ」と一言。日本からハグを。
 
 
 
 
 









協力隊を受けるために、東京の会社を辞め。
ここに来て、その一つの区切りであった730日を終えました。


その先の話。


 
ご縁があって、現在インドネシアの首都ジャカルタに行くための手続きを進めております。



2年、インドネシアのロンボク島というところに住んでいた私は年内に、協力隊としてではなく、海外赴任としてお仕事のために戻ってきます。




2年前は絶対に想像できなかった、まさか自分が協力隊後にインドネシアで働くという選択肢。こうやってがむしゃらに頑張った730日が導いてくれた、新しい人生の道筋。

 
 
 
いいと思う。私らしくて。
きっと私をよく知っている大学の友達も、あきれながらも応援してくれると思う。



これが私のロンボク730日滞在記。
こんどから、ジャカルタ〇〇日滞在記。
でもブログを続ける予定はないので、ジャカルタで見つけたら温かく見守ってやってくださいね。






悩みながら、それでも前を向いてきたつもり。
寂しいながら、それでも希望は捨てなかったつもり。
迷っても、その時のベストの道を選択してきた、つもり。



そんな日々の積み重ねが、幸せだなあと思える任期終了を招いてくれたんじゃないかなと考えています。






ここで得た経験を、ここで感じた幸せを。
ロンボクだけで終わらせないために。



 



またこんなとある女子のつぶやきを、世界のどこかで、話しをさせてください。




無事に任期を終了し、帰国できました。
このブログを通して出会えたすべての人。
ずっと応援してくれた、日本にいる家族、友達に感謝の気持ちを込めて。


2年間お付き合いいただきありがとうございました。
 
心の底から御礼申し上げます。



これにて、とある女子のロンボク730日滞在記、終了します。


2016年11月
Mizuho

【帰国】ただいま、日本。

日本に帰国しました。
32度のジャカルタを出発し、日本についたら16度。
飛行機を出た時の、あのスンっ!とした冷たい空気に、テンションがあがった。



日本への帰国は思ったより疲労困憊。朝7時に成田空港について、友達に再会して、夕方実家に帰り。19時から翌日の7時までこんこんと寝ていた。




そしてジャカルタにいる時から体調を壊していて、声が出ない。みぞおちが痛くなるほどに咳が出て。苦しくて寝れない。飲み会や、友達の再会で話したいことが山ほどあるというのに話すということが困難。






どうしたもんかいな。







久しぶりに帰った日本なのに、
あれだけ食べたいものであふれていた日本なのに。



実際は堪能する余裕もなく、ただ目の前のことに追われて、今に一生懸命で、楽しんでいる余裕がないのが現状。







そりゃあ日本人だからすぐに適応はできていると思われる。

服装だって初日入ったユニクロの全身コーディネートで、渋谷で2人の美容師さんに声かけられるくらい馴染んでるし(ただ髪の毛がボサボサなだけ)






電車の乗り換えには苦労するけれど、行動に関しては思ったよりスムーズにこなせているのではないかなあ。





そうであればいいなあ。






帰国してから3日目。
今の時期は「帰国ゴールデンタイム」といわれているらしい。






今は何を食べてもおいしいし、何をしても感動する。




海外から見た日本を、自分の目で確かめている時期。
だからこそ、ふつうに生活しているつもりでも頭の中が一気に情報でいっぱいになって。
わーきゃー。今すぐに脳内がスパークしそう。





たくさんの方から飲み会のお誘いもいただいた。
友達の結婚式の連絡もいただけけてもいる。
でも今はちょっと、携帯電話をおいて、ゆっくり横になっていたいです。





帰国する時に感じたこと。


帰国便JALのおもてなし。
インドネシア発なのにも関わらず、機内でお酒を提供していたこと。
モニターにつなげば、携帯の充電ができること。
JALの制服が、「誰に対しても不快感を与えない」奥ゆかしさがあったこと。




インドネシアのガルーダ航空とは違って、タイトでスリットがしっかり入ってて、化粧がばっちり!!!みたいなことがないのに、あぁ日本人っていいなあって思った。





飛行機が離陸した。
同期と握手をした。
2年間、お疲れさま。日本に帰ろう。





機内食の時に、全員がここぞとばかりにお酒を頼んで乾杯した。
頭の中では日本に帰ることを理解しているのに、同期と同じ飛行機に乗っているということが違和感でしかなかった。





アナウンスの言葉遣いや、サービスに心底感動する。
機内食のドレッシングの塩加減も、ヨーグルトにかけるハチミツも甘すぎない。
軽食で出たサンドイッチの味が、本当にちょうどよくてうれしくなった。





7時間のフライト。


着陸態勢に入り窓際を眺める。
東の空にきれいな一筋のオレンジ色。
今日も一日が始まる。





任期をおえた。
日本に帰ってきたんだ。



帰ってからは、日本に戻るためのリハビリ期間。
何をするにもロンボクとの違いを探してしまう。


エスカレーターはみんな左。
バスや電車でふつうに携帯を操作しているけど、スリにあわないんだろうか。



渋谷のスクランブル交差点で、たくさんの人が右往左往にそれぞれの目的地を目指しているのに、誰もぶつからない。

私なんて今日、朝の通勤ラッシュの人込みに流されて。降りたくもない駅で降りざるを得なかった。




道に何もおちていないこと。
どこかしこ、日本人がたくさん歩いていること。
前の車と車間距離をちょっと開けても、後ろからクラクションはならされないし、割り込みされない。




あれだけ意気込んでたコンビニでの大人買い。カゴをもって店内を一周しても、選択肢があまりに多すぎて、結局買うのはおやつ一つだけ。


お風呂の追い炊き機能と、トイレに手をふれなくても流してくれる機能を開発してくれた人に、お礼をいいたくなった。




日本語の情報を排除して。
アルファベットの文字を読もうとする。



早く日本の生活になじみたい。と思う自分と
あぁ、忘れたくない。と思う自分で常に葛藤しているカンジ。


あれだけ理想郷だった日本がいざ目の前に現れると、意外とふつうといいますか。
そんな状況でこの3日をすごしました。

もう少したってから、私の2年間を振り返りたいと思います。
その記事をあげたら、このブログを終えようと思います。
もう少しお付き合いください。


ただいま、日本。
私がうまれた国。

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【帰国まで3日】さみしさ。

相変わらずバタバタしてるここ最近。
ジャカルタにあがってきて、帰国オリエンテーションやら、大使館表敬やら、観光省庁訪問やら、JICAでの最終報告会やらやら。




同期に再会して、しみじみ・・・というほど皆な実感がなく


「あー、今週日本に帰るんだよね」


「うん、たぶん」


「不思議ー。全然実感わかないやー」



そんなカンジ。


ジャカルタでおいしい料理を食べて、2年間お疲れさま!乾杯!とかするけれど、まだまだ感情がついてこないのが正直なトコロです。




同期と、日本に帰る時の服装について話した。
長袖?ジャケット着て帰る?セーター?
あれ、最近はセーターとは言わないんだっけ。なんだっけ。トレーナー?ん?



日本に帰ったら、タクシーの空調を勝手に変更することも、
お店のショーケースから勝手にジュースを取り出して、事後申告でお金を払うことも、
レストランではその場でチェックできないんだったよな、と思い出す。



蚊におびえて、どこかしこであぐらをかけないし

そういう、当たり前の日常がまた非日常になっていくのね。
私は日本人だからすぐにまた適応する。
でも、ここで体験した非日常はいつまでも覚えておきたいなって思う。






ジャカルタにあがって、そうそうと思い出した。

ここに来た2014年。
まだ首都に電車がなくて、どこもかしこも渋滞していた。
それから2年後の今は、MRTと言われるJICAが援助している首都を走るメトロの工事がどこもかしこも行われている。



渋滞は相変わらずだけれど。


ロンボクからジャカルタに上がってくるたび、工事されている場所が増えていく。
この2年間で、ダイレクトに国が成長していく姿を見れた。
日本の経済成長が見れなかった私からしたら、毎回刺激的で。それだけで協力隊に参加した意義があったと思う。




それからGOJEKやUBERなど、日本にない便利なサービスが急成長をとげたのも見れた。



スマホが普及して、どんどん国が成長していって。生活が豊かになって。
そんな昨日にない今日を見せてくれた任国。
もう途上国なんてとても言えないインドネシアだけれど、
ここで過ごした豊かな経験、インドネシアのいいところ。
日本に帰ったら色んな人に伝えていきたいな、と思うのです。






一人になった時に、しんみりと。
ここで過ごした2年間を振り返る。


私の隊員生活は、自分の人生の中でなくてはならなかったものだったんだなと、ようやく思えるようになりました。




あと3日したら、青年海外協力隊としての任務が終わります。
胸をはって「ただいま!」と言えるよう、あと3日の任務を全うしよう。

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【帰国まで7日】空港へ向かう道

任地を引き上げ、無事にジャカルタへ上京。
本日は移動日だったので、同期と再会してやいのやいの、2年間の活動を乾杯した。






ロンボクでは最後までインドネシアらしさを感じられるお別れで。


約束の時間通りに同僚が家まで迎えに来てくれ、さあ出発!1時間半前に空港につく予定だし、ちょっとお土産でも見ていく?なんて言っていた矢先、




他の同僚からSMS。




イ「今どこにいる?今から家に行っていい?」





えー!もう出発しちゃったよ!なんて思ったけど、どうしても挨拶しておきたかったので、道中で合流するため20分くらい待つことに。




私たちは車で先に待ち合わせ場所について。




その後遅れて、3人の職場のバパ達がバイクに乗ってわざわざ会いに来てくれた。



本当に一瞬挨拶しただけ。
一人ひとりに握手をして、またいつか絶対会おうねって。笑顔でお別れ。



この時点でもうあまり時間がなかったけれど、空港について見送りに来てくれた隊員とお別れした後。



観光情報センターのスタッフや、お世話になった空港のスタッフに挨拶をするためあちこち行脚し、全然想いに浸ることなく、ばったばたで気づいたら機内にいた。



寝不足ということもあって、機内では爆睡し。
ジャカルタの空港ではたまたま時間帯がかぶった同期と合流し。
ドミについたかと思えば、スーツケースがぶっ壊れ。
ハサミで開け、荷物整理をする。


そしたらあっという間によるになって。
同期と飲みに行ったら、感極まって涙をすることもあったりで。

今日も素敵な1日が終わった。




上京1日目。
まだまだ気持ちの整理がつけられないまま、任地をあとにしました。
あと1週間。
もう間もなく、2年間の任務が終わりを迎えています。


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【離任】さようなら、また会う日まで。

数時間後にこの部屋を引き払って、2年分の荷物をもって空港へ。もう少ししたら同僚が車で迎えにきてくれる。





昨日、職場の最終日を迎えた。


すべてが終わったはずなのに、



安堵なのか
疲労なのか
達成感なのか。


何かわからない感情がすべてごっちゃになって、昨日はずっと無だった。
そして夜は何かに緊張して、4時間寝たら目が覚めた。
部屋を掃除して、最後の荷物確認をして、現在朝6時。




意外に淡々としている。


すべての事がらに感情スイッチが入るわけでもなく、これからふつうに職場に出勤しそうだし、カラになった部屋を眺めても、「帰るんだ」という実感がない。



たぶん日本についてから、初めてはっとするんだろうな。




昨日はいつも通りに職場に入り、お世話になった同僚一人ひとりに琥珀糖を渡し、挨拶をした。

最後までハッピーな彼らとの別れは、「寂しさ」もありつつ壮大な悲しさにつつまれるわけでもなかった。



その中でも仲のよかったバパが握手をした手をなかなか放してくれず、

「みずの家族がいつも元気でありますように。
いつでもみずにとって、すべてがうまくいきますように。
気をつけて日本に帰るんだよ」そういわれた時に、笑顔をたもつのに必死だった。





いつも朝ごはんを食べていた場所も


ストラグルな生活をさせてもらった元部署も


今ではネガティブな感情は一つもなく、晴れ晴れとした気持ちで離任できそうです。


職場から、盾とコーヒー、Tシャツ、↓のソンケットと言われる織物をいただいた。

お昼からはシャトルバスで移動し、最後のロンボク料理でお別れ会を開いてくれた同僚たち。



最後3か月。
ちゃんとゆっくり振り返る暇もなく、今日を迎えてしまった。



少しずつ、周りの環境から帰ることを意識し始めて
ついにこの日を迎えたというのに。
700日ほど任地で悩んで、もがいて、苦しんだ日々は今では何もなかったかのように頭の中から消え去った。



この場所に思い残すことは何もないです。
素敵な経験をさせてくれたロンボク島。
なんでもない、そこらへんのとある女子が過ごした、たったそれだけの事。
それでも自分の2年間は、青年海外協力隊を選んだ自分の730日間は。
日本から遠い、南の島にもおんなじ人が生きていることを教えてくれた、かけがえのない財産です。


さようなら、また会う日まで。
いつかきっと、またこの島に遊びに来るよ

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【離任2日前にして。】

お昼に調整員さんと合流し、ロンボクでJICAを受け入れている政府組織への最終報告が無事に終わった。




これですべて終わり。
ロンボクでの活動は、すべて終わった。




終わった今は、ひたすら頭が痛い。夜ごはんに行くまでベッドに横になっている





最終報告をする前に、調整員の通訳で来ていたインドネシア人のナショナルスタッフに


「みずさん、あなたが体感した2年間を今日すべて伝えてね。あなたが配属先で、十分なサポートを受けれなかったことも、孤独を感じていたことも。お膳だてしなくていいから。」



と言われた。






2年間の活動の成果を職場以外のインドネシア人に発表した。







誰も聞いていないだろうって思ってた。
誰も私の2年間なんかに興味ないんだろうって思ってた。





でもそしたら、ちゃんと耳を傾けてくれていて。

「すごい。みず、なんであなた任期を延長しないの?あなたのやってる事は、ロンボクにとって必要よ。JICAの方でなんとかならないの?」と。





もう、これを聞いた瞬間に。


うれしくて。

ずっと自分は配属先でこういうコメントが聞きたかったんだって。最後まで職場からは聞けなかったけど、最後にインドネシア人にこうやって言ってもらえて報われた気がした。





そしてすべて伝えた。
2年間1人で活動してきたことも、学校巡回についての承認が降りなかったことも。









「みず、2年間インドネシアのために頑張ってくれてありがとう。」



そうやって最後言われた。




ありがとう、と言ってくれた。
インドネシア人が私の2年間を受け入れてくれた。



今まで何回、たったその一言を望んでいたんだろう。

目頭が熱くなって、今までの想いがあふれてきそうになって、こらえるのに必死だった。
私の寂しかった2年間は、無駄じゃなかった。






活動で日本語の観光地図を作っていた。
1版を印刷した時に、手ごたえを感じた。

担当のイブと何回ももめて、何回も精神がすりへりそうになって。
「明日、明日」と言われ続け、ようやく発行した2版。



合計で4千部。




正直、「作った事実」が成果だった。
それでいいと思ってたし、今でもそれでいいと思ってる。

空港におかせてもらえることにもなったし、私がいなくなった後も活用してくれるといいなって。





今日ね、調整員さんに会った時。



調「あ、そういえば早速空港で、地図をゲットしましたよ!これみずさんが作ったんですよね?すごい。」



み「あ、観光情報センター立ち寄られたんですか?」



調「いやね、トイレの前でナショナルスタッフを待っているときに、観光情報センターのスタッフが日本人だと気づいて近づいてきてね。この地図を手渡ししてくれたんですよ。


まさかこれから会う隊員の成果だとはね。





僕の他にも、サーファー風の男性2人の日本人が空港にいて。その二人にも地図を配ってましたよ。



『日本語の地図あるんだ!』


『お、サーフィン情報乗ってるじゃん!』って会話しているのを聞いていました。


今回、費用は職場で負担したんですよね。ちゃんと活用されてましたよ。」






他にもよく聞けば、同僚たちは日本で行われた旅行博に、この地図をもっていったらしい。







私は明後日、任期を終えてロンボクを出る。
離任の2日前にようやく知れた事実。





協力隊の成果って本当に目に見えないものなんだなって思った。


今回たまたま私は「ちゃんと活用されている」「そしてそれが誰かに喜んでもらっている」という活動の成果を、人づてに耳にする。




正直今まで。帰る直前まで、活動の成果なんて感じられなかった。
傲慢で終わった2年間は、挫折経験だって言い聞かせてた。





これがたまたま帰る2日前に聞けた私は、本当にラッキーで。

来年、再来年、ましては何十年後か。
いつ花が咲くかわからない活動。
でも2年間という限られた時間の中で、がむしゃらに悩んで、勇気をふりしぼったりして。


その小さな努力は、決して無駄にはならないんだなって。
ようやくこの2年間の意義を見出せた、そんなエピソードが今日ありました。





ちゃんと報われたよ。
色んな事があったけれど。

最後はちゃんと、頑張ってきたご褒美が待ってたよ。
挫折経験じゃなくて、「ドラマのような2年間だった」って。


これでようやく。心の底から思い残すことなくロンボクを離れることができそうです。



残り10日。
離任まであと2日。

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★いつもありがとうございます。
皆さまに励まされて続けてこれたこのブログも、もうすぐ卒業です

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【帰国まで11日】送別会とやり残したこと。

あと3日。あと3日したらロンボク空港。うーん。帰るんだなあー・・・






この土日、2年間本当にお世話になった日本人会の方たちが送別をしてくれた。


ホテルを持っている方が多く、友達が来るときによくしてくださったり。
活動でしんどい時に、ふら~っと家にお邪魔して話を聞いてくれたり。
おいしいごはんに連れて行ってくださったり。


常日頃から、協力隊を温かく受け入れてくれ、理解をしてくださる方たち。





ロンボク内で、唯一日本語が話せる環境だった。
それがどんなに心の支えだったか。




お世話になったのはこちらなのに、名前入りのブックマークや、サロン(腰に巻く布)、ワンピース、そしてロンボクに住んでいる日本人の画家さんが買いた、ロンボク島の地図をいただいた。


裏側は、お隣バリ島の地図。


730日、あれだけ色々あったロンボク。それがこんな素敵な地図になって、思い出を凝縮して日本にもって帰れるんだ。


本当に幸せだなあ。



インドネシア風にって、日本人の方とほっぺのあいさつをした。またいつか遊びにきます。




知り合いの持ってるゴルフ場で、初ゴルフをしてみたり。

ギリナングと言われる島を巡ってみたり。


1年に1度のヒンドゥーの式典に参加してみたり。

やり残したこと、いよいよこの島とさようなら。







次は観光客として、いつかここに戻ってこよう。
その時、この島はどうなってるんだろう。
変わらないでいてほしいな。
2年間頑張ってきたけど、政府のプロジェクトに合わせて変えようと頑張ってきたけど。
それが自分のエゴだってのは重々承知しているけれど・・・

この素朴さや温かさは、変わらないでほしいな



今日は家に帰って、ひたすら100人分のお菓子の梱包作業!明日はロンボクの政府組織で、最終報告!あっという間に最終日。


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